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失敗した恋愛ばかり見てきた令嬢は、引きこもり公爵令息を囲って幸せになります

掲載日:2026/08/11

 恋とは人生で一番いらない感情である。


 なぜなら、恋をした人間の思考回路は意味不明になるからだ。ただの感情論ではない、この短い人生で見てきた結論だ。

 父方の伯母は愛ゆえにすべての財産を顔のいい俳優につぎ込んだ。

 母方の叔父は愛を探す旅に出ると言って行方不明。

 父は愛に生きるべきなのにままならない人生だと、母と私の前でむせび泣く。医師からは精神的な療養、もしくは可能なら離婚を勧められている。母はそんな父を嫌い、もっと筋肉の優れた男性に抱きしめられたいと欲望をたぎらせている。


 正直、愛はわからない。でも愛ゆえに感情がねじ切れそうになるほど苦しくなるものらしい。

 だから私は決めたのだ。恋などという不確定要素に人生を左右されない方法を見つけると。


 私はある程度考えをまとめると、紙に書きだした。

 浮気しない。これは絶対!

 恋愛で暴走しない。これも絶対!

 自分の世界がある。そうそうこれが重要よ。自分の世界に浸れる才能が必要だわ。

 感情に振り回されない。これが最重要! 恋とか愛とか運命とか、全部まとめて断固拒否よ。


「条件としては……こんなところね」


 ふふふ、と満足そうに笑うと、側に控えていた侍女がメモを覗き込む。そして、首を傾げた。


「……ロザリーお嬢様、これって該当する人っています?」

「探すのよ。世界は広いのよ。一人ぐらい、私に囲われても窮屈に思わない人はいるはずよ!」


 条件さえちゃんとしていれば、見つかるものだと信じている。幸いにして、私は小金持ちだ。祖母からの遺産がたんまりとある。囲うためならば、さらに資産運用にも手を出しましょう。愛は不安定だけれど、金銭は管理できるもの。しかも、母仕込みの私の得意分野よ! 倍々ゲームで、増やしてみせるわ!

 そして、お茶会に参加しまくって、縁結びが大好きな貴婦人にさりげなくアピールした結果。


「いたのよ! 優良物件が!」

「結婚相手に優良物件というのはどうかと思いますよ?」

「いいじゃない。外じゃ絶対に言わないし!」


 むっとして言い返せば、侍女は興味津々に聞いてくる。


「それでどこのどなたです? 貴族でないと旦那様の許可はおりませんよ」

「うふふふ、抜かりはないわよ! 相手はハミルトン公爵家の三男!」

「意外といい相手ですね……ですが、ハミルトン公爵家に三男はいらっしゃいました?」


 記憶をたどりながら、難しい顔をする。


「それがいるのよ! 名前はフェリックス。引きこもりの三男よ。研究大好き人間で、社交を全くしないんですって。それで結婚しなければ、公爵家から研究費を打ち切られる危機に瀕しているのよ。つまり、彼は研究を続けられて、私は理想の結婚相手を得られる。双方にとって幸福な契約でしょう? まさに私が救世主!」

「本当に居るんですね、ロザリーお嬢様の条件にぴったりな男性って」

「そうよ、完璧じゃない?」


 これは人生勝ち組への第一歩ではないかしら、と私は大いに高笑いをした。




 そして挑んだお見合い当日。


(……誰よ、この無駄に顔のいい男は。変なキラキラした何かが見えるわ。聞いていた話と違うじゃない。研究馬鹿の引きこもりじゃなかったの? これ、絶対に恋愛方面で余計な苦労をするタイプだわ)


 スンとした顔でお茶を飲んでいた。フェリックスもフェリックスで私に無関心にマカロンを食べている。


(食べ方は綺麗。一緒に食事をしても苦にならないわ。ここは合格ね)


 マカロンを食べ終わった彼は、ようやく顔を上げた。そしてまっすぐに私の目を見る。その目は探るような色を宿していて、不思議と背中がぞくぞくした。

 何故かしら、その顔をずっと見つめていたいという気持ちがこみ上げてくる。


「ところで、君はどのぐらいの日数、顔を合わせなくても怒らずにいられる?」

「一週間でしょうか?」


 うーん、と少し考えてから答える。本当なら、一年ぐらい合わなくても平気だけど、さすがに結婚を目的にしているのだからそれは言えない。


「案外短いんだな。できれば、一カ月は放置していてもヒステリーを起こさないでほしいんだが」


 なんですって! 一カ月って生存確認にもなる理想的な長さじゃない!

