◆父から見た娘1◆やはり愛らしい天使
サイドストーリィです。
弥也子の最初の婚約が破棄されるまでを、父親目線で語ります。
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小賢しいのはイケない。賢しいと云われるのも微妙だ。賢いなら良いが……他人の娘を小賢しいだの賢しいだの云う訳も無くて、その総てを引っくるめて、賢いと云われるだろう。
とは云え、うちの娘は本当に賛美されている。賢くて愛らしい、天使のような娘だと云われる。
私は人を見る目には自信が有る。どうやら彼らは本気で云っていると見る。
さて。
私には娘が二人居るが、最初の娘を政略結婚の道具として、下の娘を残したのに他意は無かった。
最初は単に、私自身が未だ若く、跡取りの事を考える気にならなかっただけだった。
もちろん、殆どの人が納得していた。だが、そう受け取らない向きも有り、『下のお嬢さんの将来が楽しみだ』だの『やはり』だの云われれば、多少は意識をする。
そもそもは上の娘が中々評判の良い娘だったのだが、それよりも評価されたのが6つや7つの幼児と云うのは如何がなものか?
上の娘は、私から見れば後継ぎには出来ないが、子供に負ける様な出来の悪い娘では無い。
親莫迦なのだろうか………。
更に親莫迦と云われそうだが、下の娘は、しかし他人から見ても天使の様なと云われる娘だ。
それは、ふらふらと惹かれ、褒め讃える気持ちも解らなくは無いくらい可愛いのである。
他人が讃えるからには、これは親莫迦では無いだろう。
首を傾げてキョトンとした顔は絶品。
真っ直ぐこちらを見上げて、ニッコリと笑顔を見せる様は目眩がする程の愛らしさ。
そんな顔でお強請りなどされようものなら、何でも叶えてやりたい。
世界一可愛い娘だった。
だから、まあ、その延長かな……と思わないでも無かったのだが。
調度その頃、少しばかり娘を見る目が変わる会話が有ったばかりで。
少し……試して見ようか。と、そう思ったのだ。
「加那子は結婚を嫌がってたか?」
娘達は歳が離れている割に仲が良く、何でも話し合う。
だから弥也子に探りを入れたのだが。
「ええ。でも大丈夫ですわ。姉さまは結局の所、お父さまに逆らう事は有りませんもの。」
大きなウサギのヌイグルミを抱いた娘は、どちらが愛玩の対象か判らないくらい愛らしい。
だが口にされる言葉は微妙な気がする。
大人びた台詞を時々口にする娘ではあったが、深く考えた事は無かった。
子供は大人の真似をするものだからだ。
話を突き詰める必要も感じた事は無かったし、弥也子も特に続けないから気付かなかった。
「『姉さまは』って事は、弥也子は?」
追求してみたのは、周囲の高評価が、子供にはそぐわないものだと確認する為だったかも知れない。
「……?」
キョトンと、弥也子はこちらを見上げた。
やっぱり稚い可愛いだけの娘だと思った。
「違うのかな?」
「私は、自分が納得出来ない事なら従いませんから。」
「…………ええと。パパのお願いでもかな?」
「はい。」
いやいや。ドラマとかで、この手の台詞はよく使われる。
これだけで天才だ何だと騒いだら、私は本当の親莫迦になってしまうだろう。
少し考えた。
「でも加那子が嫁に行けば、弥也子のお婿さんがこの家を継ぐんだよ?」
「承知してますわ。」
言葉遣いは、この際考慮から外そう。これは母親べったりの娘だから、影響が強いのだろうと思う。
「お婿さんはパパが選ぶんだが、弥也子が好きになれるかどうかより、会社や家の事をパパは考えるよ?」
