◆12話◆傲慢ですけど何か?
☆☆☆
最近の私は最低だ。
最低なまま、私はその日を迎えた。
卒業式の3日後。
私は静さんの妻になった。
二度目の初夜は優しさに終始した。
三度目も、四度目も、ずっと彼は優しい。
――どうしたものか。
別に静さんが多少おかしいのは構わないのだが、何やらやたら悩む風情は放置も出来ない。
無理を重ねれば、いつか破綻するものだ。
私が打算的で無かった事など無い。こんな私に惚れたからには省悟の自業自得と云うものだ。
――諦めて貰おう。
いつか解決するにせよ、悩んでも仕方ないと私は自得した。
気の毒だが仕方ない。
省悟との話は家の事情で駄目になり、それを仕方ないと納得しても、理性と感情は別物だ。
多少未練が残ったとて、私が責められる謂れは無い。
当の省悟だって未練たらたらでは無いか。
――あれは私のモノだった訳だし。
そう簡単に手放せないからと云って何が悪いのか。
とは云え、私が静さんに惹かれた様に、省悟も誰かに心を移す日も来るだろう。
そうなったら邪魔をするつもりも無かった。
――そうなる前に邪魔はしても。
そう。
少なくとも、未だ。
現在のところは。
彼の心を逃さない手管を用いた卑怯を、私は自覚する。
――だから何?
私は元より綺麗事に生きてはいない。欲しいモノを我慢もしない。
多少、浮気じみた感情だと自覚すればこそ、そんな自分に嫌悪も湧くが、感情だけなら許そうと決めた。
私は自分に甘いのかも知れないが、自分を守るのは大切な事だ。
――よし。そういう事で。
省悟の事はそれで一先ず措いて、静さんの事を考える事にしたのだ。
――そう云えば。
私の友人は恋愛相談のエキスパートでは無かったろうか?
☆☆☆
静さんは優しい。
快楽に酔うことを早くも覚えた私を、彼は苦しそうに見つめる。
「欲しいんだ。」
まるでそれが悪い事のように彼は呟く。謝罪こそしないが、彼が罪悪感を覚えているのは確かな様だった。
――意味が解らない。
殿方の思考は、時に想像の埒外である。私の予想を超えた遠くの世界に位置しているとしか思えない。
私は困惑するばかりだった。
彼はもはや横暴でも自分勝手でも無い。
私の好きな様に……と、すべてを望み通りにさせてくれる。
本当に嫌な事には、どうやっても従う気の無い私は、今まで通りでも構わないのだがと思っている。
何がこんなにも彼を変えたのだろうか?
――恋愛は、やはりよく解らないわ。
彼の仕事の都合もあり、新婚旅行は行かなかった。行きたい所が有れば…とは訊かれた。その時に私が望みを告げたなら、彼はどうにかして連れて行ってくれただろう事は想像に難くない。
顕著な迄に態度が変わった彼に、私は不審と不安を覚えた。
真綿に包むような優しさは、それなりに心地好く、不満を覚える訳では無い。しかし理由が判別出来ない変化は、いつこの状況が壊れるのか不安でもある。
私は自分で制御出来ない事態が大嫌いなのだ。
「何を溜め息なんか吐いてるのよ。」
「お姉さま。」
この人は又もや戻って来ている。30才にもなって、相変わらず素直になる術を知らないまま、義兄を愛し続けている。
――こうは成りたくない。
姉に対して失礼とは思うが、本音である。
やはり静さんのアレは放置すべきでは無い。事態を把握したなら、私は上手く立ち回れる筈だった。
「早くお帰りになったら?」
「その言葉遣いやめてよ。」
嫌そうに姉は云う。失礼な人だ。
「お義兄さまもお可哀想ね。子供まで成したと云うのに、妻から与えられるのは嫌味ばかりですもの。よく離婚を口になさらないものだわ。」
仕返しにニッコリ笑えば、姉は憤慨した。
「煩いわねぇ!どうせ私は良い妻でも良い母親でも無いわよ!」
どうやら自覚はある様だった。
私は言葉遣いを多少姉仕様に改めた。
「解ってるなら少しは努力しなさいよね。この家も私だけじゃなくなったんだから。」
