第一章:地図が囁く、雨の日の嗚咽
目の前の風景が水彩絵の具のように滲んで混じり合いそして別の形を結んだ。そこはいつもの書斎ではなかった。逸郎はまるで幽体離脱でもしたかのように雨に打たれる街角に立っていた。五十年前の桜木通り。
アスファルトはまだ真新しく舗装されたばかりの道路特有のタールの匂いが雨に混じって立ち上る。通りの脇にはまだ土がむき出しの場所さえある。高度経済成長期の建設ラッシュ真っ只中でありあちこちで工事の音が響いていた時代。そして目の前には一本のコンクリート柱が冷たい雨に打たれながら立っていた。まだ真新しい自分が設置に立ち会ったはずのあの電柱だ。
昭和四十八年当時の電柱設置技術は今とは大きく異なっていた。現在のような大型クレーンはまだ普及しておらず人力と小型の建設機械に頼った作業だった。八メートルのコンクリート柱を立てるには十人以上の作業員が必要で「よいしょ!」の掛け声と共に柱を押し上げる光景は昭和の工事現場の象徴でもあった。当時二十二歳だった逸郎はその光景を感動と共に見つめていた。
――ひっくうぅ……ひっく……。
耳元で若い女性の嗚咽が聞こえた。それは心の奥底から絞り出されるような深い絶望に満ちた泣き声だった。声のする方を見ると電柱の根元に一人の女性がうずくまっていた。
薄手の白いワンピース。雨に濡れて肌に張り付きその体の線の細さを際立たせている。長い黒髪が顔を覆っていて表情は見えない。だが背中の震えだけで彼女が絶望の淵にいることが痛いほど伝わってきた。細い肩が嗚咽のたびに小刻みに揺れている。
昭和四十年代の女性のファッションは今とは大きく異なっていた。ミニスカートが流行し始めた時代だったがこの女性の着ているワンピースは膝丈のクラシカルなデザインだ。生地はおそらくポリエステル混の化繊で当時としては最新の素材だった。しかし雨に濡れると透けやすいという欠点があり彼女は寒さに震えながらも自分の体を隠そうと必死になっている様子だった。
助けなければ。そう思ったが体は動かない。声も出ない。逸郎はただの透明な傍観者としてそこにいることしかできなかった。まるでガラス越しに映画を見ているようなもどかしさ。
女性の手には雨に濡れて滲んでしまった何かの紙片が握られていた。白い紙が雨によってぐしゃぐしゃになりその上のインクの文字が涙のように流れている。
女性の嗚咽は雨音に混じりアスファルトに吸い込まれていく。その悲しみは幻とは思えないほどの質量を持って逸郎の胸を締め付けた。なぜ彼女は泣いているのか。なぜこれほどまでに絶望しているのか。逸郎の心にこれまで感じたことのない他者への強い関心が芽生えた。影として生きてきた自分が他人の心の深い部分に触れてしまったような畏れとそして微かな興奮。
はっと息を吸い込むと逸郎は自分の書斎の椅子に座っていた。額には汗が滲み心臓が早鐘を打っている。手は微かに震えていた。窓の外では現実の雨が静かに降り続いていた。
机の上には作りかけの地図。そしてインクの染みがまるで涙の跡のように「桜木通り五十六号」の記号の隣に落ちていた。逸郎は自分がいつの間にかペンを落としていたことに気づいた。
「……疲れているのか」
逸郎はかすれた声で自分に言い聞かせた。老人特有の白昼夢のようなものだろう。最近よく眠れていないせいかもしれない。そう片付けようとした。だが胸に残るあの生々しい悲しみの感触がそれを許さなかった。あの嗚咽は確かに本物だった。そしてあの女性が握っていた雨に濡れた紙片も。
逸郎は震える手でインクの染みを拭き取ろうとしたがもう紙に深く染み込んでしまっていた。まるでその場所に刻まれるべき運命の印のように。
その日を境に逸郎の世界は静かに変容し始めた。
地図上の特定の電柱に意識を集中させるとまるで古い映画のフィルムを再生するように断片的な光景が脳裏に浮かぶようになったのだ。最初はそれが本当に起こっているのか自分でも確信が持てなかった。だが次第にその幻視は鮮明になっていく。