 思わず私は興奮してしまった。フェリックスは淡々とした様子でさらに続ける。


「父は所有している子爵位を僕に渡す予定だ。だが、もちろん社交は無理だ……あいつらの中に入ると自分が餌になった気分になって目の前が真っ暗になる」

「まあ、それは大変ですこと。私も、社交は好きかってやりますから一緒に参加してくださらなくても問題ありませんわ」

「――王族主催の夜会でも?」

「もちろん。あら、でもどんな言い訳をするおつもりですか?」


 さすがに王族の夜会を欠席するには理由が必要だ。


「実験中の感染事故だ」


 まさかの理由だった。しかもフェリックスの研究では、感染症など扱っていない。主に、魔道具の研究開発だと聞いている。だから、時間を忘れて引きこもり&金がかかる。


「……まあ。それが通用するならば、私も欠席にしますわ」

「本気で言っているのか」

「もちろんですわ。既婚者が夜会に一人で参加するリスクが大きすぎますし」


 彼も夜会での「一夜の恋の物語」が想像できたのだろう、やや神妙な顔になる。そして、黙々とマカロンを口に入れる。私もすでに一番大事なことは話したから、お茶の香りを楽しんだ。


「結婚契約書を作ろう。それで問題なければサインしてくれ」

「あ、私からも契約書を出しますわ。双方、問題なければ結婚ということで」


 しれっと伝えれば、彼は驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。つい、彼の頬にできた小さなえくぼに釘付けになる。


(くっそー。やっぱり顔がいい……。あのえくぼ、反則でしょう。私も一族の血をちゃんと引いていたということかしらね)


 契約書に肖像画の制作を入れるべきか、と思わず呟いた。




 ものすごく気分が良い。

 結婚の契約はすぐさま用意され、お互いサインをした。

 彼の要望は簡単なものだった。

 とにかく社交はしない、一緒に行動するときはお互いの意見を尊重する、三カ月に一度以上は夕食を共にする。研究の制限はしない、勝手に研究室に入らない。


「……結婚って、もっとキラキラ華やかで夢見心地では?」


 侍女が私の髪をブラッシングしながら呟くが、気にしない。


「一般的にはそうかもね」

「しかも、お嬢様の条件は受け入れてくれたんですよね?」

「そうよ。ちなみに二つほど、追加したわ」


 にんまりと笑うと、侍女は不可解そうに眉を寄せる。


「あれも随分とお嬢様の気持ちが全開に盛り込まれていましたけど、まだありました?」

「そうなの! 一年に一度、肖像画を描いて飾っておくことにしたの。あと、資産運用は完全に私に任せてほしいとも」


 どちらも最後まで入れるかどうかを悩んだ項目だ。削れと言われるかとドキドキしていたら、彼はしばらく項目を見つめた後サインした。ということは、肖像画は飾ってもいいのだ。資産運用も、彼の財産も手入れできる。これで倍々倍々ゲームの始まりよ! この国で一番の金持ちになる道筋はすでに決まったも同然だ。


「肖像画って、あれこそ家族の象徴でしょうに」

「いやあねぇ。旦那様を忘れないようにするには常に目に入れておかないと」


 ごく当然のことを言ってみたのだが、侍女は胡乱な目を向けてくる。


「本音は?」

「……本当に顔がいいのよ。ずばり、好みよ!」

「しかも資産って……これ、旦那様の資産のことですよね?」

「ふふふ、五年……いえ、二年でどれほど研究にお金を使っても、使うそばから増えていくぐらいにしてみせるわ!」


 侍女がため息をついた。


「お嬢様、少しずれていませんか?」

「ずれていないわよ。お母様だって筋肉にお金を使えば使うほど増やしているじゃない。私にだってできるはずだわ」


 そう、身近に成功例がいるのだから、失敗するはずがない。それに、合理的に契約結婚に持ち込んだのだ。これで一生恋愛に悩まされることもない。

 もうバラ色の人生しか私の目には見えていなかった。



 

