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第14話 波

4000字くらいです。楽しんでいただけたら嬉しいです。

そうして、僕は心を閉ざした。もう誰とも関係性を作ろうとは思わなかった。唯一江口さんとの文通は続けていた。だが僕もあまり乗り気になれなかったし、江口さんの症状も悪化していくばかりで、そのうちに文通も途絶えてしまった。そして高校を卒業した日、僕は自分がまだ名前もない奇病に罹っていたことが分かったのだった。

両親は一度だけ二人で見舞いに来たが、それ以降は来なかった。二人とも思っていたよりも、骨董品のように老け込んでしまっていた。僕はもう両親に愛してもらおうとも思わなかった。さっさと僕のことを忘れて欲しかった。僕には骨董品を家に並べる趣味はない。両親が置いていった生け花は埃まみれになり、枯れるにまかせてしまっていた。そこには空白さえなかった。ただの無だった。僕は心の中で親を殺すことに成功したのだ。僕自身が透明な怪物になったのを感じた。そして唯一海のさざなみの音だけが僕にとっての救いだった。さざなみだけは恋人のように変わらず僕に寄り添ってくれた。それだけは変わらなかった。そしてこの物語は冒頭に戻るのだが、僕は夕陽のさす殺風景な病室で首を吊った。

たまたまその時病室の前を通った運の悪い看護師が僕を見つけ、病院中が大騒ぎになり、僕はなんとか一命を取り留めた。そして僕は気絶している間、あの悪夢を見ていた。

「僕、まだ生きているんですか?もしかしてここは天国かしら?」

「バカ言うんじゃないの!ここはまだこの世よ!」

大柄の太った看護師が僕を介抱してくれた。心なしか、田崎先生に似ていた。病院の外はもうすっかり夜になっていた。暗闇の中から少しずつ海のさざなみが聞こえてきた。

翌日僕は死に損なったことを思い出しながらベッドから起き上がった。寝ている間は全てのことを忘れる事ができても、起きたらその全ての重みがまたのしかかってくる。本当の幸福は眠りから起きて、これまでの人生を思い出す、その間の一瞬にあるのかもしれない。

突然ノックもせず、昨日介抱してくれた看護師が遠慮なく病室に入ってきた。

「おはようございます田中さん。・・・・急で申し訳ないけど、田中さん、あなたはそのうち完全に眠りに入って意識を失ってしまうけれども、今回のこともあるし、それまでの緩和ケアということで、新しい看護師さんにきてもらったわ。紹介します。江口さんです。」

僕は目を見張った。そこに居たのは正真正銘本物の、成長した姿の江口さんだった。彼女の澄んだ黒い瞳は、僕に安らぎを与えてくれたあの甘える猫のような笑顔は確かにそこにあった。顔は少し大人びていた。

「ふふ、久しぶり、田中君。私看護師になったのよ。病気が治ったの。文通が途絶えちゃってからちょっとして、突然に治って、今君の前にこうしているってわけ。連絡しなくてごめんね、私も色々忙しくて。」

「いや、・・・いやいや全然良いよ。よかったね、病気が治って。看護師になったんだ。」

「緩和ケアをやってみたかったのよ。私も病気の間はずっと孤独だったから。その経験を何かに活かしたいなと思って。田中くんがいつも保健室に来て私を元気づけてくれたように、私も誰かを元気付けようと思って。そしたらなんと田中くんがこの町にまだ居ることを知って、それで志願してきたっていうわけ。」

二人は再会を喜びあった。まるでこんがらがって固まってしまった結び目が解けたように。そして二人きりの生活が始まった。僕は江口さんが人形になっていないことに安堵した。

私はそれから田中くんをつきっきりで看病した。田中くんは毎日眠る時間が増えていくのだけれど、起きている間はとても元気で、意識の混濁も認められなく、それがどうしようもなく悲しかった。そして私たちはまた色々なことを話したけれど、またいつかのように田中くんが考えた創作話を私が聞かせてもらうということになった。立場は逆転してしまったけれどね。まるで成長するにつれて親子の立場が逆転してしまうように。

臆病で人を斬れない侍がアメリカ大陸に渡って大活躍する話、お姫様を閉じ込めた城を守るためのドラゴンと友達になってしまった勇者の話。自分の彼女が宇宙人だと知ってしまった思春期の歴史オタクの男の子の話。他にも色々あるけれど、どれもとても面白かった。もしかしてそれが田中くんの遺言なのかもしれない、と思った。その間にも田中くんが眠る時間は増え続けていった。辛かった。そして完全な眠りに入る数日前に田中くんは私にこう言った。今まで君に話した創作話を君名義で良いから本にしてほしい、と。

