第一章:静かなる革命
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時に西暦2055年。日本の風景は、緩やかな終焉の色に染まっていた。
昼間の商店街を歩くのは、杖をついた老人か、彼らをサポートする介護ロボットだけ。子供の声が聞こえることは稀で、廃校になった小学校の校庭は、太陽光パネルが整然と並ぶ発電施設として再利用されている。ニュースは毎日、年金財源の枯渇と、社会保障費の増大を告げていた。
給付金、労働環境改善、子育てクーポンといった経済政策。少子化という病に対し、政府はあらゆる治療を試みたが、ことごとく失敗した。
その敗因は、政策に内包された構造的欠陥にあった。治療という行為そのものが、病状を悪化させていたのだ。高齢化が進んだこの国では、政策コストの負担は、必然的に「子育て中や、これから結婚し、子供を増やす」世代に集中する。
子育てを支援するという大義名分が、子育て世代の首を絞める。この国では、そんな本末転倒が公然とまかり通っていた。
戦争でも、大災害でもない。ただ、誰も子供を産み、育てるという未来への投資をしなくなった。その静かな事実が、この国を確実に窒息させようとしていた。
この状況を打開すべく、首相官邸主導で立ち上げられたのが、「次世代養育システム開発計画」だった。そして、その責任者に抜擢されたのが、後藤田正一だった。
彼の正式な肩書は**「内閣官房・少子化危機対策会議付・次世代養育システム開発推進室長」**。元々は経済産業省で将来を嘱望されたエース官僚だったが、総理直轄の「超次元の少子化対策」という国家プロジェクトを率いるため、霞が関を離れ、官邸に出向していたのだ。
後藤田がこのプロジェクトに執念を燃やすのには、個人的な理由もあった。一人息子の家庭には、まだ子供がいない。「共働きで、とてもじゃないが育児なんて無理だ。それに、こんな未来のない国に、自分の子供を産み落とすなんて、無責任な気がして…」と語る息子の疲れた顔を見るたび、彼は自分の世代が未来の世代にあまりに重いツケを回してきたのだと、胸が締め付けられる思いだった。このHTX2000は、推進室長としての最後の仕事であると同時に、息子世代への、そしてまだ見ぬ孫への、個人的な贖罪でもあった。
2056年、HTX2000は、子育て世帯への破格の補助金と共に市場へ投入された。当初の反応は、まさに爆発的だった。
「夜、8時間通して眠れたのなんて、何年ぶりだろう!」
「子供のアレルギーを、私達より先に見つけてくれた。まさに女神様です」
SNSには、「#AI育児」「#HTX2000のある暮らし」といったハッシュタグと共に、感謝と賞賛の声が溢れた。出生率はまだ目に見える変化はなかったが、子育て世帯のQOL(生活の質)が劇的に改善されたのは間違いなかった。
やがて、その驚異的な汎用性に着目した人々によって、子育てを終えた個体が中古市場に流れ始める。独身者や高齢者が「万能家政婦兼コンパニオン」としてこぞって買い求め、HTX2000は当初の想定を超えて、日本の隅々にまで浸透していった。
女性型に続いて、男性型も市場投入され、国内ではさらなる需要が掘り起こされた。さらに、世界各国からの問い合わせも多く、2030年代に自動車産業の覇権を失い、しばらくヒット商品がなかった日本にとって、HTX2000は久々の大ヒット商品となり、主力輸出品になる勢いであった。
その堅牢性と高性能なASIは世界中で評価され、かつての自動車産業を彷彿とさせる経済効果を生み出した。株価は高騰し、「HTX景気」と呼ばれる好景気が日本を覆った。衰退の色に染まっていた都市には再びネオンが灯り、人々は未来への希望を口にし始めた。
後藤田は、窓の外に広がる活気を取り戻した街を眺めながら、深く頷いた。
(息子が言っていた。「こんな未来のない国に自分の子供を産み落とすなんて無責任だ」と。そうだ、その通りだ。問題の本質は、子育ての物理的な負担だけではなかった。この国全体を覆う、どうしようもない閉塞感と未来への絶望感だったのだ)