 結婚生活は驚くほど順調だった。

 契約書通りに、静かな場所に用意された屋敷、それから有能な使用人たち。フェリックスは離れにこもり実験三昧――言葉通りに。


 彼は朝から研究室に籠もり、昼になっても出てこない。夕方になっても出てこない。夜になっても出てこない。下手をすると三日ほど姿を見ないこともある。

 けれど、私には何の問題もなかった。三カ月に一度、一緒に食事をすれば、契約上は何の問題もない。


 なんて素晴らしい条件なのかしら。

 私はフェリックスの肖像画の飾ってある部屋で投資の情報を整理しつつ、資産を確実に増やしていく。家の社交も必要最小限で、私は私の付き合いを優先している。これ以上贅沢な生活はないだろう。

 そして、彼は律儀なことにきちんと夕食を一緒に食べる。そういう日は、少しだけ豪華な食事になる。


「奥様、本日はこちらで食事をなさるそうです」

「あら? 一昨日一緒に取ったはずなのに?」

「なんでも、豪華に食べたい日なんだそうです」


 豪華に食べたいということね、と私は頷いた。一昨日の夕食にでてきたローストビーフを食べた時に彼の目が見開かれたのだ。ほんのわずかな変化だったけど、真正面に座っていた私は見逃さなかった。


「まあ、よほど気に入ったみたいね。今日もあのビーフ、まだあるかしら?」

「はい。ただ、あの気に入りようですと、しばらく夕食はこちらで取るのではないかと」

「それほどお気に入りになったのね。あちらに運んであげたいけど、離れでは難しいわね」


 研究室になっている離れにも食堂はあるが、あの部屋には給仕は入れない。そういう契約だからだ。あの場所に足を踏み入れられないのだ。だから、普段は一人で食べられるメニューにしている。


「充実した食事をとるのは契約に抵触しないわ。そうね、飽きるまでは用意してあげましょう」


 今後、足りなくなることを考え、牧場を手に入れることを決めた。しかも、舌の肥えたフェリックスが気に入ったのだ。きっと、市場に出しても売れるだろう。


「すまない、先日一緒に食事をしたばかりだというのに……どうしてもあのビーフの味が忘れられず」

「気にしていませんわ。契約には一度以上ですもの。ビーフも気に入っているみたいなので、牧場を手に入れておきましたわ」


 これで毎日食べても問題ありません、と微笑めば、彼はしばらく固まってからこくりと頷いた。


「牧場……ありがとう。大変だったろう?」

「いいえ、どういたしまして。ふふ、それほどでも。契約結婚ですけど、できる限り心地よく過ごしたいですもの」

「君はそういう考えなんだな」


 こうして私たちは、三日に一度、一緒に夕食を食べるようになった。そして、二年たった頃には、フェリックスの食事は毎日一緒に取ることが普通になってきた。彼は私を邪魔に思わないらしく、気難しい顔をして研究している。私の過ごすサロンで。


 設計図とにらめっこしているフェリックスを横目に、貰ったブレスレットに触れた。とても美しい魔石が嵌っていて、守りの魔道具らしい。もちろんフェリックス作だ。


(こういうのはきちんとしているのよね。牧場と同じ対価のものを、ということで渡されたけど……)


 してもらうことが当たり前と思わないところが彼らしい。そして、この腕輪をもらった時に知ったのだが、フェリックスの研究はどうやら世間ではかなり珍しいものらしい。私にはわからないが、魔道具が一つ完成するたびに、その価値は大きく跳ね上がる。


 毎回説明を聞いているが、ちんぷんかんぷん。だが、それでもキーワードを拾い覚えておくだけでも売り込みやすい。私の信頼する商会長なんて、いつでも好機を逃すまいと手ぐすね引いて待ち構えている。


(それにしても、気難しい顔をしていても本当に飽きないわ。見ているだけで幸せ)


 研究に集中しているときの横顔もいい。

 難しい魔道具を前に眉を寄せている顔もいい。

 何か思いついたのか、ふっと目を輝かせる瞬間もいい。


 ……うん。

 やっぱり肖像画は一年に一度では足りないかもしれない。今度、季節ごとに描いてもらおうかしら。

 もちろん、これはフェリックスとの記念として必要なものだ。決して私が見たいからではない――いやちょっとだけある。だってテンション上がる、あの顔を見ると。


「僕の顔に何かついているか?」


 あまりにも凝視しすぎたのか、フェリックスが顔を上げた。


「ううん。随分と思い悩んでいるなと思って」

「そうなんだ。いくら考えても一つだけ合わない」


 よほど研究に詰まっていたのだろう、ため息交じりに説明してくれる。それを聞きながら、私は首を傾げた。


「それ、先日、商品化した魔道具とどう違うんですの?」


 そう話を振れば、水を得た魚のように説明を始めた。魔力の効率的変換とか、条件分岐とか。よくわからないけれども、すごく重要みたいね。だって彼の目が輝いている。そして説明には淀みがない。ということは本人の中では当たり前のことになりつつあるということ。