私は田中くんが完全な眠りについてしまってから、田中くんが話してくれた物語を原稿にしたためた。東京へ行き、さる有名な出版社を訪ねてみた。私はやっぱり都会の海は好きになれない。海岸線が無いからだ。

「そこのブースがあるでしょう。そこで座って待っててください。すぐに編集者が来ますので。」

私は殺風景で蜂の巣のようなボックス席で編集者を待っていた。そしてその編集者を見た瞬間、私は心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。

その人は田中くんにとてもよく似ていた。少し顔が老けていたが、あの幸薄そうな、それでも、力強く奥深い瞳、中肉中背で、背が高く、少し猫背で、くるくるカールした髪の毛。彼は田中くんの生き写しかと思うくらいにそっくりだった。

「江口さんね、あなた才能あると思いますよ。この話は是非うちの主催する賞に出してみましょう。あ、これ僕の名刺ね。・・・あのそんなに僕の顔をジロジロ見て、なんか変なものでもついてます?

「あ、いいえ昔あなたに良く似た人を見た事があって、親戚に田中って人います?」

「いいえ居ませんよ。僕の名前は剣崎です。」

「え・・・・。」

「なんです?そんなに珍しい名前でもないでしょ。」

私は絶対に埋められない空白が埋められたのを感じた。そう。空白は埋められる為に存在しているのだ。そう確信した。

私は田中くんが創った話で新人賞を取り、一躍売れっ子作家になった。

ある日の夕方編集者の剣崎さんと街を歩きながら、一緒に話した。これから一緒に映画を見にいくのだ。

「おめでとう。今度は君の作品が芥川賞を取ったね。」

「あなたと初めて会ったのは5年前からしらね。もう私たち付き合ってから5年くらいになるわね。」

「あの頃から君は僕にとっての未来だったよ。」

「うふふ。本当にあの頃夢にも見ていなかった未来に来てしまった。」

「私もう35よ。」

「僕は43だ。時間が経つのって早いね。」

私はその編集者の剣崎さんと結婚した。とても幸せだった。それまでの人生が嘘になってしまうくらい。そして私はその幸せの秘密に少しずつ気づきつつあった。

この世界はきっと田中くんが見ている夢のようなものなんだ。私は田中くんの中にあった江口さんなんだ。私の中の田中くんが私を救い、田中くんの中の私が田中くんを救った。誰かのために生きたこと。それは変わらない。分かりあえなくとも、分かり合おうとすることはできる。それが恋なのだろう。二人の間に乗り越えられない谷間があったしても、その谷間があるからこそ、波はいつまでも終わらない。だから想像力が必要なのだ。

私は夫と子供を連れて海水浴に来ていた。初夏の陽気で、冷たい水が心地よかった。この町のさざなみは私の耳に心地良い。波の終着点。波は色んなものを運んでくる。夢と現実、希望と絶望、そして死。死によって夢と現実はひとつになる。理想と現実は一つになる。空白は埋められる。全てのことは無駄ではなかった。誰かのために生きたこと。

宇宙にはスペースコロニーが浮かび、そこには孤児達が居る。彼らは今度宇宙人に会いにいくらしい。海の家では何故かあの鷺浦さんが働いている。私はまだ許していないけれど、夫と知りあいらしく、二人で色々と話していた。まるで結託して私を仲間はずれにするように。鷺浦さんが言う。「ほら言っただろ。人生に無駄な事は一つもないんだよ。それが全部自己満足だとしてもね。」

実は金城という柄の悪い男が夫の友達だ。風のように軽々しい男だが、私は嫌いじゃない。加藤くんは東京で一山当てて大富豪になったって聞いた。今度同窓会に行く時に会う予定だ。

海の家では親戚の田崎さんと夫の老齢のおばあちゃんがお茶をしている。田崎さんはシーシユポスの神話を片手に哲学談義をしている。とても和やかな雰囲気だ。

「お母さん見てー!からの貝殻が落ちてるー!」

私はそれを見て少し涙ぐむ。

東京にある、ある一軒家のリビングに小さな家族写真が立てかけてある。写真の中は春である。桜の花びらが目の端で、現実の時間の速度よりもゆっくりと舞い落ちる。そこには確かに愛し合った一人の男と一人の女、そして二人の子供達がにこやかに微笑んでいる様子が写っている。


多分自分が死ぬ時に自分と他人は一体化する。だからそれまでは何事も決定されないまま、自分や他人は宙吊りなのだと思います。せっかちな人が多いですよね。

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