69(殺念)
王城の奥深く、壁一面に地図と書簡が並ぶ情報室。重々しい扉の向こうから、マウリクスの低い声が響いていた。
「……最悪の展開だ」
報告書を手にした彼は目を細め、書面の一文に目を落とす。
『レオン、薬草園にて元王妃セリーヌと接触。以後、一行は南方マウリクス侯領へ向かっている模様。ネミナを囲い込み、処刑場へ引き出していたことが露見した可能性あり』
机に肘をつけ、指先で唇をなぞると、側近のカドルフが一歩前に出る。
「王妃、その側近との接触により、我々の計画に勘付く危険がありますな」
「……奴が戻る前に、あらゆる芽を摘む必要がある」
マウリクスは吐き捨てるように言い放ち、椅子から立ち上がった。
「すぐに伝令を走らせよ。領内で刺客を配備する。今度こそレオンの息の根を止める。奴に“王”を続けさせてはならん」
カドルフが頷き、机の脇に備えられた呼鈴を鳴らした。すぐに伝令が走り出す。
だがマウリクスの眼差しは、書簡の別の文へと向けられていた。
『ミリア、王不在を利用し、“啓示”と称して旧イシュメル信者を虐殺の後、再び活動を開始。
王都南部の集落にて火刑および“儀式”の報告多数。腹部の異常成長も確認』
「ミリア……また動き出したか」
マウリクスは椅子の背に手をかけたまま、忌々しげに息を吐いた。
「啓示の偽りを語って信者を煽るとは。あの女、今や完全に“人ではない”な……」
そして今、その姿は胎を宿す忌まわしい母体と化している。
彼女を思い浮かべるたびに、マウリクスの背筋を冷たいものが走る。胎児は日に日にその存在感を増していた。
「……もはや議論の余地もなかろう。あの女は制御できん。だが、奴の混乱は利用できる」
彼は自らに言い聞かせるように呟いた。
「いいかカドルフ、王都と南方――両方に刃を向けろ。王都にはさらなる混乱を焚きつけ、内部崩壊を目指す。その間我々は隠忍自重し牙を研ぐ。南方はレオンの暗殺を計画、実行。もはや時を待ってはおれん」
「では、次段階を――?」
「ああ。財務卿と王子には警告と準備を通達せよ。緊急時には、次の計画を開始する。レオンがこのまま戻れば、国は裂かれる。戻らせてはならぬ」
***
そのころ、王都外縁。黒煙が立ち上る集落跡――
燃え落ちた聖堂の中央で、血染めの法衣をまとったミリアは静かに腹を撫でていた。
その輪郭は既にはっきりと膨らみ、妊婦のようにも見える――が、その動きは異様だった。脈打つように動く腹部の内側から、何かが外に出たがっているようにさえ見える。
「ゼレファス……もうすぐね。次の地へ行きましょう。影潜りが得意なイシュメルの生贄共を焼き尽くさなくては。真なる主が玉座を受け継ぐ時……この血と火と――“啓示”の名のもとに」
彼女の周囲には、狂信的な信者たちが跪いていた。
「神は喜びたもう……選ばれし“真の受肉”を……!」
狂気と歓喜が混じった声が、炎の中に溶けていった。