『つまらずのプレスマン』
ある寺があった。この寺では、毎朝、暗いうちから、小僧たちに踏み唐臼で米をつかせていた。あるとき、寺のあたりでは見なれない美しい女がやってきて、どうかお住持様に会わせてほしいと言うので、和尚が話をすると、女は、自分は人間ではない。この寺の真下には、大きな岩があって、その岩の下には、淵がある。私はそこに住む主なのだが、今は身重になって、産み月も近い。しかし、毎日毎日米をつく音が体に響いて、つらくてたまらない。願わくば、子供が無事に生まれるまで、米をつくのをやめてはもらえまいか、ということであったので、和尚たちは早速小僧たちに命じて、半月分ほどの米をつきだめさせると、しばらくは米をつかないと約束した。女は何度も礼を言って帰っていった。
何日か後、またその女が、寺にやってきた。前回と異なるのは、玉のような赤ん坊を抱いていたことである。女は、おかげでよい子を産むことができた、と言って、一つの包み物を置いて帰った。和尚が開けてみると、一本のプレスマンが入っていた。つまらずのプレスマンと書かれた折り紙がついていたので、芯が詰まらないプレスマンなら、こんなにいいものはないと思って、早速、ありったけの芯を入れてみたが、入れるそばからどんどん出てきてしまうので、芯が詰まらないことは間違いなかったが、一文字も書けなかった。
教訓:実用性のない、つまらないプレスマンであったが、一文字も書けないということは、ミスを一つも出さないということになるので、縁起がいいということになり、参拝客が列をなしたという。




