◆父から見た娘2◆娘の淡い初恋
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「海島の総領がお前と結婚したいそうだが、どうする?」
弥也子は一瞬、眸を瞠った。そのままゆっくりと瞬きをして、微笑した。
「海島家は、御次男に後を継がせると?」
「ああ。」
流石に理解が早い。
感心するより呆れてしまった。
しかも、それは海島の長男がどれほど弥也子に執着しているかを、自覚している証でも有る。
「わざと……惚れさせたのか?」
「まさか。それこそ次男なら考慮の余地はございますけれど、跡取りに興味を持っても意味が有りません。」
11才の娘に云う台詞では無かったが、当の娘は気にした風もなく応じた。
そして、実際には「意味」が有った事に苦笑して見せた。
「海島も思い切ったものですわね。アチラのご当主夫妻は、そう御若い訳でも無いでしょうに。」
「まあなあ。だが、今はともかく、直に塩野は海島を凌ぐ。それを考えれば悪くない話だと計算したんだろう。」
弥也子は少し思案する眼差しだったが、うすく笑って頷いた。
「そう。確かに悪くない話ですわ。こちらにとっても。」
「海島の息子は出来が良いと云うが、実際はどうなんだ?」
弥也子は愛らしく首を傾げた。
「そう。確かに出来は良い様子ですわね。精神年齢も高く、周囲が莫迦に見えて仕方ないでしょうに、天狗にも成らずに子供達と遊んでやっている……と云う印象ですわ。」
「…………お前が云う台詞じゃ無いがな。」
弥也子はニッコリと笑った。
相変わらず天使の様だと思わずにいられない笑顔で、コロコロと笑声を上げる。
高く澄んだ笑い声は、無邪気で愛らしいとしか云い様が無いのだが。
口にする台詞は相変わらずだった。
「似た者同士と申し上げるべきかしら。ある程度は本音で付き合えますし、気楽では有りますわね。」
「ふうん。で?好きか?」
その質問には明瞭な解答は得られなかった。
「さあ。考えた事もございませんけれど。恋の類いの感情なら、正直理解出来ないとしか………。」
「恋は解らないか?」
弥也子はコックリと頷いた。
あどけない仕種だが、これだけ成熟した娘が恋にだけ疎いのは、先ず自らを律するからに他ならないだろう。
「あのな、弥也子。恋のひとつもしておいた方が良いぞ?」
「必要かしら?」
したくなくても、してしまう事も有る。いきなり恋愛にうつつを抜かして、自分がコントロール出来なくなるよりも、多少は耐性を付けた方が良いだろう。
しようと思って出来るものでも無いが……と、恋愛が必要な理由を説明すれば、弥也子は頷いた。
「ならば、もう少し様子を見て、省悟に恋をする様に努力してみます。」
「……努力か。」
「しないよりマシですわ。」
それはそうだ。
しかし。
「様子を見て?」
「今まで考えた事がございませんから。婿候補としての観察と採点を。」
11才……の自分はどんな子供だっただろう?
私は自分の子供時代に思いを馳せた。
「ですが、婚約に否やはございませんわ。」
「恋をするかは考えるのに?」
眉を寄せると、弥也子が苦笑した。
「判断を誤る元は、省くべきですわ。それに、冷静な操縦が不可欠と見るならば、恋心は邪魔な気もしますわね。」
少女の声が、らしからぬ計算高さを覗かせた。
「あのなあ、弥也子。」
「はい。」
「お前は言葉を惜しむキライが有るな。」
「………自覚しないではございませんが、問題が?」
「弥也子が省悟くんを好きだと私には判る。」
弥也子は嫌そうな顔をした。
「だがなあ、弥也子の話し方だと相手は誤解する。」
「?」
「弥也子は、省悟くんならいつか愛せると考えるんだろう?」
怪訝そうに、弥也子は頷いた。
「だが、今のままだと、家の為に好きでも無い男と結婚する娘に見える。しかも計算高い。良くないなあ。良くないぞ。」
弥也子は苦笑した。
「省悟はそんな、愚かで鈍い男には育ちませんわ。」
恋を理解しないと云い乍ら、恋する男を自慢する娘にしか見えない笑顔を弥也子は浮かべた。
娘の倖せな未来を確信した瞬間だった。
そして婚約したが。婚約期間は4年で終りを迎えた。
海島省悟の弟が事故で死亡した為だった。
普通なら有り得ない死に周囲は騒然としたが……もちろん絶対無い等とは誰にも云えないし、実際起きてしまった。
娘は溜め息ひとつで、その事実を受け入れた。
恋を、していたのか。しないまま、終わったのか。
私は聞きはしなかった。
ただ、娘が残念そうだとは見て取れて、柄にも無く……私は娘に婚約を奨めた事を少し後悔した。
本人は自覚しなかった様だが、暫くの間溜め息が増え、時々寂しそうな表情が娘の顔に浮かんだ。
4年の歳月は、幼い娘が女性の顔を見せる迄に成長する長さが有った。
それでも、まだ15才だ。充分にやり直す時間は有る。
週に二回。海島省悟と弥也子は食事を共にした。
子供達の仲を取り持つ目的で、と云うのが建前だが、実際は弥也子にベタ惚れの海島の息子が強請った事だった。
海島の息子は自分ばかりが弥也子に執着していると感じていた様だったが、そんな事は無い。
弥也子も毎週楽しそうで、世間で云われる様に『初恋を叶えた美しいカップル』が生まれるのは……間違いないと思えた。
もちろん、弥也子に聞いてもはぐらかすばかりだったが、娘が海島に惹かれる様子は、私には明らかだったのだ。
微笑ましい幼いカップルが、そっと口付けを交わす場面さえ、私は見て見ぬ振りをした。
それ以上はダメだぞ?
