93(霊逝)
南側の後方陣地では、治療班が慌ただしく動いていた。地面には簡易担架がいくつも並び、瘴気に蝕まれた兵たちが次々と運び込まれてくる。聖水が満たされた小瓶がいくつも設置され、聖句を唱える神官が祈りと共に瘴気を祓っていた。
「次、あの兵士の傷口洗って!アルセリオ様、麻酔の用意は整っています!」
リシェラの指示が飛ぶ。薬草園から同行していた治療師、アルセリオ・グランは、皺だらけの手を一度も止めることなく、鋭利に裂けた傷を確認し、洗浄液を丁寧に注ぐ。
「これは……牙で引きちぎられたか……だがまだ間に合う。しっかり縫えば筋肉は再生する」
彼は治療に集中していた。薬草を煎じた香りが辺りに漂う中、傷口を縫い、戦傷粉をまぶし、包帯を巻き上げる。神官の唱える聖句がその場を包み、顔色を取り戻す者もいれば、治療の甲斐なくそのまま事切れる者もいた。祈りの声が、風とともに空へと消えていく。
***
一方、北門ではシグルド王子が陣頭に立ち、マウリクスとヴァルドを伴って城への突入を開始していた。精鋭たちは神官に先導され、瘴気の祓いとともに、徐々に王都中心部へと進軍していく。
その途中、遠く礼拝堂の屋根越しに、異様な姿が確認された。
「あれが……あのミリアから生まれた悪魔か……」とヴァルドが低く呟く。
「想像以上だな……現世のものとは思えん」マウリクスは顔色を失い、汗をにじませる。
護衛の兵士の一人が声を漏らす。「……こんなものに、勝てるんでしょうか……」
シグルドは歯を噛み締めながらも、凛とした声を発した。
「恐れるな。ここで退けば、すべてが終わる。民も、王都も、そして我々の誇りもだ」
神官が祈りを続ける中、兵たちは隊列を保ちつつ、慎重に包囲を狭めていく。その時、斥候が駆け寄ってきた。
「報告いたします! 東門より、別動隊が突入しようとしております。確認したところ、ネミナ様を捜索していたレオン一行と思われます!」
一瞬、空気が凍りついた。マウリクスとヴァルドは目を見交わす。苦々しい表情を浮かべる二人だったが、言葉には出せなかった。眼前の化け物が、感情を語る余裕すら奪っていたからだ。
シグルドは短く息を吐いた後、声を張り上げた。
「……このタイミングで来たか。だが、今争っている場合ではない。我らがやるべきはただ一つ――」
そして、毅然と続ける。
「共闘を図る。東から突入した彼らと挟撃し、化け物共を包囲殲滅する!」
兵士たちは「はっ!」と応じた。レオン一行との遭遇は、思わぬ形で現実となりつつあった。王都の命運を左右する戦いは、今まさに頂点を迎えようとしていた。