65(温情)
陽はすでに西へ傾き、山際に赤い縁を描いていた。薬草園の外縁――苔むした石垣に囲まれた林の小道を抜け、レオン一行は静かに馬を下りた。
先頭に立つザモルトが足を止め、険しい声を低く呟いた。 「……違和感がある。誰か見てんな」
すぐに腰のポーチから小さな望遠鏡――硝子細工の筒を取り出す。高倍率ではないものの、数倍程度の拡大が可能な簡易器具だった。
ザモルトが覗き込んだ先には、複数の人影。薬草園の外周を巡るように散っていた王国軍の兵士たちだった。 「こりゃマズいな……あいつら、こっちの動きに気づいてる。囲まれるぞ」
イレガンがバロムの傍に立ち、剣に手をかけながら静かに身構える。
次の瞬間、林の奥から鋭い笛の音が響いた。包囲網が閉じ、兵士たちが一斉に現れる。鋼の鎧と槍が光を跳ね返し、乾いた土を踏みしめる音が緊張を煽る。
「……どうする、ゲルハルト」レオンが問う。
「囲まれています。応戦するしかありません」
剣を抜いたゲルハルトが前に出る。それに続いてリオスが冷静に周囲を見渡し、ザモルトが木陰から一気に跳び出し敵兵の背後を狙う。カレリアは口元に笑みを浮かべつつも背筋を伸ばし、短剣を構える。
戦闘が始まった。鋼がぶつかり火花を散らし、怒号と斬撃の音が林を満たす。
エメルはその中心で、頭を抱えたまま、恐怖で微動だにできなかった。
バロムは左腕を押さえたまま動けない。イレガンがその前に立ち、近づく敵を無言で斬り伏せていく。
その激戦の中、一際高い女の声が響いた。 「やめなさい、皆!!」
薬草園の奥、青銅の門から現れたのは、優雅な衣を纏いながらも面差しに疲労と威厳を刻んだ女性――元王妃セリーヌ・アズヴァルドだった。その傍らには白衣の薬師、治療師、そして護衛の兵たち。
「王妃……!なぜここに?」レオンが息を呑む。
しかし、周囲の兵たちは剣を止めようとしない。彼らは王妃に忠誠を誓った者たち。今の王位を簒奪としている彼らにとって、レオンは反逆者だった。
「聞こえぬか、戦闘をやめよ!!」
王妃の声が場を震わせる。しばしの静寂。兵たちは互いに目を見交わす。
騒然とした空気の中、王妃はその細い体を震わせながらも、まっすぐに護衛兵たちを見据えて言葉を発した。
「この者たちの目的が、私の命を狙うものだと思うのですか? 見なさい――手負いの者を庇い、戦を避けるように動いている。あなたたちの目が節穴でないのなら、そのことは理解できるはずです」
一瞬、兵たちがたじろぐ。王妃の声は落ち着いていたが、確かな力を帯びていた。
「それに――彼らは手練れです。あなたたちがこのまま斬り結んでも、ただ命を削るばかりでしょう。私は、誰の命も無駄に失わせたくありません。それが我が身であっても、あなたたちであっても同じです。どうか、もう刃を収めて」
その言葉に、護衛兵たちは戸惑いながらも剣を下ろしはじめる。静寂が波のように押し寄せ、空気が和らいでいくのがわかった。
その直後、王妃はふらりと前のめりに倒れかけ、慌てて治癒師と護衛が身体を支える。
「……セリーヌ様!」薬師の一人が駆け寄る。
その薬師は、かつてレオンと共に学び、薬学を研鑽した女性だった。名はリシェラ・アルン。淡い栗毛の髪を編み上げ、白い薬師衣の下に淡緑のローブを着た30歳前後の女性で、柔らかな物腰と芯の強さを併せ持っている。
「セリーヌ様、大丈夫ですか……!」
リシェラは素早く状態を確認すると、レオンたちに目を向けた。
「……どうしてここに? 何があったの?」
状況に戸惑う一行。だが、レオンは深く息をつき、バロムの傷を見せながら説明した。 「……道中、襲撃された。バロムが切創を負っている。傷が深く、縫合が必要だ。ここで治療薬を手に入れたくて……」
リシェラはバロムの様子を確認すると、頷いた。「彼を連れてきて。処置が必要よ」
だが周囲の兵たちは唸る。「反逆者どもを、何故? 今すぐ処分すべきです!」
リシェラは振り返り、目を細めた。「ならば王妃様の命令に背くと? この者達を殺せと?」
兵たちは口を噤む。
そのままリシェラはレオンとバロムを連れて、薬草園の中へと歩を進めた。
門が開かれた先には、深い緑と濃厚な薬草の香りが満ちていた。紫のヒソップ、青白いホワイトセージ、金色のカモミールの花が風に揺れている。棚には乾燥中の薬草が並び、道具や香油の壺が整然と配置された治療所があった。
レオンたちは戸惑いながらも、リシェラの後を追い、薬草園の奥へと足を踏み入れていく。
薄紅の夕陽が、花々の間を金の絨毯のように照らしていた。