第10話 希望
5000字くらいです。楽しんでいただけたら幸いです。
「創作部?なんだそりゃ。」
高校の職員室で剣崎と僕は部活の申請をしている。休み時間の職員室は、大量の書類を整理する事務職員さんや、どこかへ電話をしながら授業の準備をする僕らのクラスの担任や、不良を叱る体育の先生なんかが居て、それぞれが皆別の仕事をこなしていて、忙しそうで、ラッシュアワーの駅の人の流れの様に錯綜している。校庭から繰り返しこだまのような運動部の掛け声が聞こえてくる。校庭を周回する、その一定のリズムはこの世界の時間が確かに少しずつ進んでいる事を確信させてくれる。目の前に居るのは、ヒゲのおじさんと呼ばれている田崎という初老の教師で、地理と世界史を担当している。鼻の下に豊かな真っ白い髭を生やしていて、白いシャツの上に灰色のベストを着ている。彼はいつも鷹揚としていて、生徒を叱ることは滅多にない。だから彼は、生徒から温厚な大型の哺乳類の様にぼーっとしている様に見える。そのせいで生徒に舐められる事もしばしばだが、彼はそんなことを気にせず、男女分け隔てなく優しく接して、人気のある先生だ。クラスの中心という訳ではないが、人に愛される才能のある人なのだ。だが彼がたまに怒る時は、本当に怖い。生徒が崖から落ちないように首根っこを掴んで、無理やり崖の反対方向に引きずっていく感じだ。
「文芸部じゃダメなのか?」
「俺達の作る部活は文芸部とは根本的に違います。あいつらは自分が何を知っているかを競い合っているけれど、僕らは自分が何を知らないのかを追求していくんです。自分に何が創作できるのかを追求していくんです。」
剣崎が田崎先生に捲し立てる。田崎先生はまだ懐疑的だ。僕が助け舟を出す。
「僕らがやりたいのは0から物語を作ることなんです。だから部費もいらないし、人数だってそんなに要らない。一人からだって始められる事なんです。自分の内面から湧き上がってくる物を観察することなんですから。でもそんな活動に一人また一人と賛同してくれる人が増えたら、・・・。だから部活である必要があるんです。」
「う〜む。・・・。それで、私に顧問になってほしいと?」
「はい、ぜひお願いします!」
剣崎は創作部の顧問は是非ヒゲのおじさんに頼もうと決めていた。僕らは放課後の誰もいない、テスト用紙の余白のような教室で、創作部の未来の展望について話し合った。
「俺は、顧問はヒゲのおじさんに頼もうと思うんだよ。彼は社会の先生だけれど、決して自分が何を知っているかをひけらかさない。他のつまらない先生みたいに最初から最後まで授業のプランがある訳ではなく、その時々で言うことが変わるし、社会の先生なのに、専門外の数学とか物理とか古文の話をして、話が色んな所へ飛んでいってしまう。・・・。生徒のその時々の、知りたいという欲求にちゃんと理解を示してくれていると思う。そんな所を俺は尊敬しているんだ。それに彼は昔、小説家を目指していたという話を聞いた事がある。僕らの活動にもきっと理解を示してくれると思う。」
「それに優しいしね。」
「そう、それも大事だ。創作部だなんて認めてくれる人は優しくないといけない。」
僕は目の前に居るヒゲの先生をまじまじと見つめる。彼は懐疑の目で僕らを見つめ返す。
「君らは僕の優しさに期待していないかい?僕は生徒に優しくしている様に言われているかもしれないけれど、本当は違うよ。一人一人の生徒をリスペクトしているだけだ。一人一人を決めつけず、彼らが成長する可能性を真摯に見つめて支援しているだけだ。君らは、本当は僕に何を期待しているの?僕の優しさに漬け込んで、適当な部活動をするつもりなら、僕は承諾しないよ。」
「いえ、そんなつもりは・・・。」
「先生は昔小説家を目指していたという話を聞いたことがあります。」
田崎先生は何かを警戒する動物のように眉を顰める。
「先生だったら、俺らが言っている事を理解してもらえると思ったんです。俺らはただ創作をしたいのではなく、創作を通じてそれ自体が何かを見定めたいんです。是非先生から創作の秘密について学びたいんです。」