 ふんふんと、右から左に流しつつ、わかるところだけ頷いていると彼の言葉が途切れた。どうやらここまではすでに確立している理論らしい。そこで、私はずっと気になっていたことを聞いてみた。


「あら、でしたらこの魔法陣の役割は何ですの? 少し役割がずれているように思えますわ」


 そう言って、彼の持つ設計図にある魔法陣を指さした。フェリックスの目がその魔法陣に吸い込まれていく。口も一文字に結ばれ、眉間にくっきりとした皴が刻まれた。


「……そういうことか!」


 その一言だけ告げると、勢いよく立ち上がってサロンを出て行ってしまった。その後ろ姿を見送る。


「旦那様、お茶を飲まずに行ってしまわれましたね」

「これでしばらく離れから出てこないわね。手軽に食べられる食事を用意してあげて」

「畏まりました」


 これから勢いよく進めていく姿を想像し、口元に笑みが浮かんだ。


「ふ、ふふ」

「どうされました?」

「いいえ、何でもないの。ただ……この生活も悪くはないわね」


 そう答えて、ティーカップに手を伸ばした。

 本当に、この結婚は当たりだわ。彼にとっても、同じぐらい当たりだったら嬉しいけど。

 そんなことを思いながら、私は投資情報に目を落した。




 結婚してすでに三年。

 長いようで短い結婚生活だ。そんなある日の夕食が終わった後のまったりとしたお茶の時間。夕食は毎日一緒に取るようになり、食後のお茶もよほどのことがない限り一緒だ。それもまた、この契約結婚がうまくいっているという証拠なのだろう。


「……君はこの結婚をどう思っている?」

「どう、と言われましても。一言で言えば、とても気に入っていますわよ」


 彼は押し黙った。いつも研究の話をするときとは違い、妙に真剣な顔をしている。それが気になったけれども、彼が考えているのだからこちらからは尋ねなかった。


「これは愛だと思うか?」


 思わず目を瞬いた。

 愛――最も不確定で、最も厄介で、人生を狂わせるものだ。私の人生には一番いらないものだと切り捨てた定義。

 私は少し考えてから、首を横に振った。


「いいえ、これは契約結婚ですもの」


 私は紅茶を一口飲んだ。そして、少しだけ笑う。


「でも……私は毎日心地よく過ごしておりますわ。そうね――結婚したのがあなたでよかった」


 フェリックスの目が大きく開かれた。いつもなら何かしら反応を返すのに、今日は何も言わない。私は不思議に思って、彼の顔をじっと見つめた。


「……どうしましたの? 不愉快な言葉でしたか?」

「いいや、不愉快ではない。僕も君でよかった」


 その言葉を口にしたあと、彼は穏やかに目を細めた。その笑顔はいつも見ているものとは違う。十分にクリームを食べた後の猫に似ている。それとも、遊び疲れた犬だろうか。大型犬かもしれない、この人は背が高いから。


「そうだ、これは幸せなんだ。僕は毎日が幸せだ」


 私は目を瞬いた。


「幸せ」


 それは、恋なのだろうか。

 それとも愛なのだろうか。


 私には、やっぱりよく分からない。けれど、目の前のフェリックスが満足そうに笑っている。

 私もその笑みを見ると、なんだか嬉しい。それで十分なのかもしれない。心が穏やかで、毎日が輝いている。

 私たちの間には熱い情熱やぶつかり合うことはほとんどないけれども、それでもこの居心地の良さは手放すことはできない。私の中でも確かなものになっている。


「……では、これからも契約を守ってくださいませ。食事は三カ月に一度以上ですわよ」

「分かっている」

「もちろん毎日でも構いませんけれど。いつでもビーフは用意してありましてよ」


 フェリックスが笑った。

 私も笑った。


 ――恋とは、やっぱりよく分からない。愛なんてもっとよくわからない。

 でも、この結婚生活はとても心地がいい。

 それでいいんじゃないかと、心の底から思った。


 Fin.

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