75(亢進)
帝国の草原を越えてすぐ、石造りの監視塔が一行を待ち受けていた。東方帝国の辺境監視所。門の前には、無言の衛兵たちが槍を手に立ち並び、まるで入国者すべてが敵かのような眼差しを向けてくる。
「……ご、ごついな……この雰囲気。な、なんか俺たち、疑われてるんじゃ……?」エメルが小声で呟く。
「黙ってろ、動揺が動きに出すぎだ」バロムがぼそりと低く言ってエメルの後頭部を軽く小突く。
「だってさ、見てよ、あの目……殺気すらあるよ!?絶対なんか勘ぐられてるって……荷の中に怪しい物とか隠してないよね!?」
「馬鹿、やめなさいって。余計に怪しまれるわよ」カレリアが思わず吹き出しながらも、声をひそめてたしなめる。
「目立たないようにしておけ」リオスが腕を組んだまま目を細め、警戒する衛兵たちを観察していた。
御者の前に、ようやく塔から中年の将校が現れた。無骨な革鎧に帝国の双翼の紋章を刻んだ肩章をつけたその男は、じろりと一行を一瞥し、書類を無言で受け取る。
差し出したのは、エドワルド名義の正式な交易通行証だ。
「……お前たち、何者だ? 護衛にしては人数が多すぎる。商隊にしては馬車が軽い」
御者は冷静に答える。「穀物と乾燥薬草を届ける道中で、街道の治安が不安定と聞いたため、余剰に護衛を雇った。名目はすべてこちらの通行証に明記済みです」
将校は目を細め、書面を熟読し始めた。その間の沈黙がやけに長く感じられる。
エメルは耐えきれず、ひそひそと呟いた。「なぁ、これで通らなかったらどうする?……もしかして、ゲルハルトさんとイレガンさんが大きすぎて通行拒否とか……?」
「……てめぇは黙ってろって言ってんだろ」バロムが低く唸りながら、再び後頭部を小突く。
その瞬間、将校がふいに顔を上げた。「ふん、名前の綴りが珍しいだけだったか。通行証は問題ない。入国を許可する」
「えっ、名前の綴り……? そんな理由かよ!? うわぁ~、心臓に悪いな……」とエメルが声を上げた途端、バロムのげんこつが彼の頭頂部に見事に落ちる。
「だーっ! いってぇぇぇぇ!!」
「バカかお前は! でかい声出すんじゃねぇ!」
「うふふ……」カレリアが肩をすくめながら笑い、リオスは唇の端を持ち上げて「いつものことか」とばかりに溜息をついた。
そうして一行は、やや怪しまれつつも帝国領内への入国を果たすのだった。
***
東方帝国は王国とは異なる空気を持っていた。建物は低く広がり、屋根には彩色された陶板が並んでいる。町人の衣は薄く、絹と麻を重ねたものが多く、行き交う言葉も、どこか耳慣れぬ旋律を持っていた。
「……別世界みたいだね」とカレリアがつぶやいた。
「多民族国家だからな。西とは顔つきも言葉も違う」リオスが応じる。
ボルテッラ――交易路の交点に位置する小さな町に彼らは身を寄せた。エドワルドの旧知が営む旅籠にひとまず落ち着くと、彼はレオンに重要な情報を渡した。
「ここから南東へ馬で半日ほどのところに“ハーラの森”があります。森の入り口近くに、“セシリア・マルキエ”という薬師が住んでおりまして。あなたの探してる女性とは縁があると聞いています」
「森に……?」レオンの眉がわずかに動く。
「はい。すぐ隣町の裏手にある、帝国でも珍しい自然保護林です。帝国の管理がゆるいので、隠れるにはちょうどいい場所かと」
レオンの心がざわめいた。「そこに、ネミナが?」
「断言はできませんが、最近帝国側で王国出身の女が保護されたという噂もあります。おそらく彼女だろうと……。身重だったという話も聞きました」
「……!」レオンは言葉を失いかけたが、すぐに拳を強く握りしめた。
「……ネミナ。もうすぐ、きっと……」
レオンは空を仰ぎ、小さく笑みを浮かべた。
ようやくここまで来た――そんな想いが、胸の奥で静かに鳴っていた。