80(繁殖)
王都セントラグラの西門前――
夕方、薄明かりの雲を背に、重苦しい空気が城下を覆っていた。王子シグルド、ヴァルド、マウリクスが率いる部隊は、鎖で拘束されたクラウスとダグラスを伴い、牢へ向かう途上にあった。
「結局、すべては徒労だったというわけだ」と呟くマウリクスの声に、クラウスは虚ろな笑みを浮かべた。
「……そうなるしかない、か」
彼の声は低く、乾いていて、何かを置き去りにしてきたような響きを残していた。
その時、遠方から駆け寄ってくる兵士が一人――全身泥に塗れ、肩口に傷を負い、呼吸もままならぬ様子で馬上のシグルドへと叫んだ。
「王子殿下! 報告、至急報告ですッ!」
兵士は膝をつき、目を見開いたまま、どこか恐怖に憑りつかれたような声で続けた。
「化け物が、王城の礼拝堂に現れました……! 味方が数名、喰われました……!」
「……喰われた、だと?」シグルドが馬上で目を細める。
「ミリアか……?」クラウスの顔から血の気が引いた。何かに気づいたように、ダグラスも口を開いた。
「まさか……!」
「説明しろ!」ヴァルドが怒声を浴びせるが、クラウスは顔を歪めながら答えた。
「ミリアの腹にいた“神”……?」
***
一方その頃、礼拝堂の崩れた祭壇跡――。
宵闇の中、血に濡れたベッドの上で、ミリアの残骸に似た血肉を背に、異形が蠢いていた。
全身を青い鱗に覆われた生物。節ばった四肢には人のような指があり、ところどころに青白い皮膚と髪が残っていた。
その口元は耳元まで裂け、サメのような歯がずらりと並んでいる。
その瞳は人間のものに酷似していた。茶色く、どこかミリアを思わせる――だが、そこにあったのは明確な「殺意」と「飢え」だった。
「なんだこれは……っ!?」
最初に駆け寄った衛兵が叫ぶ間もなく、ゼレファスは尾を跳ね上げて彼の胸部を貫いた。尾には逆鉤がついており、一度突き刺さったそれは衛兵の体内に「種」を植え付けるための器官でもあった。
数秒後――その兵士は泡を吹いて地面に倒れ、全身を痙攣させながら、腹部が脈打ち始める。
「ひっ、いやだ……な、何が起きて……ッ!」
兵の体が破裂するように裂け、粘液にまみれた二体目のゼレファスが這い出てくる。
やや小柄だが、同様の鱗と裂けた口、瞳を持っていた。ゼレファスの第二世代が、生まれ落ちた瞬間だった。
「た、隊列を組め! 敵は未知の……」
別の兵が叫び、剣を抜いた瞬間――分体の尾が彼の膝を斬り裂き、呻き声を上げて倒れた。
その光景を見た信者の一人が呟いた。
「……悪魔の、顕現」
ゼレファスがその言葉に反応したかのように、ゆっくりとその男に顔を向け――一瞬後、その顔面に跳びついた。
頭頂部から頭蓋骨を噛み砕かれた信者は顎が開かれ、口から「あぁ」と声を漏らした後崩れ落ちる。
次々と、咀嚼音と断末魔が礼拝堂に響き渡る。
地に血が染みこみ、嗅覚を犯す腐臭が漂い始めていた。
***
報告を受けたシグルドは目を閉じ、しばし沈黙する。やがて、剣に手をかけたまま、低く呟いた。
「……それを放っておくわけにはいかぬ。まずは、敵を知らねばなるまい」
マウリクスとヴァルドが静かに頷いた。
ゼレファス――王都の地に産み落とされた、混沌の使徒。その宴は、すでに始まっていた。