67(百方)
薬草園の調薬室は石造りの静かな空間だった。棚には用途別に分類された薬草や鉱石が瓶詰めされ、中央の石台には蒸留器、陶製の臼、精密な計量秤、濾過布などが整然と並べられている。薬師たちが日々、薬を煎じ、粉末を調合し、油や酒精と混ぜている場所だ。
その場に、レオンとリシェラ、数名の補佐薬師たちが集まっていた。
「では始めよう。調合は複雑で、一歩誤れば毒にもなる。慎重に」と、レオンは静かに口を開いた。
リシェラは白衣の袖をまくり上げ、手を洗い終えると、すでに視線は材料に注がれていた。
「最初に必要なのは、アステリナの根。これは体の過剰な反応を抑える性質がある。ただし、生のままでは強すぎる。火で一度“焼き枯らし”、そこから芯部だけを削り出す」
「焼き枯らし……」リシェラは頷き、鉄板の上に根を並べ、火を入れる。
赤く焼けた根が香ばしく焦げる香りを立てるなか、レオンは次の手順を指示した。
「次に必要なのは、ディラエラの葉。これは血中の“瘴熱”を冷ますが、精製には三段階の浸出工程がいる。まず湯、次に冷水、そして酒精」
「了解」リシェラは手早く三つの容器を用意し、浸出時間を砂時計で計測しながら、それぞれの液に葉を移していく。
補佐の薬師たちはただその技術と集中力に息を呑んで見守るばかりだった。ある若い薬師がぽつりと漏らす。
「こんな調合、王都の薬術院でも教わったことがない……」
レオンは黙ったまま、仕上げの段階に入る。残りは乾燥させたルベリアの花粉一匙と、白樺の樹皮粉を大匙三で混合し、先ほどの液に溶かし込む。これで十回分になる。
「これが“レクトミル・煎薬”。症状の鎮静を目的とした混成薬だ。服用は、最初の三日間は毎朝、食後に。続いて二日おきに一回、二週間継続。中間に三日間の休薬期間を設ける。肝に負担をかけないように調整されているが、疲労感が強く出るようなら中止すること。観察は怠るな」
「……理解したわ。すべて記録に残しておく」
リシェラは深く頷き、手にした薬瓶を大切そうに抱えた。
「あなたの知識と技術指導、舌を巻くしかないわ。本当に、ありがとう……」
レオンは微笑みを返したが、その眼差しはすでに遠くを見ていた。
「……それで、レオン。これからどうするつもり?」
リシェラが問いかけると、レオンは静かに息をついた。
「ネミナを探す。どうしても彼女の行方を突き止めたい。リシェラのおかげで南へ向かうのは愚策と理解したよ。東方帝国へ向かうしかない」
「でも、あなたは今や“王”でしょう? 国境を越えるとなると……」
「……わかっている。だが何としてでも彼女を探し出したい。国外脱出を試みるには、少なくともいくつか条件を満たさなければな」
「そうね……それで、具体的には?」
レオンは指を折りながら話し出す。
「一、正規の通行証を持つ使節団か、交易商に偽装すること。
二、国境の検問所でできる限り顔を見られないよう注意し、状況により、夜間あるいは裏道を使う手段を講じること。
三、追跡や密偵の目を欺くために、偽装を徹底すること。
四、もしものために、王家側近や忠義の者に手紙を残す。万が一の時、行動の正当性を証明するためだ」
聞きながら、リシェラは表情を引き締めた。「正規の通行証を持つ交易商なら知り合いがいるわ。結局南のガルドランまで行かなくてはならなくなるけど、紹介できる。……東方帝国の国境線は、北は峻険な山岳地帯、南は密林。通れるルートは限られるから、裏道は難しいわね。それと、私のほうでも情報を探ってみる」
レオンは頷いた。「助かるよ。ぜひ紹介してほしい。あとは準備が整い次第、出発する。少しでもネミナの手がかりがあるうちに……」
こうして、元王妃セリーヌの治療薬が完成し、旅の行く先がまた一歩、定まろうとしていた。