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未完の話  作者: フジヤマ
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一話『出会い』 4.奇妙な朝

 うなり声も断末魔の痙攣も止み、妖魔は動かなくなった。

 私は膝を着いた。

 捻挫などではなさそうだ。右足首の痛みは尋常じゃない。骨をやられたのだろう。触れると既に腫れ上がり、熱を持っていた。

「大丈夫?」

 背後から駆け寄ってきたジルが肩を貸して支えてくれた。

 ただの旅人には見えなかったが、弓使いというだけではなくて、精霊使いでもあったとは……。

 私は彼女に出会った幸運に心から感謝した。今度の敵は強大すぎた。ジルがいなければ、私は生きていなかったし、自警団の面々も一人として生き残っていなかっただろう。

「ありがとう……」

 微笑みもせず、呟いた私の万感の思いを、彼女は悟ってくれたように深く頷くと、私を木の幹に寄りかからせ、微かに眉根を寄せながら、エルの遺体へと歩み寄った。

 自警団の内、一人はエルと同じく大地に倒れ伏し、もう一人は完全に腰を抜かして、子供のようにむせび泣いている。その他、テオを含めた3人が逃げていた先から、こちらに戻ってきていた。

 ジルはまず、最初に地面に叩きつけられた自警団の男の元にひざまずいた。

 私は、怪物が叩き落とした適当な木の枝を拾い上げ、ベルトの上に巻いたサッシュをほどくと、それを添え木にして、足首を固定した。もう一本、別の長めの枝を探し当て、杖代わりにする。

 杖を支えにして、ジルの元へ歩み寄ると、彼女はこちらを振り向いて、微笑んだ。

「ねえ、この人、生きてる!まだ息がある」

 だが、私は笑い返さなかった。

 自警団の男は地面に怪物の頭の高さから叩きつけられたのだ。今息があるとしても、何の設備も薬も魔法もない、こんな辺境の村では助かる方法があるとは思えなかった。麓の町まで運ぶにしても、もたいないだろう。


 ジルは男を横たえたまま、両手を複雑な形に組み、何事か呟いた。

 ……呪文。

 そうだ、彼女は火の精霊使いなのだ。

 風も無いのに、ジルの金色の髪がわずかになびく。彼女のすぐ近くに、姿は見えないけれど、何かがいる。彼女の忠実な友であり、守護者。

 光・闇・地・水・火・風。六つの精霊はその姿も性質も様々だ。精霊使いと呼ばれる人々は、その精霊を操ることができる。精霊たちは主の命に従い、各々の元素に応じた力を物質界で振るう。当然その力は主の力量にも関わってくる。

 精霊なら何でもというわけではない。操ることができるのは、友となりうる精霊、通常は一体だけだ。

 しかし……私が知る限り、火の精霊は気性が荒く、その振るう力も、他者を攻撃するものが多い。この瀕死の男に、炎の精霊ができることはあるのだろうか。

 突然、横たわる男が炎に包まれた。

 私は思わず飛びのく。ジルの顔を見た。

「……いくら助からないからって、いきなり荼毘に付すなんて」

「違う違う!」ジルは首を振る。「少しずつ傷が治る術をかけたのよ」

 言われてみれば、炎は人肌程度にぼんやりと温かいだけで、先ほど怪物を焼き焦がしたような高温ではないようだ。

 しかしごうごうと音を立てて吹き上がる炎を見ていると、一抹の不安を覚える。見かけによらず派手に魔法を使う人だ。

 私は男をジルにまかせ、杖を取ってエルに歩み寄った。

 テオを始めとする、生き残った自警団たちがエルを囲んでいる。

「エル……お前のおかげで、アランは助かったんだよ」

 テオは海老のように体を折り曲げ、ぴくりとも動かないエルにすがって嗚咽を漏らしていた。 その横で、エルが妖魔との間に立ちふさがって庇った、自警団の男がむせび泣いていた。


