あゝ、チャンアルー帝国 最後の決戦前の回想
鉛のような空と言う言葉がある。つまりは曇った空と言う訳で、頭上は雲が覆っていた。
しかし気分は晴れ渡っていた。
廊坊の第33戦闘団が攻撃を開始した。第10特科連隊から配属された集成第2大隊のFH-70が紫禁城外縁部の敵陣地に射撃を浴びせている。コーリャン畑ごと偽装された敵陣地を吹き飛ばす火力が頼もしい。漂って来た硝煙の香りが心を落ち着かせる。勝利の香りだった。
「いよいよ北京か」
竹井聖寿陸将が率いる自衛隊チャンアルー派遣隊は、連合軍第2軍の一員として世界征服を企んだ悪党の跳梁跋扈する魔都北京を包囲していた。包囲網を形成するのは陸上自衛隊第3師団、第10師団、隠岐諸島の復讐に燃える第13旅団とアメリカ第4師団、第82空挺師団となっている。鉄壁の布陣と言えたが不安はあった。
杭州湾から上陸して二日目、ようやくここまで来た。悪のチャンアルー帝国との最終決戦である。敵は変形要塞紫禁城の他に移動要塞万里の長城を投入する様で、第1軍が迎撃中だった。
竹井陸将は報告に添えられていた映像を思い出す。
万里の長城は正に巨大な蛇である。砂塵を撒き散らして進み虎の子のM1A1戦車や主力戦車であるM60A3TTS等を物ともせず、海南軍機甲部隊を蹴散らしていた。 M109自走砲やサンダーボルト2000多連装ロケットが弾幕を張っているが頑丈な万里の長城に効果は薄い。AH-1WやAH-64E攻撃ヘリコプターも数は多くないが空から攻撃を行っていた。
(もし万里の長城が現れれば、我々だけで阻止する事は困難だ。合流される前に、何としても紫禁城を落とさねばならん)
CIAから提供された情報によると、紫禁城と万里の長城は合体し大型移動要塞となる。恐るべき機械力、科学力、軍事力であった!
確かに日本人は、半世紀前に8年間で3500万人も殺害する大戦果をあげた戦闘民族であるが、相手は機械化帝国で油断は出来無かった。
◆
物語の舞台は半月前の日本に戻る──。
「糞、10万負けた……」
パチスロ店から出て来てぼやく男はいわゆるパチンカスだが、生活保護の不正受給者ではない。働いた給料分だけ遊んでいる。
「ああっ」靴底に誰かの吐いたガムがこびりついてしまった。踏んだり蹴ったりである。
男、市川文一が居るのは、島根県に属し日本海に浮かぶ隠岐諸島。そこは良質なウラン、ダイヤモンド、原油の産出地として近年、知られる様になった。これに対して周辺国は隠岐諸島の領有権を主調。隠岐諸島では訪れる者の増加に伴い治安は悪化して来た。
フェイズ1として留学生、旅行客、出稼ぎ労働者、帰化人に偽装して地上部隊を送り込む。開戦に先駆けて各地でテロを行い、警察の捜査能力を分散させると同時に国内の情勢不安を煽る。国家戦略に卑怯と言う言葉は無い。裏をかくのは常套手段だ。
日本政府が背乗りや土台人などの間接侵略に有効な対策手段を打つ前に1999年7月、海を渡って奴らは攻めてきた。大陸を支配するチャンアルー機械化共産主義帝国と、対馬の北に存在する傀儡国家のシベリア人民共和国だ。
この時、隠岐諸島に展開する隠岐警備隊は防衛省公刊戦史の「隠岐諸島方面作戦(1)」によると連隊戦闘団に分類されているが、NATO基準では機甲戦力を持たない軽歩兵大隊でしかなかった。警備隊は即応予備自基幹の4中隊を合わせてNo中隊4個と警備隊本部、本部管理中隊の約700名で構成される。機関銃、小銃、無反動砲、迫撃砲しか装備はない。
