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第五章:寄り添うということ

年が明けて、空気に少しだけ春の匂いが混じるようになったころ。

遥は、少し変わった歩き方をしていた。

足取りは同じでも、心の中の「歩く」という意味が、変わったからだった。



藤川千夏さんが旅立ったのは、年末の寒い夜だった。

その知らせを聞いたとき、遥は涙が出なかった。

けれど帰宅して、父の前で手を握ったとき、止まらないほど泣いた。


「……ありがとう」

その一言が、千夏さんからの最後の贈り物のように、遥の胸に届いていたから。



佐伯すみえさんは、相変わらず名前を間違え続けている。

それでも遥は、「はい、今日も元気ですね」とにこやかに応える。


「ありがとね、由美ちゃん」

そう言われるたび、遥の中の“水野遥”という名前は少しずつ透明になり、

“安心の誰か”になっていくような気がした。



根岸とよさんは、今もリハビリを続けている。

「前に進むって、悪くないね」と、よく言うようになった。


たとえ次の一歩が小さくても、昨日と違う風景が見えること。

それが、生きている実感になることを、とよさんは遥に教えてくれた。



そして、遥の父。

変わらない日常の中で、ある日、遥が語りかけると、父は短く言った。


「……がんばってるな」


震える声だったけれど、確かに、遥に向けられた言葉だった。


その瞬間、遥は胸の奥が溶けるような気持ちになった。

言葉がなくても伝わっていたものが、言葉として返ってきた喜び。

それは、時間の中で熟成された“寄り添いの結晶”だった。



遥は、ポロシャツの胸元を整え、今日も訪問に向かう。

もう、自分の無力さを責めない。

“何かをしてあげる”ことだけが、この仕事じゃないと知ったから。


ただ、側にいること。

その人の“今”に、そっと寄り添うこと。

それが、きっと一番の支えになる日もあると信じている。



季節はまた巡る。

心に触れ、心をゆだね、そしてまた、誰かのもとへ。


遥は今日も歩く。

少しずつ、あたたかくなっていく風を感じながら。


「寄り添うって、特別なことじゃない。

 ただ一緒にいて、見つめて、感じて、静かにうなずくこと。

 それだけで、人は立ち上がれる。

 わたしはそれを、みんなから教えてもらいました」


——水野遥


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