姉は不貞腐れた。
「あんたは良いわよね。何よ静さん。あんたの云い成りじゃない。」
「そんな事もないけど。」
そう。少なくとも最初は違った。
「そんな事有るわよ。もうベタ惚れで羨ましい限りよね。またあんたもあの人には素直だし?」
オカシクなった相手は刺激したく無いだけだ。
「無表情だけど甲斐甲斐しいったらないしさ。」
「表情は有るわよ。」
いつも罪悪感に満ちた眸をしている。そして私を求めている。
あの罪の意識がとにかく謎で、苛々するのだ。
「………表情解るんだ。まあ良いわ。あんたに手紙来てたわよ。」
「手紙?」
幼馴染みの結婚式の日取りが漸く決まった様だった。
現在の結婚式ラッシュに巻き込まれた上に、無視できない大物が出席すると云ったから調整が大変だったのだろう。
私の時にも婚約披露のパーティーから総てご出席下さって非常に迷惑を被った。
――我が儘な方。
しかし、思ったよりも最初の予定よりずれ込んでもいない様だった。
招待状の遅延は事情を知る者なら納得するから問題も無い。寧ろ、あの方とお近づきになりたい向きには、調整は有り難く受け止められる。
「披露宴の招待状だわ。」
「またあ?最近しょっちゅう結婚式行ってない?全くこの時期は面倒だったら無いわね。」
呆れた声に肩を竦めた。
「時期ですもの、仕方ありませんわ。」
「まあねえ。やっぱりヶ峰は多いわね。それってウチにも来そうな家?」
「柏木家ですから恐らく。」
姉は首を傾げた。
「柏木財閥って高島に関わり有った?」
「………ええ。特に現当主はお義兄さまの後輩に当たられるかと。」
何故知らないのか、訊いても意味は無い。姉は家の話に興味が薄いのだ。
しかし、姉は遠慮無く呆れた声を出した。
「何で人の家の事までそんなに詳しいの?昔っから思ってたけど、あんたどっかの探偵でも抱え込んでる?」
「………常識の範疇です。」
私は眉を寄せた。
姉は大概遠慮を知らない。親しき仲にも礼儀ありと云う言葉は、姉の辞書には記載されて無いのだろうか。
「常識ねえ?で?柏木財閥はうちとはどうなの?」
今度の「ウチ」は塩野を指すようだ。
「パーティーなどで挨拶を交わす程度ですわね。招待はされるでしょうけど、それだけですわ。お相手の三条家も、ご息女が私の親友で無ければ大したご縁は有りません。」
「え?恵美ちゃん?結婚するんだ?へえ、弥也子ベッタリのあの娘がねえ。そういや家大変だってね、大丈夫なの?」
「問題有りません。」
「いや、財力は助かるだろうけど………柏木の総帥って、あの傲慢野郎でしょ?」
「問題有りません。」
傲慢野郎だからこそ、恵美には相応しいと云うものだ。柏木が無事に済むかは別として。
姉は難しい表情をしたが、私を問い詰めても無駄な事くらいは理解するらしく、何かしらの根拠が有るのだろうと納得したらしかった。
「…………まあ大人しい娘だから、良いお嫁さんになるかもね。」
「…ええ。」
異論は有ったが、私は平然とカップを傾けた。
姉も立ち話に疲れたのか、いつの間にか向かいに腰を下ろし、傍に控えていた美加に紅茶と軽食を運ぶ様に命じている。
「……まさか、朝食ですか?」
「うん。さっき起きたし。」
通りで昼食の席に現れない筈である。
「ところでさあ。さっきお友達と家の付き合い分けて話してたけど。」
「ええ。それが?」
「家の付き合いなら出席は確実として、家に興味が無いけどお友達だったらどうすんの?出席するの?」
私は眸を瞬いた。
「ええ。勿論出席致しますけれど、何故そのような事を?」
「ん〜ん。別にい。だったら最近、結婚式に行きまくってるのも、仕方ないかなあって。私は風泉だったから、高等部出た時点で結婚なんてする友達少なかったからね。」
「そう云えば、ヶ峰では無く風泉を選択なさった訳を、お尋ねした事はございますんでしたね?」