チャンアルー帝国と日本国の間で発生した隠岐諸島領有権問題の結果、領海・領空にチャンアルー帝国軍が出没するに至り、開戦前、隠岐警備隊に森山慎一一等陸佐が着任して最初に行ったのは敵の上陸が予想される地域への地雷の埋設、備蓄燃料、弾薬の補充要請だった。直属の上司に当たる第13山岳歩兵旅団長の高柳政男陸将補は、森山1佐の要請を妥当と認め、中部方面軍総監の高橋新一陸将に上申した。これに対して高橋陸将は「敵の予測される侵攻は、南西諸島、対馬、九州だ。脅威度はそこまで高いとは思えんが?」と否定的だった。
高柳陸将補の第13旅団は九州に敵が侵攻した場合、九州の西部方面軍応援に向かう事になる。隠岐警備隊は独力で隠岐を守らねばならず、もし隠岐が抜かれ場合は無防備な横腹を敵に晒す事になってしまう。その事を訴えると「第3機械化師団と第10機甲師団が後詰めとして向かう」と切り捨てられた。
考えすぎと言う事はない。平時から有事に備えるのは当然の事だ。だが理解は得られなかった。13旅団司令部としての対処要領は、隠岐警備隊の後詰めとして鳥取県米子市の米子駐屯地、そこに駐屯する世界最強の第8普通科連隊を指定する位しかできなかった。
一方、チャンアルー帝国はシベリア共和国軍海兵隊とチャンアルー帝国人民解放軍海軍陸戦隊によって迅速な隠岐諸島攻略を計画した。空爆や空挺による侵攻は敵に察知される可能性が高い。迅速な制圧は快速部隊の投入しかない。チャンアルー帝国軍のアン少将を指揮官にゴル上校、シベリア共和国軍からモア大領の三人が刺客として送り込まれた。
帝国中央軍事委員会主席である皇帝は国務院の閣僚が集まった会議で、「作戦名は小日本征伐大作戦だ」と軍事行動が始まった事を発表した。「きっと作戦は大勝利に間違いありません」と、高官は一斉に起立し拍手喝采した。
◆
第一報は西ノ島に外出していた隊員からの電話だった。
その日、3中隊は当直幹部に足立修一1曹、当直陸士に村上満宏士長が上番していた。ちなみに中隊長要望事項は季節に合わせて健康管理、火災予防である。
「はい3中隊当直足立1曹です」足立1曹が当直室の電話に出ると受話器から怒鳴り声が聴こえてきた。
『班長、市川3曹です。西ノ島にチャンアルーの兵隊が上陸して来ました』
咄嗟に足立1曹の頭が回らなかった。市川はパチスロをすると今朝早くに外出をしていた事を思い出した。そして言ってきたのはチャンアルーの上陸。「は、チャンアルー?」と言ってしまったのも平和ボケで仕方がなかった。
チャンアルー帝国軍、シベリア共和国軍が投入したのは水陸両用部隊──海兵隊である。ただし強襲揚陸艦や輸送艦を投入してはアジア最強、多分それなりに無敵の海上自衛隊に迎撃されてしまう。そこで民間船舶に偽装して民間航路を通過する事で隠岐諸島に侵攻したのであった。
チャンアルー帝国では初代始皇帝の指が3本しかないことから3と言う数字を大切にしていた。伝統的に、チャンアルー帝国軍は3単位編成を伝統としており、1個師団は3個旅団を基幹にその他各種部隊で編成されている。戦場では2個旅団を第一線に展開させ1個旅団を予備隊として運用すると言う形だ。
今回、チャンアルー帝国軍は距離的問題から1個大隊を、シベリア共和国軍は第一線に投入される事から2個大隊が選抜されて来た。さすがにRO-RO船の様な物を動かせば注目を浴びるので、輸送には極力くたびれた船が選ばれている。
偽装輸送船は海上自衛隊の目を眩ましたが、日本では外国の船が入港前に海上保安庁の検査を受ける決まりがあった。隠岐海上保安署から巡視艇がやって来る。「畜生、皆殺しだあああああ」緊張感に耐えきれずシベリア共和国軍の士官は叫んでK3機関銃を取り出した。部下もそれに続く。