先生は傍にあるコーヒーを飲み、水たまりから十分に水を飲み終わった象の様に一息ついて落ち着く。
「う〜む。それは難しい問題だぞ。人間にとって何故物語が必要なのか、僕にだってこの歳になっても未だによく分かっていない。それでもいいかい?」
剣崎は分かりやすいくらい、急に表情が明るくなる。
「それでもいいです!是非お願いします!先生なら、俺らの活動を理解してくれると思っていました!ありがとうございます!」
剣崎は田崎先生に対して、交渉に成功したビジネスマンの様に、大仰に90度のお辞儀をする。僕も軽く会釈する。
「面白そうな話だから、僕は君らの可能性を信じてみようと思うよ。放課後の空き教室を探してあげよう。ふふふ。僕を失望させないでくれよ。」
「はい!よろしくお願いします!」
僕らは放課後のだんだんとオレンジ色になっていく、人気のない廊下を歩きながら、創作部の未来について嬉々として話す。
「俺らに必要なのは、教養でも部費でもなく、まずは時間だ!そして仲間だ!何に必要とされなくても、せかされずとも、世の中と繋がっていなくても、存在できる俺らだけの居場所だ!」
「僕は創作の秘密を明らかにする事は、世界の秘密を明らかにする事だと思う。その為にはやっぱり時間が必要だ。僕らは世間から孤立しているかもしれないけれど、それを共有してくれる人が増えれば、増えれば良いなあ。そうしたら僕らは世界の秘密を公表する事が出来るかもしれない。・・・もう誰かが解明しているのかもしれないけれど・・・。でもそれが分かれば、それはそれで良い事だ。」
「うん、良い事だ。」
僕らが玄関口に向かって廊下の角を曲がった時だった。前から走ってきた男にぶつかった。それで彼は転倒してしまう。僕もバランスを崩して転んでしまう。僕はその男に見覚えがあった。
「か・・・加藤・・・・。」
それは高校生になった加藤だった。加藤が僕の事を睨みつける。彼は相変わらず太っていて僕より一回り身体が大きく、手にはコンビニの惣菜パンとか、ジュースがたくさん入ったビニール袋を持っていた。それらが散らばってしまった。加藤がそれらを自分の唯一の財産であるかのように急いでかき集める。彼が目を合わせないで話しかけてくる。
「田中か・・・。久しぶり・・・。」
「うん・・・。久しぶり・・。」
「最近、江口さんと会ったりしてる?」
「この前、江口さんから手紙が来たよ。」
「そうなんだ・・。最近の江口さんの様子はどう?」
「病気のおかげで、学校に通えなくなってしまったんだって・・・。だから僕と手紙でやり取りしたいって・・・。」
「そうなんだ・・。」
「おい!加藤!!」
廊下の奥から長身の男がゆったりと歩いてくる。金髪のロン毛で耳にはピアスをして、学校の廊下で堂々とタバコを吸っている。
「てめえおせーぞ。食い物買いにいくのに、何分かかってんだこの豚!」
「ウッスすみません先輩、今すぐ行きます。」
「こいつら誰?お前の友達?」
その男が僕らを睨みつける。まるで獲物を前にして様子を伺うハイエナのようだ。僕と剣崎は目を逸す。
「いえ、たまたまぶつかっただけの他人です。」
「そっか、ほら早く来い豚!」
その男が加藤の尻を蹴り上げる。加藤はその男の奴隷のように、その男と共に廊下の向こう側に行ってしまう。廊下の向こう側から地獄の獄卒が罪人をゲラゲラ嘲笑うような、酷く醜い笑い声が聞こえてくる。
「ひええ・・・。こっわ・・。あの太っている方は田中の友達なの?」
「うん、中学校からの友達だよ。」
「いい奴だな・・・。」
「うん・・・。」
僕は家に戻る。丘の上から水平線に沈みそうな太陽を眺める。おばあちゃん、どうしよう。加藤があんな辛い目に遭っているのに、 僕には彼に何をしてあげたらいいのか分からないし、何かをする勇気もない。剣崎の言うように逃げてしまえばいいのかなあ。そしたら・・・、それだけ僕らは成長して・・・。そして宇宙人がやってきて、僕ら皆を助けてくれるのかなあ。おばあちゃんは水平線の向こうに居るのだろうけど、僕はそちらには行けないけれど、出来たら僕に小さな勇気をください。波に乗せて。
郵便受けを確認すると江口さんからの返信が来ていた。僕は夕食も食べないで早速開封する。