思ったが口にはしなかった自分を褒めたものである。
もし口にしたならば、娘からは軽蔑どころでは無い冷え切った眼差しが返された事だろう。
弥也子は口では大人びた事を云うし理解を示すが、その実かなり潔癖な少女だった。
例えば加那子ならば、夫に愛され自分も素直になれるならば、過去を水に流しもするだろう。
だが、弥也子は自分に否が無い故に、相手にも厳しい。いや、他の事では寧ろ自分に厳しく相手に甘いくらいなのだが………多分、海島の息子は浮気などしたら、一見優しい笑みでどんな立場に置かれるものか。
静かに怒る娘が容易に想像出来たが、その怒り故の失敗さえ娘はしないだろう。
娘は「切り捨てる」か「許す」かを瞬時に計算する女に育ちつつ有る。
許す場合も、決して次の過ちが起きない様に行動する。
海島は二度と浮気など出来ないだろう……などと、最初の過ちも無いうちから考えたのは、弥也子が随分と海島を評価するからだ。
奴も一度。
弥也子の軽侮に満ちた冷ややかな眼差しを、存分に浴びるが良いのだ。
そんな嫉妬とも心配ともつかぬ感情も、不要になってしまった。
私は娘が気に掛かり、珍しく屋敷に滞在したが、娘は親の気も知らず私を邪魔だと思った様だった。
別に邪険にされても構わなかった。娘が少しでも元気になるなら。
次は、健康なのはもちろんだが、柵の無い男を選ぼう。
そう考えた。
上の娘の結婚生活は、余り上手く行かない様だが、下の娘の事で心配した事は無い。
思えば弥也子は手の掛からない娘だった。
母親ベッタリの娘だったからと云うのも有るだろうが、元来我が儘な性質でも無く、大概の事は自分で解決する様だった。
人を使うのも上手く、使用人達は私より弥也子の言葉を重く見る傾向さえ有る。
海島の息子も、幼い乍らも面倒なタイプだと聞いたのに、弥也子は掌の上で転がしていた。
どんな男を選んでも、その男は弥也子に夢中になるだろうし、弥也子が下手を打つ事も無いだろう。
実際に。
16才になった弥也子に奨めた男は、恐らく加那子が相手なら選ばなかっただろう。
それこそ切れ過ぎるキライが有り、傲岸不遜な性質は、加那子には御し切れないだろう男だった。
だが、弥也子なら何ほどの事も無いだろう。
手も無く夢中にさせられる男の未来を想像した。
そして、これが一番重要だが、もちろん弥也子が好ましいと思う男を厳選したのだ。
弥也子の好みは加那子と違って判り難い。正直大変苦労したのは、娘の好みを把握する事だった。
それ迄に却下された婚約者候補は引きも切らない。
海島の息子以上に弥也子が気に入る男を探した。
それは、もはや戦いだ。弥也子が頷く相手を探して見せる。私は多少意地になっていた。
二人を逢わせた日。帰宅した私は、弥也子が婚約を了承した事で、その戦いに勝利を収めたのだ。
「嬉しいだろう?西園寺くんは弥也子のタイプだろう?」
勝ち誇るまま聞いたのは、余計だったかも知れない。
弥也子の眼差しは一瞬軽蔑を宿した。
パパはちょっぴり傷付きました。
西園寺静の、その傲岸なまでの性質を、弥也子が気にもしない風なのは思った通りだった。
しかし……考え難いが弥也子でさえ、あの男を従えるのは難しいのか、それとも変える必要を認めないのか。
相変わらず、男は不遜な態度を崩す事も無いらしい。
使用人から案じる声も有った。それでも、私は心配など不要と断じた。
弥也子に任せておけば間違い無いと、当たり前の様に考える己は、やはり親莫迦炸裂なのか……それとも、それだけ娘が頼もしく育ったと考えるべきか?
手の掛かる加那子も可愛いが、どんなにしっかりしていても弥也子も可愛い娘だった。
心配はしてしまうが、何だかんだで、加那子はあれで倖せな気もする。
心配はしていないが、弥也子にも倖せになって欲しい。
弥也子は自分では然程では無いと考える様だが、情の強い娘だった。
私は娘達が倖せになれる相手を選んだ積もりだ。しかし結果が保障出来ないのも、また確かな話ではある。
結局、出来る事と云えば。
ただ、娘二人の倖福を祈るばかりだった。
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