「ちょ、お前ら、待て!」慌ててチャンアルー帝国軍の連絡将校が止めるが、激しい銃声と共に巡視艇は爆発炎上し撃沈された。「あ~あ……やっちまいやがった……」
この後、慌てて上陸を始めたチャンアルー帝国軍、シベリア共和国軍だった。入港したシベリア共和国の自動車運搬船にはK-21歩兵戦闘装甲車やK200装甲車の各種派生系が搭載されていた。チャンアルー帝国軍もフェリーから部隊を下ろしている。
西ノ島を制圧した敵は中ノ島に向かいつつあった。警備隊は目と鼻の先とも言える隠岐諸島最大の島である隠岐の島町の中学校裏山に駐屯している。隠岐の島町への侵攻は中ノ島を制圧してからになると考えられた。
本来、自衛隊とは国民を守る存在だ。西ノ島は敵に制圧されて中ノ島島も脅威に曝されている。だが大事の前の小事を見過ごする事は許される。隠岐警備隊の任務は隠岐諸島の防衛であり、本土からの応援到着までの時間稼ぎだった。
「駐屯地が襲撃を受けなかったのは幸いだったな」
武器庫から84mm無反動砲、5.56mm機関銃MINIMI、89式5.56mm小銃、P-SAM、12.7mm機関銃等を搬出している様子を見ながら森山1佐は呟いた。モータープールでは車両に偽装網をかけて出発準備が急がれている。
「そうですね。ゲリコマの襲撃ぐらいはあるかと思いましたが」2科長の太田将貴3佐も同意する。
4中隊を除き充足率はほぼ100%。一個中隊は4個小銃小隊と迫撃砲小隊、中隊本部で構成される。4中隊の召集は間に合っておらず現在、常備自衛官のみなので警備隊の予備隊として運用する。
「敵は別府から西郷の航路を使ってやって来るか、あるいは途中下車で蛸木に上陸して来るかはわからん。3中隊はあいらんどパークに前進、陣地占領し蛸木方面から来襲する敵に備えてくれ。警備隊主力は隠岐空港の防衛に当たる。空港の確保がこの戦争の焦点になるだろう」
「了解しました」そう答えるのは第3中隊を預かる井上明彦1尉で、前任者が部内移動をし中隊長の職責を引き継いだばかりだった。
井上が作戦室から中隊の事務所に帰ると、若手幹部に詰め寄られた。
「中隊長、国民の生命財産を守る事は自衛隊の使命です。隠岐諸島をチャンアルーの連中が欲しいと言うならくれてやれば良いじゃないですか。無抵抗な者を彼らも襲ったりはしないでしょう。日本は裕福なんだし、住民や隊員の生命を守れるなら安い物です」そう言う北潟谷仁3尉は反戦自衛官だ。
この非常時に何を寝言を行ってるんだと井上は怒鳴りたくなったがこらえる。
「北潟3尉──」事務所に居た全員の視線を感じながら井上が北潟に声をかけた瞬間、「この馬鹿野郎が!」と運用訓練幹部の久保木信也2尉が北潟を殴った。
「お前はチャンアルーの手先か。ふざけるな!」久保木2尉の家族は西ノ島で暮らしていた。今すぐ家族の元に駆けつけたい気持ちを圧し殺していた久保木にとって北潟の言葉は許せる物では無かった。拳を振るう久保木を唖然として全員が見ていた。
「やっ、止め」懇願する声にはっとなった陸曹達が「久保木2尉、それ以上は不味いです!」と止めにかかる。
出発前のごたごたを井上は見なかった事にした。営内待機をさせるにしても北潟の言動から信用できない。手元に置いておく方が、まだ目も届くし安心出来ると言う判断だった。
◆
チャンアルー帝国の国旗とシベリア共和国の国旗が掲げられた西ノ島町役場。そこに隠岐諸島解放軍の司令部が開かれていた。本作戦を全般指導するアン将軍は、手元のシベリア海兵隊2個大隊の内1個大隊をゴル上校に指揮させ、残る1個大隊をモア大領の指揮下に置かせていた。計画通りに隠岐諸島の占領が完了すれば、後続部隊として到着予定の武装警察部隊と交代する事になっている。
