81(猖獗)
王城の礼拝堂――そこは、もはや神聖さの面影すらない。黒く淀んだ瘴気と、臓腑が曝け出されたような生臭い臭いが立ち込め、空気は重く澱んでいた。
城内の牢にクラウスとダグラスを投獄したのち、武装を整えたシグルド王子とヴァルド、マウリクスらの一団は、異変の発端である礼拝堂を目指して進軍していた。
その途中――
「なんだ、あれは……?」
先行する斥候の兵が、廊下の曲がり角に膝を突いた。彼の視線の先には、兵の亡骸にしゃがみこむようにして、何かを喰らう“存在”がいた。
全身を鱗に覆われ、獣のようにしゃがみ込んでいたその姿。口元から滴る血と、引き裂かれた肉片。単眼でこちらを捉えたその視線に、兵士たちは硬直した。
兵が踵を返した瞬間、ゼレファスは動いた。ぬるりと床を滑るような速さで間合いを詰め、兵士の足首に噛みついた。
「う、うわああああああッ!」
絶叫とともに地面に引き倒され、膝下が食いちぎられた。仲間が駆け寄ったその刹那、さらに顔面へ噛みつかれ、見るも無残に血飛沫が飛ぶ。
「腹に……なにか……突き刺されてる……?」
呻くような声とともに倒れた兵の腹部に、不自然な刺突様の傷跡があった。周囲の兵が身構える中、不意にその死体の腹が蠢いた。
「っ……! 動いて……る……?」
気づいたときには遅かった。腐肉を割るようにして現れたのは、先ほどの生物と瓜二つの――いや、わずかに小さく、細身の――“それ”。
生まれたばかりのゼレファスが、絶叫する兵士の顔面に跳びかかった。
「ぐあああああッ!」
同時に、先ほどの個体――のゼレファスも牙をむき、別の兵に飛びかかる。刃を振るうが鱗に阻まれ、剣先は滑った。
「くそっ! 化け物だ……!」
「なんだこの化け物は!? 刃が通らねえ!」
怒号が廊下に響き、礼拝堂を目指す他の部隊も騒ぎを聞きつけ駆けつける。
「ヴァルド卿の部隊の兵です!〈軍槍のデリオス〉を……! デリオス様をお呼びしろ!」
名を呼ばれた男――軍槍のデリオスは、長身で筋骨たくましい壮年の兵長。銀に近い鉄灰の髪と、重々しい槍を携え現場に現れる。
デリオスは、それを見て――言葉を失った。
「……ッ……」
喉が引きつり、声が出ない。
“あれら”は、生物の形をしていながら、明らかにこの世の理から逸脱していた。どんな戦闘においても眉一つ動かさなかった彼の額に、じっとりと汗が滲んだ。
じりじりと距離を詰めるようにゼレファスと対峙する。その刹那、迫る尻尾の一撃を紙一重で回避する。重心を落とし、槍を回転させるように突き、ゼレファスの頭部を両断、ついで胸部を貫き、地に伏せさせた。
――が、安堵する暇もなかった。
「……いない。なッ仲間が……いない?」
気づけば、共にあったはずの兵の姿がない。死体の一部が蠢き、肉の中から這い出るように、また新たなゼレファスたちが姿を現す。
「くっ……!」
複数体の分体に囲まれたデリオスは、反撃の隙すら与えられず、一瞬にして地に倒れ、その肉体は無惨にも啄まれ始める。
「退けッ! 退けええぇッ!!」
ヴァルド卿の私兵たちは、恐慌状態で廊下を後退し、無秩序に逃げ出すしかなかった。
廊下の奥では、血の中から這い出すゼレファスたちが、腐臭と共に地を満たしながら、城内を侵食していった。