序章:影の男と、始まりのインク
人影逸郎は自分の人生が壁に落ちた影のようなものだったとずっと思って生きてきた。輪郭はぼんやりとし誰かに気づかれることもなく光が差せば現れ陰れば消える。いてもいなくても世の中は何も変わらない。七十歳の歳月はその諦念を染みのように心の奥深くまで広げるのに十分すぎる時間だった。
電力会社に勤め勤め上げた。配属されたのは最後まで地図の作成と管理を行う工務部の資料課。同期が出世街道を駆け上がっていくのを逸郎はいつも部屋の隅で見ていた。彼の仕事は新しい電柱が立てば地図に線を一本加え古いものが撤去されればそれを消すこと。都市の血管を紙の上に写し取る地味で誰からも評価されることのない作業。その姓と物静かな性格も相まって社内でのあだ名はいつからか「人影さん」になった。
電力会社の地図作成は一般の人が想像するより遥かに複雑で精密な作業だった。一本の電柱には「昭和四十二年設置・高さ八メートル・コンクリート製・設計荷重二点五トン・基礎深度一点八メートル」といった基本仕様から「変圧器容量・支線角度・離隔距離・巡視点検日程」まで数十項目のデータが紐づいている。逸郎が手がける地図は単なる位置図ではなく電力供給という都市の生命線を支える精密な設計図でもあった。
彼が愛用したのはドイツ製のロットリング・イソグラフという製図ペンだった。インクフローが安定し〇・一ミリメートルという極細線でも掠れることのない優れものだ。一般的な製図ペンが二十本で五千円程度だった時代にこのペン一本が三千円もした。新人の月給が三万円だった頃の話だ。逸郎は初任給の一割をこのペンに注ぎ込んだ。同期たちが飲み会で騒いでいる間彼は一人事務所に残りロットリングの先端を紙に走らせていた。
「人影さん例の北区の図面できました?」
「はい、もうすぐ」
「いつものように完璧でしょうけどね」
悪意はないのだろう。それどころか同僚たちの言葉にはむしろ彼の几帳面な仕事ぶりへの敬意すら感じられた。だが呼ばれるたびに逸郎は自分の存在がまた一つ薄まっていくような気がした。
電力会社の地図には一般には知られていない暗黙のルールがある。赤い線は高圧線青い線は低圧線緑の線は通信線。だが逸郎の地図には他の誰も使わない独自の記号があった。微細な点や短い破線で表現される「人の気配」だ。その電柱の下でよく子供たちが遊ぶ場所商店街の人々が立ち話をする角夕方になると恋人たちが待ち合わせをするベンチ。正式な業務記録には残せない「街の記憶」を彼は密かに地図に刻み込んでいた。
定年退職の日。花束の一つも受け取ることなく──いや正確には小さな花束を部下の田中が恥ずかしそうに差し出したのだが逸郎の方が慌ててしまいそそくさとその場を立ち去ろうとしてしまったのだ──そして結局不器用にそれを受け取った。逸郎は会社を去った。まるで最初からそこにいなかったかのように。
しかしその日田中が差し出した花束には小さなメッセージカードが添えられていた。「人影先輩の描いた地図で私たちは今も街を支えています。本当にありがとうございました」。逸郎がそれに気づいたのは家に帰って花束を花瓶に生けようとした時だった。四十五年間誰からも褒められることのなかった仕事が少なくとも一人の後輩には届いていた。その事実が逸郎の胸に小さな暖かい光を灯した。
妻に先立たれ子供もいない逸郎の家はしんと静まり返っていた。その静寂の中で逸郎は人生で初めてそして最後の自己満足のための大事業に取り掛かることにしたのだ。
「究極の電柱地図」の作成。
それは逸郎が四十五年以上にわたって担当してきたエリアの全ての電柱の情報を一枚の巨大な地図の上に手書きで再現するという途方もない作業だった。書斎の壁一面を覆うほどの大きさのケント紙。そこにはただの記号としての電柱が描かれるのではない。逸郎が自分の記憶の底から丹念に掘り起こしたありったけの情報が書き込まれていく。
一本の線を引く。愛用のロットリングのペン先が紙の上を滑る微かな音が静寂に満ちた部屋に響く。
「昭和四十二年三月北区王子五丁目八メートルコンクリート柱。設置日小雨。土の匂いが強かった。近くのパン屋から甘いコッペパンの香り。子供たちの下校時刻。『電柱のおじさんありがとう』と女の子が手を振ってくれた」
「平成三年十一月豊島区巣鴨一丁目十二メートル鋼管柱。バブルの残り香がまだ街にあった頃。近くの商店街のスピーカーから『ジングルベル』が流れていた。工事現場の作業員が『今年のボーナスで車を買うんだ』と話していた。その車はクラウンか何かだっただろうか」
業務データと共にその日の天気季節の匂い街の音そしてその時逸郎自身が感じた取るに足らないはずの感情。それら全てを虫眼鏡でなければ読めないほどの小さな文字でインクに込めていく。
実は電柱の寿命は意外に短い。コンクリート柱でも四十年から五十年木柱なら二十年程度で交換される。逸郎が新人の頃に設置を見守った電柱の多くはもう既に二代目三代目に代替わりしている。電柱には人間のような戸籍はないが逸郎の記録こそがその「系譜」だった。初代は昭和三十年設置の木柱二代目は昭和五十年設置のコンクリート柱現在の三代目は平成十年設置の軽量コンクリート柱。それぞれの時代の技術とデザインが刻まれている。
誰に見せるためでもない。誰かに褒められたいわけでもない。ただ影のように生きてきた人影逸郎という男が確かにこの世に存在し何かを成したというたった一つの証を残したかった。インクが紙に染み込み乾いていく。それは逸郎の消えゆく人生を紙の上に定着させるための虚しくも切実な儀式だった。
地図の作成を始めて一年が過ぎた。壁の地図は無数の黒い線と青い文字で徐々に都市の姿を現し始めていた。それは逸郎の生きてきた時間の集積であり彼が見てきた世界の全てだった。
ある雨の日の午後。外では春にしては激しい雨が窓ガラスを叩いていた。逸郎は五十年前の記憶の引き出しを開けていた。まだ若く新入社員として仕事にも少しだけ希望を抱いていた頃。昭和四十八年春。
「桜木通り……五十六号柱。そうあの日は確かひどい雨だったな……」
呟きながら逸郎はペン先にインクをつけた。その時の記憶が鮮明に蘇ってくる。設置工事に見習いとして立ち会ったあの日のこと。工事関係者の一人が雨に打たれながら「今日みたいな日に立てる柱はきっと長生きするよ」と冗談めかして言ったこと。そんな些細な記憶まで。
そして地図上の一点にその電柱番号を記そうとしたその時だった。
ふと意識が白む。万年筆を持つ指先の感覚が消え書斎の古書の匂いが雨に濡れたアスファルトの匂いとむせ返るような春の若草の匂いに変わった。