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第2話 おばあちゃん

3000字くらいです。読んでいただけたら幸いです。

僕は日が沈んだので家に帰った。僕が住んでるのは海の見える丘の中腹にある住宅街の古い日本家屋だ。古そうな家々に囲まれた、くねくね曲がった急な狭い坂道を登り、家に着く。下水の臭いが鼻につく。

「ただいま!おばあちゃん!」

 おばあちゃんは耳が遠くてボケてるので大声で言わないと僕のことに気づかない。腰が曲がり、小動物のように小柄に丸まっている彼女は、青い袢天を着て擦り切れた長い地味なスカートを履き、土間の隅の方で震えている。「おばあちゃん、ただいま!」

「たかし!おかえり」

彼女がこちらを振り向く。シワの深い顔は疲れを感じさせた。垂れた頬には涙の跡がある。彼女は部屋の隅で震えながら泣いていたのだった。

 僕が杖のように彼女を支えてあげなければならない。でも一方的にもたれてもらっても僕は全然構わない。いつまでも帰ってこない親を待つ孤独よりもましだ。

 家は2階建てで、玄関に入ると、土間になっており、その横にキッチンと炊事場がある。キッチンは増築したものだ。僕はリュックを自分の部屋に放り出し、夕食を作る手伝いをする。米を研ぎ、味噌汁を作る。彼女がいつもの煮物を作ってくれる。

 僕は彼女と二人でちゃぶ台を囲んで夕飯を食べる。6畳の畳の部屋の隅にはのっぽの振り子時計があり、チクタク時を刻んでいる。ボーンボーンと7回鳴り7時を告げる。仏壇にはおじいちゃんの遺影が飾ってあり、遺影の隣には、おじいちゃん、おばあちゃんと父の揃っている家族写真が置かれている。線香の匂いがあたりに漂っている。この家の全てが老い先短い彼女にとっての全てなのだ。そういう空間の中で僕は肩身が狭い感じがした。

「たかし、昔はね、海の向こうには黄泉の国や竜宮城があると思われてたんだよ。海は夢を運んでくるんだねぇ。その夢を誰かのために、分かるように出来るだけ形にしてあげること。そうやって物語は誰かから誰かに伝わってゆくんだよ。今は嘘つきだったとしても、世界の終わりの日には、正直者になれるかもしれないんだよ。だから誰かのために嘘をつくことは悪いことじゃないんだよ。」

 たかしのいうのは僕の父の名前だ。彼女は僕のことを父だと思っているのだ。父は僕を彼女に押し付けて、毎月お金を送ってくる。父の彼女に対する態度を見てると、二人はくあまり仲がいいとは言えないみたいだ。

「そうなんだ、僕は嘘つきだけど、人生の最期は正直者になれるのかな?」

「誰かのための嘘はね、最後は必ず報われるのよ。」

「ふーん…。」

「ごめんねぇたかし、あんたにいい大学に行けって、いいとこに就職しろって、あんたの為を思ってのことなんだよ。でもね、本当は絵描きになりたかったんだろ…。私は自分の為に嘘をついてしまったんだね。ごめんねお母さんを許してね。」

「ううん、全然気にしてないよ、おばあちゃん。」

 辺りに便の臭いが漂う。

「おばあちゃん、おむつ変えようか。」

「ごめんねたかし、下の世話までさせてしまって、私ももう長くないからそれまでの辛抱だからね。」

 彼女が僕に向かって優しい微笑みを浮かべる。僕はなんだか無性に悲しくなって、どんな顔をすればいいかわからなかった。僕は父の代わりになるつもりもないし、そんなことできなかった。この空間を背負って立つには僕はまだ幼すぎる。食事を終えた後もしばらく線香の匂いは消えなかった。

 その日の夜遅く、僕は自分の部屋で布団に包まりながら、スタンドの明かりで図書室で借りた星新一のショートショートを読んでいた。夜の海の波の音が耳に心地良い。夜の海の闇はきらびやかだった昼間のいろいろなものをブラックホールのように吸い込んでくれる。僕は底のしれない闇を身近に感じつつ、心地のいい孤独に浸かった。