(勝っても負けても今日一日が勝負だな)
奇襲の効果は、最初の一撃でどれだけ戦果拡張に繋げるかにかかっている。
(ここまではほぼ無血占領だった。だが、現地協力者からの情報によると小日本軍は東の島に駐屯している。油断はできん)
役場で手に入れた詳細な地図を確認していると「失礼します」と部下が報告に来た。
「漁船が数隻、制止を振り切って逃亡しました」
別府交通センターの制圧に向かった部隊から島民の拘束に失敗したとの事だった。
(既に日本側にはこちらの攻撃が知られているだろう)
多少逃げられたとしても、体制が整う前に自衛隊を撃破し全島を占領すれば良いと判断を下した。
逃げ出した漁船は三隻。少なくない避難民を乗せている。その中には市川3曹の姿もあった。
「ははは、奴等追ってこないぞ」海に出て振り切った事で軽口を叩く余裕さえあった。船は最寄りの港である津戸を目指した。
◆
小林弘典士長は外出時に外で買ってきた私物の自転車を漕いでいた。一人での斥候だ。
あいらんどパークを陣地占領した中隊は、利便性の高い自転車を持って来る様に隊員に指示出していた。
「お、あれだな」
シベリア共和国軍の誇るK-21歩兵戦闘装甲車が荒波を割ってやって来る。K-21歩兵戦闘装甲車は世界最強の水陸両用車だと言われている。しかし何だか様子がおかしい様だった。
「へ、えっ!?」
小林の目の前で次々と沈む装甲車。ここまでやって来たが浸水は止まらず水没を前に、『チャンアルー帝国万歳、皇帝陛下万歳』と無線で最後の報告を流して居た。
「あ~先任、小林士長です。えっと、チャンアルーの装甲車が海を渡って来たんですが、途中で何だか沈んで行きました。ええ、全滅です」
敵にとっての悲劇はそれだけでは収まらなかった。
小林の頭上を戦闘機の編隊が通過して行った。翼に描かれたミートボールは遠目にも鮮やかではっきりと見えた。本土からやって来た航空自衛隊の攻撃が始まったのだった。
◆
日本政府は同盟国のアメリカ世界幸福追及合衆国と協議し、海南の中華民国政府を支援して大陸反攻作戦を行う事になった。
計画立案から参加兵力の動員、移動、集結まで僅か十日間。先進国の底力を見せつけた。
「先ずは隠岐諸島チャンアルー帝国の注意を引き付けてくれた日本国と自衛隊の健闘に感謝したい」
海南国防部軍令副部長チン中将が謝辞を述べた。蒋介石と国民党軍が海南島に逃れて半世紀、ようやくの反攻で海南軍は今回の主役だった。
連合軍はアメリカ太平洋軍司令部の指揮下で統一運用される。第1軍にはアメリカ及び海南軍が、第2軍にはアメリカ及び日本の自衛隊が参加する。
海南島から瓊州海峡を挟んで雷州半島に伸びる青い矢印が幾つもあった。「雷州湾より上陸した第1軍は湛江市を確保し、茂名、マカオ経由で香港に向かう」表示される編成と資料を見比べている間に説明は続けられる。広東省から地図は切り替わって、杭州湾を中心とした物に変わっている。「杭州湾より上陸する第2軍は上海、杭州周辺の確保に当たる。事後の行動は、第1軍が湖南、湖北と前進し西安を目指し、第2軍が南京から河北に向かい北京攻略に当たる」日中戦争の戦訓を省みて、広大な西にチャンアルー帝国指導部が逃れ戦闘継続する事を阻止するのが目的だ。特に紫禁城は、国共内戦の折に変形要塞として国民党軍の血を吸った魔の城である。激しい抵抗が予想された。
すまない。血沸き肉踊る決戦は無いんだ。なぜなら決戦前の回想だから。