「南町銀座商店街三十二号柱……」
ペン先を止めると夕焼けに染まる商店街の風景が浮かぶ。豆腐屋のラッパの音。お好み焼き屋から漂うソースの焦げる匂い。そしてその電柱の灯りの下でランドセルを背負った子供たちが影踏みをしながら笑い合っている。一人の男の子が「影を踏まれたら鬼になるんだ!」と叫んでいる。その声まで聞こえてくる。
昭和四十年代の商店街は今とは比較にならないほど活気に溢れていた。商店街の電柱には必ずと言っていいほど共同のスピーカーが設置されており朝は「ラジオ体操の歌」昼は時報夕方は「夕焼け小焼け」が流れていた。子供たちはその音楽を合図に遊びを切り上げ家路についた。電柱は単なる電力供給設備ではなく地域コミュニティの中心的存在だったのだ。
「西公園入口十四号柱……」
夜の公園。ベンチに座る若い男女。男が差し出した小さな箱を女が震える手で受け取る。「本当にいいの?」「君となならどこまでも」。はにかむ女の頬に涙が光る。その二人を公園の入り口に立つ電柱が優しいオレンジ色の光で照らしている。
昭和四十年代の街灯は今のような明るいものではなかった。電柱に設置された水銀灯は四十ワット程度で現在のLED街灯の十分の一程度の明るさしかない。そのため夜の公園は薄暗く恋人たちにとっては格好のデートスポットだった。逸郎自身も若い頃同世代のカップルたちが電柱の下で語り合う姿を何度も目撃している。あの頃の街は今よりもずっと人と人との距離が近かった。
それは逸郎が「影」として過ごしてきた人生でいつもすぐそばにあったはずなのに見過ごしてきた無数の人々の名もなき営みの断片だった。電柱はただのコンクリートの塊ではなかった。それはその場所に立ち続け都市の記憶を人々の喜びや悲しみをその身に刻み込んできた声なき証人だったのだ。
そして逸郎の心に最も強く焼き付いて離れないのはやはりあの「桜木通り五十六号」の記憶だった。
逸郎は意を決して再びあの電柱に意識を集中させた。すると今度は違う光景が見えた。
同じ電柱の下。だが季節は初夏だろうか眩しいほどの青空が広がり強い日差しが地面を焼いている。蝉の声がどこからか聞こえてくる。泣いていたのと同じあの白いワンピースの女性が一人の青年と楽しそうに話している。
青年は背が高く清潔感のある顔立ちをしていた。着ているシャツが眩しいほどに白い。二人の笑い声が幻聴となって逸郎の耳に届く。女性は青年の腕に自分の腕を絡め幸せそうに微笑んでいる。その笑顔はまるで世界中の光を集めたような輝きに満ちていた。
「明子」と青年が女性の名を呼ぶ。「和也さん」と明子が答える。その声は純粋な愛に満ちていた。
その幸福な光景はしかし次の瞬間には激しい口論の場面へと変わった。
「いい加減にしろ!」
青年の怒声。明子の悲痛な表情。青年が何かを地面に叩きつけて足早に去っていく。明子はその場に立ち尽くしやがて崩れるように泣き始めた。あの雨の日の嗚咽はこの出来事の続きだったのだ。
逸郎は自分がとんでもないものに触れてしまったことを理解した。これは単なるノスタルジーではない。忘れられた一人の人間の愛と悲しみの物語なのだ。そしてその物語はまだ終わっていない。
逸郎は生まれて初めて他人の人生の結末を知りたいという強い衝動に駆られた。それは今まで感じたことのない能動的で力強い感情だった。自分の人生はもう終わったようなものだ。だがこの忘れられた物語に自分が光を当てることができるのなら……。
影として生きてきた男が初めて誰かのための光になろうとしていた。
逸郎は震える手で受話器を取り古巣である電力会社の資料保管庫の内線番号をダイヤルした。プルルルという呼び出し音が書斎の静寂を破る。
「もしもし」
若い女性の声が響く。逸郎は意外にしっかりとした声で答えた。
「私人影と申します。元工務部の者ですが……」
 