「はい。」
弥也子は何でそんな事を云うのか解らない。とばかりに首を傾げた。
「難しいかな?」
寧ろ微笑ましい気持ちで、私は弥也子の前にしゃがみ込んだ。
「いえ。そんな当然の事を、何故仰有るのかと思いましたので。」
「……当然?」
「はい。好悪の情より、家の役に立つ方を優先するのは、当然でしょう?」
小さな頭に延ばした手が止まった。
いや。まだ判らない。
私はジッと弥也子の大きな眸を視つめた。
特に気負うでも無く、当たり前の様に云われた台詞は、不思議そうな表情で愛らしく視つめてくる子供に似合うものでは無い。
「では加那子の結婚相手について、弥也子はどう考える?」
「良いご縁かと。」
参ったな。
大人ぶっているのか、本当に傑物なのか区別が付かないぞ。
「加那子の……恋人と比べると?」
弥也子は困惑を眸に宿した。
「元、恋人さんは、塩野の役に立つ方では有りませんから……考慮の対象に値しないと考えますが?」
はい。全くその通り。
困ったな……もしかして、本当にうちの娘は特別なのかも知れない。
いや。まだ母親の言葉を繰り返している可能性も有る。
「弥也子は……自分のお婿さんは、どんな人が良いと思う?」
「………。」
弥也子は微妙な表情をした。
言葉にするなら、何故今日に限ってこんなに質問責めにされるのか解らない………と云う顔だろうか?
うん。パパにも解らん。
弥也子は子供らしからぬ溜め息を零した。
「才能が有るに越した事は有りませんけれど……一番大切なのは。」
「大切なのは?」
弥也子は首を傾げた。
「分を弁えた方……でしょうか?」
「分?」
「はい。婿である分を弁えた方。例えば、塩野の力や財を自分の物だと勘違いしない……等の。」
「…………それは、大切だね。」
「はい。大切です。」
愛らしい我が家の天使が、私の中で、ほんの少し姿を変えた瞬間だった。
「弥也子は、嫌いな相手でも……家の為に結婚するんだ?」
しかし、その質問には、軽蔑の眼差しが返された。
「愛せるかどうかは、大前提かと思いますけれど?そんな考えですから、浮気など繰り返して家庭に不和を呼ぶのですわ。」
加那子からは浮気な父親を軽蔑して、散々詰る言葉や態度を向けられたが、弥也子からのそれは初めてだった。
「そうか……大前提か。」
私が呆然と頷けば、弥也子は嘆息して仕方ないとばかりに僅かな笑みを、唇に浮かべた。
「お父さまも、大変でしょうけれど、努力が不足していたと認めるべきですわ。………いつか、倖せになる為に、次は間違えない為にも、必要でしてよ?」
娘は、母親べったりの癖に、母親にも否が有ると認める様だった。
母親べったりの癖に、『次』の可能性を否定しなかった。
母親そっくりに微笑して、母親そっくりに理路整然と冷めた言葉を使う娘。
だが、母親とは全く違い、娘は『愛情』を有って当たり前の『大前提』だと云う。
母親とは違い、娘は私にも優しい言葉をくれた。
母親と同じ顔で、同じ聡明さで、『情』を否定したあの女とは、真逆の言葉を操る娘。
その母親が永く側に居られないと、理解している娘。
私は、何故だか少し……泣きたくなって、誤魔化す様に、弥也子を抱きしめた。
娘はスキンシップが嫌いな様で、多少抵抗したが諦めたように私の腕を宥めるように叩いた。
「男が簡単に泣くものでは有りません。」
「パパは泣いてません。」
「そうね。ちょっと混乱なさってるだけですわね。」
揶揄う様に、けれど優しい声で云う。それが幼いとさえ呼べる娘から発っせられた事を……私は、どう受け止めるべきだろう。
☆☆☆
だから、だろうか?