 私は男たちを掻き分けてエルに近づく。

 背中から木に力一杯叩きつけられたのだ。背骨は確実に折れ、内臓も潰れているだろう。まず助からない。先ほどの男より絶望的だった。

 だが。

 これは死人の顔色ではない。肌の下で血が淀んでいるような、どす黒い顔ではなかった。

 私は横向きに体を投げ出しているエルの背中を見た。質素な麻の服は木に叩きつけられた勢いで、樹皮と土で汚れ、裂けている。

 しかしそこから覗く肌には、みみず腫れのような赤い傷跡がいくつかあるだけだった。

 首筋に触れようとした瞬間、エルが目を開けた。

「エル!」

 いち早く気付いたテオがその体に取りすがる。

「お前……生きてたのか!おい、こいつを早く運んでいくぞ」

 テオは周りの自警団たちに声をかけ、自らエルの肩を掴んで引き立たせた。

「良かったな〜、エル!」

「ありがとう!ありがとう!」

「さ、俺の肩につかまれ」

 のけ者にされていたエルを青年たちはまるで旧知の親友のように労わった。エルは相変わらず無表情だったが、そこにわずかに表れた困惑は、決して不快なものではなさそうだった。青年たちは代わる代わるエルの肩を抱き、無事を喜んだ。


 だが私は戦慄した。

 辛うじてあの妖魔の一撃から生き残ったとしても、意識を保ちしかも立ち上がれるはずがない。私は何度となく、人間と妖魔の戦いを見てきた。私などより屈強な傭兵仲間が目の前で犠牲になったことも数え切れないほどある。妖魔の脅威は分かっているつもりだ。

 この男は一体、何なのだろう。

 舞い上がる自警団をよそに、一人肝を冷やしていると、後ろからジルに肩を叩かれた。

「ねえ、彼も生きていたみたいね」

 私は頷いた。ジルはそれ以上何も言わなかったので、彼女がエルの驚異的な生命力をどう思っていたのかは分からない。

 しかし、仕事には関係の無い話だ。犠牲者が出なかった。それ以上のことがあるだろうか。

 私は気を取り直し、杖を手にして、自警団たちに続いて、村へと歩き出した。


 目が覚めると、朝日が窓から差し込んでいた。

 夜半、疲労困憊で村に辿り着いた私たちを迎えると、主人は仰天した。

 村長も夜中だというのに、宿まで駆けつけて、私とジル、自警団とエルの苦労をねぎらってくれた。

 ……正直、自警団とエルが何の役に立ったのかは疑問であるが、もらえるものがもらえればそれでいい。

 ただ、タダ働きにも関わらず、加勢してくれて、私の命を助けてくれたジルには、何か礼をしなければとは思っていた。

 しかし考える間もなく、傷の手当てをすると、あとは意識を失うようにベッドに倒れこんだのだった。

 日は朝日というには高く昇っているかもしれない。もう昼が近いのかもしれない。

 私は起き上がり、身支度を整えた。

 自分の手持ちの道具で応急処置した右足首だが、驚いたことに既に腫れが引き始めている。これは、ジルが私にもゆっくりと傷が治る魔法をかけてくれたからであった。

 自分の身がいきなり炎に包まれた時には、彼女に殺されるのではないかと思ったが、見た目に反してやはり熱はほとんど無く、まるで人肌で温められているような心地よさであった。

 顔を洗ってから、食堂に顔を出すと、昼前のせいか、主人と奥さんがのんびりと談笑しているだけだった。外の客の姿も、エルの姿も無い。

「おお、起きたかい。傷はどうですか?」

 私に気付くと、すぐに主人は立ち上がった。奥さんも厨房に駆け込んでいく。

「ええ、楽になりました」

「そいつは良かった。アランもバスキスのヤツも、あんたとあのお嬢さんのおかげで命拾いしましたよ」

 バスキスとは、やはりケガをした自警団の一人だろう。同じく助かったのか。

「あの、エルは……?」

 一抹の不安を覚えて主人に尋ねると、彼は笑った。

「ああ、あいつは丈夫が取り得でね、ぴんぴんしてますよ。今、裏で薪割りやってます」

 丈夫という次元の話ではないはずだ。あれだけのケガを負っていて、しかもジルの魔法を受けることなく、もう起き上がって薪割りをしているなんて、尋常じゃない。私と同じ普通の人間とは思えない。

