83(懺悔)
王都の門がきしむように開かれると、逃げるのではなく「退く」ための行軍が始まった。
街路にはまだ瘴気の名残が漂い、瓦礫と血の臭いが風に混じっていた。王都に残る者たちは、遠ざかっていく兵と囚人の一団を見送りながら、言葉もなくただ黙して祈った。
シグルドは、先頭に立ち、顔を曇らせていた。横にはヴァルド卿とマウリクス、その背後には整然とした列を組んだ兵たち、そして鎖を緩めた状態の囚人たちが付き従う。
兵たちの鎧が打ち合う音、靴音、鎖が擦れる微かな音が、囚人たちそれぞれの罪と不安と恐れをかすかに打ち鳴らしていた。
クラウスは列の中ほど、ダグラスとともに歩いていた。
普段の行軍とは違う。規律も号令もない。どこか心細く、居場所を失った者たちのように、誰もが自身の重みだけで歩いている。足が重いのは、疲労からだけではない。心を押しつぶす罪の記憶が、ひときわクラウスの足取りを鈍らせていた。
(なぜ、あのとき……なぜ、あんな選択を……)
王都に背を向けるたびに、心の奥から冷たい何かが這い上がってくる。喉の奥が焼けつくように渇き、胸の中が鉛のように重くなる。
いつしか彼の顔からは表情が消え、ただ前を見据えて歩く操り人形のようになっていた。
そして――
丘陵を越え、小川を渡り、ようやく辿り着いた薬草園の門が視界に現れた。
以前に見たときよりも、どこか厳粛な静けさを湛えていた。門前に控えていた衛兵が軽く礼をし、一行の到着を告げる。
先に門をくぐったシグルドは、迷わず王妃のもとへと向かった。リシェラが迎えに出てきて、一行を落ち着いた調子で出迎える。セリーヌ元王妃は静かに座っており、息子の無事を確認すると、微笑みを見せた。
「母上……」
シグルドがその場に膝をつき、経緯を語る。セリーヌはそれをただ、静かに、しかし確かに聞いていた。薬草の香りが微かに漂う室内。戦火の跡から隔絶されたような時間の流れの中で、再会の静寂が満ちていく。
一方その頃、遅れて到着したクラウスとダグラスが、やっとの思いで薬草園の敷地に足を踏み入れた。
だが、クラウスの目はどこも見ていなかった。
肩を落とし、まるでここが自分に許される場所ではないかのように、歩みも鈍い。まなざしはぼんやりと虚空をさまよい、誰かが声をかけても反応がない。
「クラウス!」
隣にいたダグラスが、ついに声を張り上げた。
「しっかりしろ!! お前がこんなふうでどうする!」
その声に、クラウスはようやくわずかに顔を上げた。だが、目は赤く潤んでいた。長い沈黙の後、彼の唇がかすかに震えた。まだ語られぬ彼の懺悔は、ゆっくりと胸の内から溢れ出そうとしていた。
「すまない。今は、そっとしておいてくれないか――」
彼は膝を抱え、音のない空間に自らを閉じ込めるように身を屈めた。言葉も気配も拒絶するように、外界を遮断し、ただひたすらに沈黙の奥へ沈んでいく。
その静寂の中に、彼の罪だけがくっきりと輪郭を持ち始めた。
そして彼は、初めて、自分自身の内部に向かって語りかける準備を始めた。
(……私は、自らの手のうちにある力を、純然たる産物だと信じていた。
努力の結晶、才気の証明、意志の勝利。そう錯覚していた。
だが今、王国に広がるのは、築いていたはずの確率的安定性が崩れ、
制御不能なまでに発散する混沌だ。
これまでの成果は私の力ではなかった。
それは、あたかも私という媒介を通して出された関数の値にすぎない。
因子の中に、私が気づかぬままに外部的な悪意
──すなわち悪魔的なる干渉項が含まれていたことを、今さらながら理解した。
その関数は非線形だった。
美しいように見えたが、指数的な増幅を伴っていた。
私はその勾配の急峻さを、自らの才の輝きだと誤解していた。
増幅の源は、私自身の影響ではない。
それは、私の無知と傲慢を利用して、この世界の背後から静かに作用する存在
──悪魔的因子──が供給していたエネルギーだったのだ。
功績は、自我の証明ではなかった。
ただの錯誤的帰納、誤った相関の積み上げ、因果の取り違えだった。
そして、私が見逃していたそのノイズは、すでに全体を支配していた。
いま私は、それらの錯誤をある程度認識し、初めて「無知という罪」の定理を証明しつつある。
私は、自らの自由意思で選び、成し遂げたと思っていた。
だが、真の自由とは、選択の結果を背負う覚悟にではなく、
選択そのものが、どこから来たのかを問う視座にあるのだと、ようやく気づいた。
もしこの懺悔が赦されるならば、悪魔の力を「無自覚の外挿」とせず、
慎みと分別の内に捉え返したい。
私はただ一人の数ではなく、全体の集合の一部であった。
――いや、一部ですらない。
ただの外れ値、異常値、統計から除外されるべきノイズにすぎなかった。
それなのに私は、全体の中心にいると錯覚した。
愚かにも、真理の担い手ではなく、誤謬の生成器だったにもかかわらず。
私は、これまで神に祈ったことがなかった。
いや、祈るという行為そのものを、どこか嘲っていた。
人の力は人の意志のうちに宿り、道を切り開くのは理性と努力だと信じていたからだ。
だが今ようやく気づいた。
私が信じていた理性は、測定不能な傲慢に蝕まれていた。
努力は、誤った座標系において累積されたベクトルにすぎず、
私の意思など、風に流される葉の軌道のように、すでに軌跡が定まっていたのかもしれない。
だから今、私は言葉を選ばず、ただ語りかけたい。
もし、あなたが在るなら。
私のこの愚かなる経路を、赦してくださる余地があるのなら。
私はこの身を差し出します。
力を求めず、栄光を誇らず、ただ静かに、あなたの意の中で穏やかに在らせてください。
私は、自らの限界を知りました。
私は、選ぶという自由にすら、傲慢を宿していたと知りました。
神よ。
この遅すぎる祈りが、空に吸われるだけであっても構いません。
ただ、あなたが静かに見ておられるのなら、私はそのまなざしのうちで、
赦しを感じてみたいのです。)