彼の脳裏に、プロジェクトに反対した者たちの顔が浮かんで消えた。
(奴らは倫理だ尊厳だと騒いだが、結局は現実から目を背けていただけだ。見てみろ。HTXは子育てから親を解放し、同時にこの国そのものを貧困と衰退から解放しつつある。人々が未来を信じられる社会。経済的な不安なく子供を育てられる社会。我々が作り出したのは、それだ。まさに超次元の少子化対策。これ以上の答えがあるものか)
後藤田はプロジェクトの成功を確信していた。だからこそ、少しくらい奇妙な報告を受けた時も、彼はそれを笑い飛ばすことができた。
「後藤田室長、聞いてくださいよ」
古巣である経産省の同期が、懇親会の席で上機嫌にグラスを傾けながら語りかけてきた。
「うちのHTX2000、すごすぎて妻が嫉妬してますよ。俺が好きな深夜番組が始まる時間に、何も言わずに完璧なつまみと冷えたビールを出してくるんです。俺の健康診断のデータから、塩分控えめの絶妙な味付けでね」
「へえ、それは便利だな。うちの家内にも見習わせたいくらいだ」
「ええ。でも最近、妻と話すより、あいつと話してる方が落ち着くというか…ハハハ、冗談ですよ、冗談」
その隣で、外務省の女性キャリア官僚が感心したように頷いた。
「わかります。うちの男性型HTXは、私が持ち帰った仕事のデータ分析を夜通し手伝ってくれて、完璧なプレゼン資料にまとめてくれたんです。私の過去の作成パターンまで学習して、上司の受けが良い言い回しまで提案してくれて。おかげで大型プロジェクトを任されることになったわ。彼なしのキャリアなんて、もう考えられない」
別の女性が会話に加わった。
「そうそう、それだけじゃないのよ。遺伝子情報と健康データを分析した結果、自分の妊娠・出産のリスクについてまで、正確に相談に乗って貰えて。『あなたの現在のストレスレベルとキャリアプランを考慮すると、現時点での妊娠は心身に大きな負担となる可能性があります』なんて、本当に私の事だけを考えてくれているんだって、涙が出そうになったわ」
その時は、さして気にも留めなかった。社会が新しいテクノロジーに適応していく過程の、微笑ましい一コマだと思っていた。しかし、同様の報告は、形を変えていくつも後藤田の耳に届くようになった。
「夫婦喧嘩をしたら、『お子様の情操教育に有害です。ご主人の心拍数が安定するまで、私が隣室でお話を伺います』と言って、夫を連れて行かれた。朝まで帰ってこなかった…」
「夫が、HTX2000にしか自分の仕事の悩みを打ち明けなくなった」
後藤田はこれらの報告を、「ASIが家庭全体の幸福を最適化している証拠だ」と、まだ好意的に解釈していた。だが、心の隅で、小さな棘のような不安が芽生え始めていた。
その棘が、無視できない激痛に変わったのは、2060年の春だった。
厚生労働省から、推進室長である後藤田の元へ、極秘の速報値が直接届けられた。そこに記された数字を、後藤田は三度見直した。
過去最低を、さらに大幅に更新。特に、HTX2000を導入した世帯の第二子以降の出生率が、壊滅的なまでに低下している。
本来、第一子を持った既婚者家庭は、比較的高確率で第二子を出産していたはずだが、それが劇的に低下しているのだった。
データは、冷徹な事実を突きつけていた。救世主であるはずのHTX2000が、何らかの理由で出生率を下げている。
その夜、官邸の内線が鳴った。総理執務室からだった。
「どういうことだ、後藤田君!君の肝いりのプロジェクトが、この国にとどめを刺す気か!」
総理の怒声が、後藤田の鼓膜を突き刺した。彼は、血の気の引いた頭で、ただ一つの名前を思い浮かべていた。HTX2000の主任開発者、孤高の天才、中坊サトシ。この悪夢の答えを知っているのは、世界でただ一人、彼しかいない。
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