 やはり、昨日のヘンな小男とエルは関係があるに違いない。


 考え込んでいると、奥さんが朝ごはんを運んできてくれた。もういい加減昼も近いというのに、私のために用意してくれたらしい。

 パンとハム、ワインとゆでた野菜を食べると、内蔵の隅々にまで血が通うようだった。

「よく食べるね〜。傷はもういいの?」

 野菜を挟んだパンを飲み込みながらチーズにかじりついていると、背後から声がかかった。

 振り返れば旅支度を整えたジルが立っている。

「ジル!」

 叫ぶとチーズが飛び出したが、彼女は顔色一つ変えずにそれをよけた。

「もう、出発するの?」

「うん。私ものんびりしていられないからね」

「……昨夜はありがとう」やっと口の中のものを飲み下し、私は言った。「あなたのおかげで、命拾いしたし、仕事を遂行することができたよ」

 ジルは微笑んだ。大抵の男であればうっとりするような微笑みであったが、私はその下に雪解け水のような、冷めた何かを感じ取った。

 この人は心の底から屈託無く笑うことがあるんだろうか。想像ができない。声を弾けさせて笑っていても、恋人と愛を囁いていても、感情のどこかが凍っているのではないか。

 一瞬、奔流のように溢れた思考を受け流し、私は立ち上がった。

「何か、私にできることはない? 旅立つ前に命を助けてもらったお礼がしたいんだけど」

 しかし予想通り、彼女は首を振った。

「ありがとう。でも大丈夫。その気持ちだけで嬉しい」

「そう……そこまで送るよ」

 私たちは連れ立って宿を出た。

 快晴だった昨夜の続きのように、空は峻烈なほど青く晴れ渡っていた。


 宿を出たところで、裏から回ってきたエルに出くわした。

「あ……ありがとうございました」薪の束を抱えたエルは、ジルに向かって丁寧に頭を下げた。「もう出発ですか?」

「うん。色々お世話様でした」

 ジルの言葉にエルは眉根を寄せた。

「いや……俺の方こそ、助けになるつもりが助けられて」

 私たちは、昨夜のように何となく3人で連れ立って村の入り口へと歩き始めた。

 昼前の村は静かだった。晩秋で、畑仕事も休みだ。見渡していても、目に付く人の姿は無い。風もなく、3人の足音だけがしばらく響いた。

 最初に口を開いたのはやはりジルだった。

「ところで、昨日のあの人とは話した?」

 エルは首を振る。

「朝から起きてこないんだ。よっぽど疲れてるんだと思う」

「余計なお世話だけど、彼はあなたを知っているみたいだし、よく話を聞いた方がいいんじゃない?」

「……うん」

 エルが頷くまでの間、彼の胸をよぎったのは何なのだろう。それは分からなかった。

 ジルは私の方を見た。

「アレックスはどうするの?」

「私はとりあえず、ギルドに戻って仕事のことを報告しないと……。その後はまた風まかせかな」

「そうなんだ」

 ジルはジルの旅を続け、エルはここに残り、私は私の目的の為に動く。これまで繰り返したいくつもの出会いの一つのはずなのに、私は何故か今日のこの出会いを忘れてはいけないような気がした。

 ……それでいながら細かいところは忘れちゃうんじゃないかというよーな気もした。

 やがて村の入り口が見えてきたが、それまでの静寂とは打って変わって、剣呑なざわめきが満ちていた。



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