「返信ありがとう。創作部って素敵ですね。もし私もその学校に居たら入ってみたいです。加藤くんも入れてあげればいいと思います。加藤くんは最近どうしていますか?出来たら教えてください。
ところで田中くんが書いたお話、とても楽しく読ませてもらいました。私も私の事を宇宙人に救ってもらえたらどれだけ楽になるかと思います。病気の事もお母さんの事も、全ては私が宇宙人になることの、宇宙人が現れる為の序章だったとしたら?成長が人間に許された唯一の希望だったとしたら?私は私の為の映画館のシアターでどんなエンドロールを見ることになるのでしょう。私のちっぽけな魂が広大な宇宙の中を彷徨っている。それがくっついたり、離れたり。またくっついたり。私が田中くんと出会えたのも、作中のウェリントンさんが色々な出会いをしたように、奇跡的な運命なのかもしれないです。
でも私はもう一度海が見たい。この狭くて暗い部屋から鳥のように飛び出して、波打ち際に座って、日が沈むまで地平線の向こうをずっと眺めていたい。月が出てきても夜の海をずっと眺めていたい。実は私はあまり宇宙人が好きではありません。何だかそれは人間の運命を裏切ってしまう希望のような気がするからです。でも海は裏切らない。それは常に、私達の耳に残像のようなさざなみの音を残していってくれる。未来にどんな希望を描こうと、どんなに現実に絶望しようと。だからその波打ち際をただそのまま観察すればいいのだと思います。それが本当の人間が生きる意味なんだと、幸福なんだと最近思いました。てへっ!これに関しては田中くんの考えも聞いてみたいです。そしてまた何か面白い話を思いついたら何枚でも良いからお手紙をください。お返事、待ってます。」
僕は自分で作った夕食を食べ、江口さんが手紙で書いていたことについて考える。ただ波打ち際を観察する。希望は人間を裏切ってしまう。う〜んでもやっぱり人間は希望を抱いてしまうし・・・。江口さんは波打ち際だけで満足出来てしまうのだろうか。病気が治って、お母さんとも仲良くなって・・・。本当はそんな希望を抱いているんじゃないだろうか。でも僕は重い病気になった事は無いし・・・。僕が彼女についていけていないのかもしれないなあ。僕の苦しみなんか、彼女には遠く及ばないよ。
僕は布団に入り、真っ暗な海を照らす灯台のようなスタンドの明かりをつけ、江口さんに手紙の返事を書く。夜の海の波音を意識する。
「感想ありがとう。海の波打ち際をただ眺めるという話、とても面白いと思います。ただ、僕はあまり納得できません。やっぱり人間には希望がないといけないと思います。それがもし現実からの逃避だったとしても、それで成長するってこともあるのではないでしょうか。そして成長した先にはきっと幸せなエンドロールがあるのでしょう。
加藤の事ですが、彼は例の事件で江口さんの力になれなかったことを後悔して、塞ぎ込んでしまっています。彼とこの前高校でバッタリ会ったのですが、彼は今不良のパシリをやっているみたいです。何だかとてもしんどそうでした。
江口さんは彼にどんな事をしてあげたらいいと思いますか?僕には不良をやっつけられるくらい強い力は無い。力のない者は逃げるしかないのでしょうか。僕には今仲のいい友達が一人いて、彼が言うには逃げるっていうことはそんなに悪いことでは無いのだそうです。人間は逃げることで、逃げ道を見つける事で成長する。それが成長なのだと。聖書にもそんな一節があるのだそうです。でも加藤は今現実に苦しんでいる。とにかく学校の先生にその事を報告しようと思っています。それがどれだけ効果があるのか分からないけれど・・・。僕はもし戦うのであるなら、どんな事が出来るか自分で考えようと思います。もし何か良いアイデアがあればお手紙で教えてください。お返事待っています。」
僕は筆を置いて、スタンドの明かりを消す。深海の仄暗い海の底のような闇の中で僕は眠りに落ちる。
加藤の再登場です。
私はたまに、宇宙人がどこかからやってきて、地球の全ての問題を解決してくれたらいいのにと思うことがあります。




