◆9話◆静さんの嘲笑
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別に構わないが、………やはり私がお風呂を沸かしたりするのかしら?
料理も?どうやって?
こんなに困ったのは久々の事態である。
私は移動中の車内で、ずっと黙り込んでいた。
しかし杞憂だった。
到着は夜中になったが、別荘番の安村夫妻が気を利かせて入浴の準備を整えてくれていた。
いきなりの訪問だったにも関わらず、掃除が行き届いていた事にも、私は満足した。
「明日の朝食も頼めるかしら?」
「勿論でございます。」
安村夫人の返答に私はとても安堵したが。
「材料は揃っている。必要ない。」
彼は冷蔵庫を覗いて、そんな事を云った。
おまけに。
「日曜の夜まで滞在するが、その間は来なくて良い。」
等と続けた。
私は呆然として、言葉も無かった。
どんな嫌がらせかと思った。
安村夫妻が帰った後、私は尋かずにおれなかった。
「あの……私が………作るんですの?」
「作れるのか?」
「……いえ。」
「なら云わない事です。心配しなくても私が作る。」
侮蔑の眼差しが痛かった。
どうせ家事ひとつ出来ない女だ。
否定はしない。しないが。
ムカついた。
しかしここで反論しても、自分の無能に恥を上書きするだけだ。
ぐっと堪えて、私は感心した様に云った。
「まあ。お料理が出来るんですの?」
「ええ。庶民の出ですのでね。」
なんてイヤミな男だろう。卑下する振りで、特権階級を莫迦にしている。
自分もじきに仲間入りする癖に。
ムカムカし乍らシャワーを浴びたが、ガウンを羽織って出たところで、足が止まった。
「長湯ですね。待ちくたびれた。」
ブランデーグラスを傾け乍ら、彼が嗤った。
口元に浮かぶ微かに笑みは、友好的とは言い難い。
何の為に待っていたかは訊かなかった。尋ねる迄もない事だった。
招待状の返事も総て届いた。来月には彼の妻になる。今そうなっても、非難する者はいないだろう。
私はそう考えつつ、彼の許に足を向けた。
一歩。
歩を進める毎に、戸惑いが胸を掠める。
息が止まりそうだと感じる。
恐れるつもりなど無かったが、やはり少し怖いのかも知れない。
――何が怖いのかしら?
説明し難い抵抗感を覚えて、自分自身に問い掛けた。
「嫌そうですね。」
嘲笑されるのも無理はない。
私の怯えを嗅ぎとったのだろう。プライドが頭を擡げ、私は恐怖を抑え込んだ。
差し出された手を取って、寝室に向かう。
傲然と顔を上げ。けれどやはり恐ろしかった。
これは多分、未知への恐怖と云うものだ。花嫁養成学校と呼ばれるだけあって、ヶ峰には婚約者がいる女性は元より、籍をいれた生徒さえ存在した。彼女達の話題の中に、初夜への不安を訴えるものがあった。
正直云うなら、内心莫迦にしていたが、これは確かに怖い。
理屈ではないのだ。
口付けは乱暴だった。
そして執拗だった。
餓えと渇きを癒す様に、貪る様なキスだと思った。
触れてくる手も同じ。
しつこくて、優しさの欠片も無かった。
確かに求められているのに、同時に憎まれているのを感じた。
それは、少し哀しかった。
痛みに引き裂かれて私は泣いたけれど、もしかしてそれは快楽の所為かも知れない。
容赦のない責めは、初めてなのに、私に声を上げさせた。感じずにはおれない、執拗な愛撫だった。
泣き乍ら………私はいつの間にか眠っていた。
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