私は試した。
あの会話が有った日は、まだ確信した訳でも無かった。
小さな子供が、大人の真似をした。それにまんまと踊らされた、莫迦な父親役を私は演じたのかも知れない……と、そんな風にも思ったものだ。
足掻いた、と云っても良い。
未だ小さな幼い娘。
可愛いだけの、私だけの、愛らしい天使だと思いたかった。
上の娘が嫁ぎ、暫くして。妻が亡くなった。
若く見えても、実はかなり年上だったし、そんなに永く生きたいと考えてくれる女性でも無かったから………仕方ない。そう私は考えた。
延命を望まない妻を、恨めしく感じた事も有るが、こればかりは強制出来る訳もない。
弥也子が7才になって間もない頃だった。
妻は人間嫌いの気も有り、殆ど自室に篭っていたが、娘となら対話を楽しんだ。
メイド頭と執事長は永く妻に仕えた事も有り、他にも数名の気に入りの使用人が妻の部屋に出入りを許されていた。
一番、妻から……その部屋以上に「心」から閉め出されていたのは、多分私なのだろう。
妻は聡明な女だったから、出入りする使用人とのやり取りで充分に家の采配を熟した。
私が手出しする事は許されていなかった……と云っても良い。
だが、妻が亡くなった後は、私と娘しか主は居ない。
上の娘が嫁いだからには、私と7才の幼い娘のみである。
当然の様に、執事に指示を仰がれたが、戸惑ってしまった。
妻が、手出しを望まなかった事を考えると、家の事に口出しするのは躊躇われたのだ。
だから、なのだろうか?
試した、と云うのは口実で、逃げ出した……とも云える。
妻の記憶、気配が色濃く残る屋敷から。
どうせ、7才の娘には何ほどの事も出来まい。
高を括り。
だが、もしかして……とも思い。
「家の事なら娘に聞け。私には今まで通り、定時報告だけで良い。」
実際には、執事長とメイド頭の二人が、万事良い様に計らうだろう………と、そう考えて下した命令でも有った。
だが。
使用人達は、新しい女主人として、弥也子を受け入れた。
しかも嬉々として。
当たり前の様に、弥也子を敬愛する様子には呆れたと云っても良いだろう。
生まれた時から仕える主家の娘だ。愛情が湧くにしろ、多少は子供に対する侮りが残ってもおかしくは無い。と云うより、寧ろそれが普通の筈だった。
だが、弥也子は侮られるどころか、下手をしたら母親よりも女主人として頼りにされたのだ。
私はその後、会社の経営について、大きなプロジェクトの問題について、様々な課題を弥也子に与えた。
結果は、家の采配と同じだった。
財務の責任者で、私の片腕とも云える女性は、当たり前の様に弥也子に膝を折った。
どうしてもツテが見付からなかった、財界の大物は取引の相手に我社を選択し、その理由に弥也子の名前を出してくる始末だった。
「どこで知り合ったんだ?」
問えば、困った様に微笑して。
「ご紹介を戴く機会がございまして。」
と、明言を避けた娘は、未だ10才だった。
最初の縁談が来た時には、既に弥也子に対する信頼は確立されていた。
認める迄の私は。
例えば。
「まだまだだな!」
とか。
勝ち誇って出ていくタイミングを、いつも伺っていたように思う。
小賢しい事を云っても所詮は子供だ……と、しらしめ窘めようとする気持ちが、常に付き纏っていた。
結果は、正反対のものとなり、私は認めざるを得ないと知ったのだ。
この娘に「小賢しい」などと云えば、多分弥也子は殊勝に謝罪さえするだろう。
生意気な態度を詫びて。
そして?
私を「ソレマデの人間」と見做すのだろう。
それは余りに情けない。
愛する娘が、愛らしいばかりでは無いと認めた方がマシだった。
娘のツテの方が、私自身のそれより巨大なのも、頼もしい限りではないか。
どんな才能を持ち、子供らしさに欠ける娘であっても、その愛らしい仕種が、実は計算されたものだったとしても。
愛する娘には違いない。
少しばかり寂しい話だが、私は有能な娘に満足もしていたのだ。
それに、娘は有能なだけでも無い。
多少判り難いが、愛情深い優しい娘だった。
それは父親として、誇っても親莫迦ではないだろう。
………多分。
☆☆☆