第三十五戦 前へ
新章開始!
「起きてー、起きてよおー!」
懐かしい声が俺の安らかな眠りの邪魔をしてくる。ギャーギャーと非常にうるさく、脳内で響くようだった。
うるさい。眠いんだからもう少し寝かせてくれ。
必死に寝返りをうつふりを演技してその声からなるべく遠いところに逃げる。
寝返りにしては少し動きすぎたか。自分でもわかるほど、下手な演技だったからな。
ううー、とでも言えば寝ていると思ってもらえるか……
当然そんなバレバレの演技なんて通じるわけがないのだけど。
「そんなバレバレの寝返りしても無駄だって。さ! もう朝なんだからいい加減起きなよ!」
やっぱり、ばれてるよな。
しかしだ、ばれたところで俺は起きるつもりなんて一切ないぞ。
地獄でのあの一件がまだ消化しきれていないから、身体が思うように動いてくれないのだ。
体力的にも。精神的にも。ダメージは測りきれるものじゃない。
そういえば、よく考えてみるとここはどこなのだろう。地獄で死ぬと次はどこに飛ばされるんだ? 天国か?
「もおー! 起きないお兄ちゃんが悪いんだからね。私は先に受付してくるから、お兄ちゃんもさっさと登録しにきなさいよ?」
…………待て。
俺はこの声に聞き覚えがある、それにお兄ちゃんだと?
嘘だろ? だってあいつは死んだんだぞ?
その声は俺の妹の声とそっくりだった。しかし、ここに妹がいるはずがない。
あいつは二年ほど前、俺の目の前で殺されてしまったのだから。
「まさかな…………」
心臓が過激に動く。ありえないことを期待してしまっている自分が心のどこかにいるんだろうな。
こうなったら確かめるしかない。
「おい! 悠理!」
声の主が去っていった方向に振り向き、怒鳴るように妹の名前を叫んだ。
怒鳴るつもりはなかったが、もしかしてという気持ちが俺を焦らせるのだから仕方がない。
「……」
そこに声の主の姿はなかった。
わかったのは、今自分がいるところが懐かしい実家だということだけだ。
古びた家具が懐かしさを思い出させてくれる。
「な、なんで。俺、実家にいるんだ……訳が分からねーよ……」
地獄で死んだ俺が飛ばされたのは実家。
ベットの上ですやすやと寝ていたのか。
状況がまったくわからない。
混乱し始める心を俺は必死に静めようとした。
いまは、あの声が妹の声なのかどうかを確かめないといけないからな。考えるのは後だ。
ベットから降りると、家の玄関に置いてあったジャンバーをつかみ取り、乱暴に羽織った。
下駄箱に手を突っ込み、履き慣れたぼろぼろのサンダルを取り出すと地面に放り投げ、蹴るようにサンダルを履いた。
たしか、先に受付するとかどうこう言ってたよな。てことは街の役所に向かったってことか。
街の役所ではいろいろな契約を結ぶことができ、なにかを登録するときは必ずそこでお世話になるのだ。
「ええい! 考えても無駄だあ! いなかったらいないで、違うとこ探すしかないだろ!」
頭をガシガシとかきむしりながら、とりあえず家から飛び出た。
実家だけでなく、家の近所も懐かしいあのときのままだった。
この一本道を登っていけば、街の役所がある。
そこに、もしかすると自分の妹がいるかもしれない。それだけが今の俺を覚醒させる。
「待ってろよ、いま行くからな」
50メートル走でもするかのように入念にストレッチをする。
急いでても、急に運動したら怪我するからな。
俺はそういうところだけは妙に冷静なのだ。
「さ、いくか!」
一キロほどある一本道を、全力で駆け上がっていく。
通り過ぎる人たちはその人間離れしたスピードに驚き、振り返った。
だが、爆走している俺はそんなことにはいっさい気付かない。
こうして、俺の新たな物語が始まったのだ。




