63(練達)
陽光が穏やかに傾き始めた頃、レオン一行はマウリクス侯爵領内の小さな町――ヴァルデルにたどり着いた。町は素朴ながら活気があり、旅人にも親切で、傭兵団の面々は束の間の安息に食事と酒を楽しんでいた。
木造の酒場の個室を借りて、レオン、ゲルハルト、エメル、バロム、傭兵団の面々が食卓を囲む。酒場には焚き火の香りが漂い、外では町の子どもたちがはしゃぐ声が聞こえていた。
だが、ザモルトが突然、フォークを止めた。
「……外に目が多い。尾けられてたなぁ」
緊張が空気を引き締める。
「数は?」とゲルハルト。
「確認できただけで三人。が、連携してんなら十はいるな」
誰もが言葉を飲み込んだ。すぐに宿へ引き上げ、慎重に警戒しつつ夜を過ごす。
翌朝、一行は夜明けとともに南へ向かう。目指すはさらに南方の大都市――ガルドラン。侯爵領の交易と軍事の中心地である。
だがその道半ば、峡谷を通過していた時、それは起こった。
突如として道の前後から、怒号と共に武装した集団が現れた。三十名は下らぬ数。
「数が違いすぎるよ……!」とエメルが叫ぶ。「レオン、逃げよう! 俺たちじゃ無理だって!」
イレガンが鈍く声をあげた。「動くな」
その刹那、ザモルトが密かに設置した罠が牙をむく。漂っていた殺気と一触即発の雰囲気を察知し、可燃性の粘着物――黒樹油を撒いていたのだ。ザモルトは火矢を放つと油は爆発するように燃え上がり、相手を退ける。
襲撃は傭兵団が地形を利用し、逆に誘導した策だったのだ。
混乱に乗じて次々と賊が捕らえられていく。イレガンとリオスは前線を守り、カレリアは隙間を縫うように長弓を射て、敵を無力化していく。ゲルハルトは素早く首領格を押さえ、エメルは木陰に隠れてびくびくしていたが、動かずに耐えた。
戦闘が終わり、峡谷には静寂が戻っていた。倒れ伏した賊たちの呻き声がかすかに残るだけで、吹き抜ける風の音がやけに耳に残った。
無口なイレガンは、血に染まった槍の穂先を静かに布で拭っていた。彼の双眸はどこか遠くを見つめており、戦いの余韻に感情を示すことはない。ただ、何事もなかったかのように次の戦いに備えるだけだ。
一方、カレリアは嬉々とした表情で足元の捕虜を見下ろし、「ねえ、こんなちょろい罠にかかるって、本気だったの? 笑っちゃう」とつぶやいた。口調は軽いが、その目は冷たく、手にした短剣がいつでも動けるよう握られていた。
ザモルトは自慢げに鼻を鳴らし、レオンの肩を叩いた。「な? 言ったろ。ああいう地形は最高の場所なんだよ。俺の勘は鋭でぇだろ!」と得意満面で笑ってみせた。
リオスは戦場の周囲をゆっくりと歩き、まだ気配が残っていないか、伏兵がいないかを確かめていた。何気ないように見える動きだが、その手は常に腰の剣にかかっていた。
捕らえた賊たちの中で、首領格と目される男はゲルハルトに睨まれ、怯えて膝をついたまま震えていた。ゲルハルトの視線は氷のように冷たく、その威圧だけで男は言葉を詰まらせる。
そんな空気の中、レオンは皆の動きを見て、自分が今、まったく異なる世界に足を踏み入れていることを実感していた。戦の場に生き、迷いなく剣を振るい、命を奪い、秩序を保つ者たち。その中で自分だけが、どこか浮いている気がした。
「……強いな、みんな」レオンは小さく呟いた。傭兵団の面々に守られてばかりで、何もできない自分にわずかな悔しさを覚える。だが同時に、その強さに対しては尊敬と畏怖があった。彼らと共に歩む以上、立ち止まってはいけない。守られるだけの自分では、きっと誰も救えない――そう痛感していた。
数名の賊を捕らえ、尋問が始まる。
言葉を絞り出した賊の一人が語る。「ベルン様の命令でした……。あんたらが何者かも知らされず、ただ襲えと……」
「マウリクス子飼いの騎士爵か……」レオンが呟く。
ゲルハルトが剣を抜き、首元に突きつける。「用は済んだ――その首、王に代わって断つ」
「やめろ、ゲルハルト」レオンの声が静かに止めた。「この者達は生かそう。放っておけばいい」
「ッ……そういうわけには……」ゲルハルトは迷ったが、やがて剣を収めた。「仕方ないですね……」
そして、残党たちに目を向け「貴様ら――次はないと思え。我らの行く手を二度と阻むな」と一括した。
追手の死体を処理した後、一行は再び南下を開始しようとした。だがその時、バロムが苦悶の声を上げ、膝をついた。
「すまん。傷が……深かった……」
左腕からの出血がひどく、包帯では間に合わないほどだった。
「しっかりしろ、すぐ処置する」
レオンはすぐに薬袋を開き、止血作用のある戦傷粉を取り出すと、躊躇いなく裂いた布にそれを包み、患部に押し当てて強く圧迫した。血がじわりと滲み出すたびに位置を微調整し、手際よく別の布で腕を肩から吊るす。
その手慣れた所作に、カレリアが小さく目を丸くした。
「レオン様、案外手慣れてるんだね……こういうの」
ザモルトも頷きながら口を開く。「お前さん、剣より包帯のほうが似合うんじゃねえのか?」
「……昔、従軍していた時期があって。前線では兵というより治療を行っていた時間のほうが長かった。もちろん薬師としてだったが、こういった処置は何百とやってきた」
レオンの声に気負いはなく、ただ事実を述べるように静かだった。その表情に、誰も冗談を返すことはなかった。
「だが……応急処置にすぎない。持参した薬だけでは足りないし、縫合も必要だ」
レオンは薬袋の中身を再度確認し、首を振った。
「このままでは……。だが、王都の南方にある薬草園。あそこなら、近いな――」
躊躇いなくレオンは決断した。「目的地を変える。バロムの治療ために、薬草園へ向かおう」
道を南から西へ折れ、一行は再び進路を変えた。
かつて王妃が静養に使ったといわれる、秘密の療養地へ。