何故だかニヤニヤと満足そうに笑う姉に、私は良い機会かと訊いてみた。
小等部までは私も通ったが、姉は高等部までを風泉で過ごした。大学は外部受験をして、最高学府に入学したが、中退した。
「うん?風泉のが近いじゃない。」
「一時間も通うのに?」
「ヶ峰もね。」
そう。我が家からみれば、反対方向にそれぞれ一時間の通学距離が有る。
姉妹校とは思えないくらい外部から見たイメージが違う学園だ。
「風泉は県外ですし、ヶ峰でも宜しかったのでは?」
「あんなオカタイ学校行きたくないわよ。高潔ぶって鬱陶しい。」
「………人それぞれですわね。」
「まあね。ゴメン。」
常ならば仕返しを忘れない私が、風泉を扱き下ろさなかった所為か、姉はすぐさま謝罪した。
私は笑って頷いたが、風泉は私の母校でも有るから当然だ。
それに何となく云いたい事も理解した。
例えばvirtuousは高潔や貞淑であり独善とも表現される。姉が云う程にヶ峰はお高くもお堅くも無いが、その側面が有る事を私は否定しない。
そこを気にするならば、偽悪に近い風泉の方が確かに居心地は良いかも知れないと納得した。
そう告げると、姉は微妙な表情をした。
「いや。そんな小難しい話じゃ無いのよ。うん。その通りなんだけど………理屈にされたら居た堪れないのよ。」
ぶつぶつと一人で姉は呟きつつも、運ばれて来たホットケーキにメープルシロップをたっぷりとかけた。
ヶ峰、友人、ホットケーキとくれば、連想されるのは一人の女性だった。
――そう云えば、
私は頼った事も無いし興味も無いから、忘れがちな話では有るのだが。
世間では恋愛関係の神様的なご利益を謳われている女性である。
――ご自宅か、資料館ですわね。
大学部に上がっても、彼女の行動に変化は無い。彼女も最近結婚したが、その辺りも責任が無いとは云えないから確認をしておきたいと考えた。
「出かけます。」
「何処に?」
「大学に。」
「今日は授業無いって云ってなかった?」
私は姉を見つめた。
義兄の愚痴を零しつつ、ちゃんと私の話も聞いていた様である。
昨夜の会話を思い出すのか、首を傾げた姉に私は微笑んだ。
「ええ。所用を思い出しまして。」
「やっぱりヶ峰はお堅いわよ。」
「………?」
「昔はもう少し砕けた話し方してたわ。」
云われてしまった。
怠慢を指摘された気がして、少し気恥ずかしい。
「別に砕けた話し方も出来るわよ?何か姉さんの云い方こそ問題が有るんじゃない?失礼だったら。」
「フン。どうせ下世話な学校出てますよ。偏差値は風泉の方が高いのよ。」
姉の時代は、と付け加えるべきだが。
「どうでも良いわよ。何処でだって勉強は出来るもの。」
肩を竦めて、由紀を呼んだ。
着替えを手伝って貰い、車の手配を命じる。
うっすらとメイクされた顔を鏡の中に見つめる。
――よし。
全身を点検して、合格点を出した。
何処から見ても隙のない、何処に出しても恥ずかしくない良家の娘である。
――何処から見てもお嬢さま?
自分が仕えるべき相手でも無く、若い娘を呼び掛ける意味でさえ無く、殆ど名詞として使用される「お嬢様」の意味は、理解しているとは云い難い。
しかし、ヶ峰は「お嬢様」が通うのに相応しい学園だと世間は云う。
私たちは時々困惑しないでも無いが、多分その「お嬢様」は「こんな感じ」かなと想像する程度は出来る。
迎合する訳では無いが、私が目指す姿と重なる限りは夢を与えてやっても良い。
――静さんも夢を見てる様だし。
彼らの眼差しに宿る憧憬を理解するのは、無駄ではないと考える。
私はニッコリと、未だに「天使のよう」だと云われる笑顔を鏡に映して確認した。
――人妻が天使と呼ばれるのも如何なものかしら?
そうは思ったが、騙される需要がある限りは利用して悪いものでも無かろう。便利だし。
☆☆☆