1 ヒトリゴト。
この世界には二つの大陸がある。そのうちの一つ、東側の大半を占める神教大国、エクストゥーリア。
その隣国にして、西側の大半を占める軍事帝国、オーディアス。
二つの国は長き間争っていた。
一方は自国の名誉と平穏の為に。
一方は自国の発展と強大な力を手にする為に。
だがその争いは数百年前、突然途切れた。
大国側に今まで無い力を手にした者が現れ帝国軍を一掃。帝国は停戦を求めた。
もともと略奪意欲の無かったエクストゥーリアはこれを受け入れ、いくつかの案を帝国に飲ませ双国は和解。今より五百年以上前の事だ。
この大戦を止めた者。記録ではただ一人の若者だったという。それ以外の記録は残っていない。戦時中突然現れ、終戦後忽然と姿を消したのだ。
どの記録を見ても、詳しい事を書かれたものは無い。彼を記したものはどの記録でも一文だけだった。
『彼は神に愛された存在、神子であった』、と。
この世界で、真名は命の次に守るべきものだ。
真名にはその者を縛る力がある。よって、真名は特に親しいもの……両親や良くて兄弟くらいしか知りえない。普段は仮名で呼ばれる。
他者に真名を知られる、それは真名を奪われるということだ。この世界では真名を縛り、自由を奪う術がある。
おとぎ話のような魔法はこの世界には無い。確かに昔はそれに似た術を使う事が出来る民がいたらしいが、今はもういない。
しかし、真名を縛る術はどういうわけか世界に広がり、権力者といった一部の者はその術、【隷属の儀】と呼ばれる術が使える。俺が属するこの国では確かにその術は伝わっているが禁忌とされ、使われてはいないらしいが、噂ではこの国と敵対している帝国では今尚その術が使われている、と言われている。
だがこの国での真名は他国以上の意味がある。
この国には神が存在する。
神の導きによってこの国はもう長い間戦争が起こっていない。確かに隣に位置する帝国とは和解というのは名ばかりで、未だに睨み合う冷戦状態ではあるが現時点では血を流すような争いはおこっていない。
そして神の代行人とされているのが『使徒』と呼ばれる一族で、一族全員が神の言葉を聴く事が出来る。その中でもっとも神の言葉を聴ける者が神の代行者として国を運営することとなる。代行者は男性は神官、女性は神子と呼ばれ、現在この国を導いているのは神子様だ。
それ以外の『使徒』は地方に散らばり、生まれた子に神から授かった真名を伝える。
そう、この国の国民は全て神から祝福されるのだ。
神から与えられた真名には加護の力があり、それぞれに最も適した加護が与えられる。
とある者は戦場の最前線を突き抜ける雷を纏い。
ある者は人々を守る盾を持ち。
またある者は傷付いたその身を癒す力を持ち。
この国の全ての民は神より自身のみならず、他者の為となる加護が与えられるのだ。
そして神から最も愛される者も存在する。
神から愛された者は愛されたゆえに加護も特別なものだ。
神に愛された愛しき子は『神子』と呼ばれ、極僅かに残っている過去の記録を見ても歴代の『神子』達の加護は異質なものが多く、中には失われたはずの術を使う事が出来る者もいたらしい。
この国にとって神は絶対。
人々は神から真名を授かり祝福され、人々は真名に記された運命を歩む。
それがどんな運命だろうと人々は受け入れる。
この国で不幸を実感する者はほとんどいない。国民のほとんどは普通の幸せで満足し、それ以上の幸福を手に入れた者は己の幸運を神に感謝する。
そして俺は、普通の『シアワセ』すら許されないようだ。