第一章 始まり ―7―
本当に嫌になる。なぜ、自分がこんなに振り回されなければならないのか。
百合はたった今、出てきたばかりの校舎を見つめた。本当だったら今頃は授業を受けているはずだ。
確か今日は昨日の続きだから、きっとテストに重要な部分をやるはずだった。……紗英にノートを見せて貰わなければならないだろうな。
こんなことになったのも全てあの生徒会のせいだ。何がなんでも文句を言わなければ気がすまない。
教室から聖泉館までは歩いて5分程。朝は授業に間に合わないと思って走ったが、今はもう急ぐ必要はない。
寧ろあの場所に着きたくないくらいだ。周囲を見回しても、こんな時間に登校してくる生徒なんて……。
「いた」
目の前に気だるそうに歩く男子生徒が1人。何よりも、百合も知っている人物だ。
『青山要』、生徒会会計。聞こえは良いが、彼に付きまとっている噂はそれだけではない。
自由奔放の言葉通り、授業をサボる、女遊びが激しい。だが、なぜか生徒会を首にならない。
そんな人物がこの時間に登校とは、やはり噂通りの人物なのだろうか。
しかし、要は校舎には向かわず、聖泉館の方へ歩いて行く。生徒会役員は、本当に授業に出なくても良いらしい。
「ねぇ、君」
「……なに?」
百合の数メートル先を歩いていた要が振り返る。それは、女子ならコロッといってもおかしくない笑みだ。
爽やかではないが、危険な香りを含んだといえば良いのだろうか。そんな印象を受ける。
「どうして僕の後を着いてくるの?僕のファンかなにか?だったら……」
「いいえ、全く、全然違うわ」
要の言葉を遮り言う百合に、要は苦笑いだ。そして、ゆっくり百合に近づいてくる。
目の前で立ち止まり、互いを見つめること数秒。突然、要は『あっ』と百合に指をさした。
「君、姫になる子だよね?」
「……違う、これからそれを撤回しに行くの。でも、その前に」
百合は自分の目の前に突き立てられた指を掴んだ。
「人に指さしちゃいけないって習わなかった?」
その指を下に降ろした。自分の全てが正しいなんて思わないが、初対面の相手に対して失礼ではないか。
いきなりのことに驚いているようで、要はポカンとしている。だが、そんな時間は長くは続かず、反対に百合の腕を掴んだ。
「……何してるの?」
いきなり人の腕を掴むなんて失礼にも程がある。百合は睨み付ければ、それに伴うように深い笑みに変わった。
何故いきなり笑い出すのか。今さらだが、この生徒会は変人が多すぎると思う。
「君、面白いね」
「面白くないわ」
「いや、面白いよ。少なくとも僕にとっては、ね」
そう言うと、要はずんずん歩き出す。それだけならば構わないのだが、百合の手を掴んだままだから困る。
『ちょっと』とか『待ちなさい』と引き止める百合の言葉を無視して、歩き続ける要を止めることは出来なかった。
「なに、さっきからギャーギャー。姫なら、大人しくしていた方が良いんじゃない?」
「……私、姫になった覚えなんてないわ」
百合の言葉に、要は『あっ、そう』と予想外に受け入れたようだ。これで一段落、と思ったがそうではないようだ。
目の前には聖泉館の扉が待ち受けていた。少し考え事をしているうちに到着してしまったらしい。
ここまで引っ張って来た要は『じゃあ行こうか』と、腕を掴んだまま扉を開け、エントランスへ入った。中は朝とは変わらない。
「よーしーゆーきー、いる?」
ダルそうに声をかける要に、百合は『そんなに大声出さなくても』と呟いた。本当に面倒なことになったと思う。
一向に掴んだ手は離して貰えず、ここまで来たら痴漢で訴えられるのではないかとさえ思える。
「要、今日は早いね……って姫」
要に気を取られていたかと思いきや、百合の姿を見るやすぐに近寄ってきた。先ほど、あれだけ『後を追わない』なんて言ったのに早々の再会だ。
だが、寸前の所で義之を片手で制した。
「要、何のつもりだい?」
「義之、聞いたよ。まだこの子、姫になることを了承したわけじゃないみたいだけど」
軽い口調だが、しっかりとした意志を持った言葉。口元はニヤリとしているが、目は真剣だ。
先ほどまでの飄々とした態度とは違う要に、百合は少しだけ見直してしまった。人は噂や見た目で判断してはいけないと心の中で詫びた。
「確かに、彼女はまだ自分を姫だとは認めていない。だが、これは生徒会の決定だ。何人たりとも覆すことは出来ない。それに、要。君だって『生徒会の意志に従う』っていうメールを朝貰ったばかりだけど」
饒舌な要の口調に雲行きが怪しくなって来たのは言うまでもない。