 僕は何度も同じ話を読み直す。特にお気に入りなのは、「おーいでてこーい」と「生活維持省」だ。僕は物語を受動的に読むのも好きだが、登場人物になりきって、その世界を楽しむ遊びも好きだ。

 「おーいでてこーい」のあらすじ。とある村に謎の穴が見つかる。その穴は無尽蔵に深く、小石を投げ入れて、「おーいでてこーい」と言っても返事はない。そこへ様々な物を捨てに来る人が殺到する。大量発生したゴミ、機密書類、身元不明の死体、放射性廃棄物。いくら捨てても穴は埋まらず、地球はきれいになった。ある時、空から小石が落ちてきて、「おーいでてこーい」という声が聞こえてきた。

 ゴミをどこかに押し付けても、ゴミは消えるわけではない。この世は自分の居る世界だけで出来ているわけではないのだ。

 僕は僕や江口さんがこの物語の登場人物だったらと想像して遊ぶ。

 滅びゆくゴミだらけの世界だとしても、もし二人で穴の下の世界に行くことができたら。そこで上の世界のしがらみを全部断ち切って、江口さんと暮らせるとしたらどんなに幸せだろう。ゴミを集めて利用して家電や家を作るのだ。世界中のゴミを全部集めたら、どれだけ贅沢な暮らしができるだろうか。しかも対価は発生しない。そこにしがらみはないのだ。彼女は嫌がるだろうか、この世界に未練はあるのだろうか。

 次に、「生活維持省」のあらすじ。舞台は平和な世界を実現するために、政府の方針として、コンピューターで平等に人々を選別し、間引いて人口を減らしている未来。もしそれをやめれば、たちまち昔のように人口爆発、都市開発、治安の悪化、交通事故が発生し、生活水準は下がり、ノイローゼや自殺、貧困と暴力が公害や犯罪を流行らせる。行き着く先はいつも同じ、戦争なのだ。生活維持省の役人の主人公は選別された無垢な少女を物陰から射殺し、また主人公自身も選別された事が明らかになり、自殺する。

 なんだか、「おーいでてこーい」の続編みたいな話だ。つまり平和にはそれなりの代償が必要なのだ。なにもかも発展すればいいということはない。地球は一つしかない。一人の人間の命よりも地球の方が重いのだ。

 僕はまた物語の登場人物を僕や江口さんに設定してみる。

 僕がコンピューターに選別されて、生活維持省の役人の彼女が僕を殺しに来るのだ。世界のために僕が死ぬのは構わない。そして、最期の思い出が彼女に引導を渡してもらうことなら…彼女に僕の最期を看取ってもらうことができるならなんて幸せだろう。少しの間だけでも僕は彼女の秘密の中で生き続けるのだから。そして彼女も選別されて自殺する。その時、秘密は秘密でなくなってしまうのだ。

 僕は想像を遊ばせるのをやめ、スタンドの明かりを消し、明日江口さんに話す創作話のことも考える。これまでも何度か創作話を江口さんに話して、二人で盛り上がったり、物語の世界に入り込んで遊んだりしたものだ。海中、ファンタジー、宇宙などありとあらゆるところで。

 部屋を真っ暗にして、想像力を使っても、なかなか創作の取っ掛かりを思いつかない。

「宇宙人…もし僕が本当に宇宙人に会おうとするのなら…海、異星の海…江口さん…」

 とっかかりを見つけたら、僕は自分の心の奥の方までどんどん潜っていく。そうすると潜れば潜るだけ断片的なアイデアが自分の中に発見される。

 だがしばらくするとまぶたが重くなってきた。そのまま寝てしまった。

 朝、僕は目を覚ますと、昨夜の夢の内容を事細かにノートに起こした。夢で見た情景や世界観を忘れないように、ノートに齧り付いた。そのせいで遅刻してしまったが、気にしなかった。僕は教室に行かず、保健室に向かった。


嘘をつくのは悪いことではないのかもしれないです。

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