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【初作品】DAO ~私鋳貨と異形による国家崩壊~  作者: Geppetto
Demons Are Operating ー 悪魔の手引き
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68(使命)

 レオンたちが薬草園を発った後、調薬室には深い静けさが戻っていた。

 セリーヌは薬草園の一角にある私室にて横になっていた。窓から差し込む光は、時間とともに斜めに傾き、色彩を帯びて部屋を染めていた。ベッドに身を横たえながら、元王妃は薄く汗ばむ額を押さえ、痛みに顔をしかめていた。


 再燃――それは、彼女がかかっている原因不明の病、「薄紅病はくこうびょう」と呼ばれる奇病の症状だった。

 数日前から関節の痛みと熱感がぶり返し、皮膚には淡い紅斑が現れはじめていた。深い倦怠感と微熱が重なり、昼夜問わずセリーヌを苦しめていたのだ。

 そんな中、薬を届けたリシェラが慎重にセリーヌの床脇に近づいた。


「セリーヌ様、例の薬――“レクトミル”の服用を始めましょう」

 王妃は薄く眉を寄せて頷く。「……ええ。試してみましょう」

 リシェラが手渡したのは、琥珀色の液体が入った小瓶だった。透明な薬瓶の中で、濃密な薬液がわずかに粘性を持ち、光に当たると深い紅茶のような色合いを見せた。

「味は……少し苦いです。けれど、それだけ効く証拠だと思っていただければ……」

 セリーヌは頷くと、決意の表情で小瓶を取り上げ、そのまま一息に飲み干した。

「……ッ」

 苦みと共に、舌の奥に渋みが広がる。薬液は粘り気があり、喉を通るまでにわずかに停滞するような重さがあった。セリーヌの眉間がきつく寄る。


「お、おい……まさか毒じゃ……」

 薬を服用した瞬間、部屋の隅に控えていた古参の侍女が小声で騒ぎ出した。ほかの者も動揺した様子で顔を見合わせる。

 だがリシェラはすぐに落ち着いた声で応じた。

「ご心配には及びません。この薬に用いた素材は、すべて古来より薬効が知られた薬草です。製薬も私の手で行いました。成分、比率、煮詰めの時間まで、すべて記録に残しております」

「で、でも……」

「“レクトミル”は強い薬です。苦みは薬効の高さの証。服用直後は一時的に脈が速くなることもありますが、それは体が反応しているだけ。逆に何の反応もなければ、薬が効いていない証拠です」

 リシェラの説明に、ざわめきがようやく収まり始めた。


 その傍ら、治療師アルセリオがセリーヌの脈を丁寧に取り、目元や唇の色を確認していた。

「……やや脈が速いが、正常の範囲内だな。血のめぐりが幾分、軽やかになっている。胃腸に問題が出るようなら中止だが……今のところ安定している」

 アルセリオは齢七十を超えた老練の治療師。古くから王家に仕えてきた人物であり、その診断に侍女たちはようやく胸をなで下ろした。

 セリーヌは、薄く開いた瞳で天井を見つめながら、静かに息を整えた。

「……効くといいわね。私にも、まだなすべきことがあるのだから……」

 リシェラは微笑んで応じた。「ええ、セリーヌ様。きっと……改善が見られます」


 王妃はその夜、深い眠りに落ちた。翌朝、熱は少し下がり、肌の紅斑もわずかに引いていた。完全な快復には程遠いが、薬が“効き始めている”という実感は、彼女と周囲に確かな希望をもたらしていた。

 リシェラは、その姿を見ながら小さく呟いた。

「……ありがとう、レオン。これで、セリーヌ様の時間を……少しでも、取り戻せるかもしれない」


***


 朝の光が薬草園の回廊に射し込み、薄く霧が立ち上る中、リシェラはセリーヌの私室をそっとノックした。

「……お入りなさい」

 柔らかな声が返る。扉を開けると、セリーヌは起き上がり、窓辺の椅子に腰を下ろしていた。昨日まで額に浮かんでいた汗は消え、頬にはいくらか血色が戻っていた。指先の冷たさも薄れ、関節の腫れも引き始めている。

「お身体の具合はいかがですか?」

 リシェラの問いに、セリーヌは微笑を浮かべた。

「痛みは残っているけれど、熱は引いたわ。夜も眠れた。……こんなに楽な朝は久しぶり」

 脈を取り、目の色を見て、リシェラは内心で安堵した。レクトミルが確かに効いている。

「薬の効果が出始めています。おそらく、数日中にはもっと身体が軽くなるはずです」


 そのやり取りを、扉の外からこっそり聞き耳を立てていた侍女たちの間にざわめきが走る。

「回復してるって……ほんとうに?」

「ここ数年、あの方がこんなに穏やかな朝を迎えたことがあったかしら……」

 囁きはやがて王家の側近たち――セリーヌに密かに忠誠を誓っていた者たちの耳にも届き、薬草園の空気に目に見えぬ熱が灯り始めた。

「このまま回復が続けば……もしかすると……」

「“希望”を口にしてもよいのかもしれぬな」

 彼らは、王の死とレオンの王位即位に動揺しつつも、セリーヌという存在を心の支えにしていた。


***


数日後、薬草園の中庭では、回復しつつあるセリーヌがリシェラと散歩を始めていた。

 花咲くラベンダーの列に足を止め、かすかに笑みを浮かべる。

「……まだ長時間歩くのは少し、怖いけれど。でも、風の匂いを感じられるのね。こんな香りが、ここに残っていたのね」

 その姿に、遠巻きに見守っていた側仕えの兵士たちが小さく頷き合う。

「彼女が立てば、きっと何かが変わる」

「いや、変えてくれるはずだ……“シグルド王子と王妃”の力で」

 そしてリシェラはその言葉を聞き、胸の奥で深く静かに誓っていた。

 この命が尽きるその時まで、セリーヌ様を支える――それが、私に与えられた使命なのだと。

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