序章 ―5―
ガチャッとドアノブを回す。幸い、中には誰もいないようだ。
百合は今日も1番最初に教室に着いた。いつからなのかは覚えていないが、百合は朝の教室にいるのが日課となっていた。
誰もいない教室。数分後には、多くの人でいっぱいにあるのだ。その矛盾とも言えるこの空間が気に入っていた。
百合の席は窓際の1番後ろ。本当は前から2列目だったのだが、視力が悪いクラスメイトと代わったのだ。
自分の中だけだと思うが、窓際の1番後ろという席は浮いているように感じた。この『浮いている』というのは悪い意味ではない。教室にいるのにいないように感じる。
百合にとっては居心地の良い環境であった。
窓の外を見れば、多くの生徒が登校している。門から送迎スペースまではちょっとした渋滞になっていた。
「全く、校門付近で降りればこんなことにならないのに」
「本当にそうだね」
独り言に誰かの言葉が足された。声の主を確かめるべく百合は振り返る。
するとそこには微笑みを絶やさない、噂の生徒会長がいた。少し驚いたが、百合はなんてことない振りをして話す。
「あら、生徒会長さん。ここはC組よ、A組はこの先2つ目の教室」
そう言うと、出口を指差した。早々にお帰り願いたいものだ。
しかし、朝から他クラスに入ってくるなんてどんな会長だ。百合の言葉に義之は、もう一度ニコリと笑った。
何だか裏がありそうで、少し構える。その様子を見た義之は言った。
「そうだね、ここは確かにC組だ。だけど、僕は今日、C組の生徒を見に来たんだ……そう、君のことをね」
今にもウィンクでもしそうな勢いに、私は一歩、いや三歩後退りした。いや、ここで負けちゃいけない。
百合はまっすぐに義之を見つめる。瞳の中で黒い部分が多いからか、見つめるだけで睨んだと思われることも多々ある。
「それで、私に何の用かしら?」
相手が生徒会長だからといって動じない。生徒会長とは言え、自分と同じ学年の生徒だ。
端から見たら、何という態度をとってるのかと咎められるかもしれない。だが、百合にとってはそんなものは気にならない……いや、気にしないと言った方が良いかもしれない。
「だから用事は『君を見に来る』ということだから、もう済んだよ。うん、僕が思った通りの女性だ」
それだけ言うと、義之は教室を出て行った。一体何だったのか。朝からすっきりしないことばかりで嫌になる。
その日の放課後、百合はいつも通り図書館に寄った。返却期限の迫った本があったからだ。
読んでいたシリーズもこれが最終巻になり、次は何を読むか悩んでいた。現代物よりも古典が好きなため、読みたい本は限りない。
カウンターで本を返し、新たに本を探そうと検索機まで行く。しかし、そこには見知った顔があった。
「優太」
「ゆ、ゆゆゆ百合っ!!」
そっと声をかけただけなのだが、まるで化け物にでも会ったような反応だ。
「……静かにして、ここは図書館よ」
百合の言葉に、優太は自分の口元を自分の手で覆った。今更、そんなことをした所で何も変わらないとは思うが。
そう言えば、優太は朝からおかしかった。いきなり『生徒会はどうか?』や『会長に対してどう思っているか?』なんて、普段なら絶対に口にしないことを聞いていた。
「優太、朝のことだけど」
百合がそう言えば、優太は目の前でピンッと背を正した。そして立ち上がり、いそいそと図書館から立ち去った。
『一体何なのよ』
ここが図書館でないのなら、大きな音を立てて地団駄を踏みたいくらいだった。しかし、優太の行動は明らかに不自然だ。
一体何があったのか。百合には想像も出来ない。今の出来事で一気に気分が削がれた。
『もう帰ろう』
こんな気分じゃ本を探す気にならない。本に対しても失礼だろう。そう思い図書館を出た。
時刻は午後4時。部活に勤しむ生徒の声が聞こえる。自分は何の部活にも所属していないため、時折あんなに夢中になれることがある人を羨ましく感じることもあった。
だからと言って、何かをしたいわけではない。自分で言うのも何だが、成績も上の中という何事もそつなくこなしてしまうからだ。
飛び抜けた才能がなければ、人間物事に熱中出来ない。我がなら見事な格言だと思う。
なんなら、書にでも記して桐箱にでも入れて保存しておこうか。何代か先の子孫がそれを見つけて家宝して扱ってくれるかもしれない。
「何を考えてるのかしら」
自分自身の想像力に、少しの笑みがこぼれた。大して面白くないことで笑うなんて、自分は疲れているのだと思った。