60(共志)
王城近く、薄く靄のかかる朝の広場。木漏れ日がまだらに地面を照らす中、レオンは馬の鞍を整えながら、視線を横に向けた。すでに一行は出立の準備を終えている。
ゲルハルトが歩み寄ってくる。戦場帰りの重みを纏った男だが、今日は少しだけ顔が柔らかい。
「レオン様、紹介します。今回の旅に同行する元傭兵団の連中です。」
ゲルハルトが岩陰に手を向けると、座っていた一人の巨漢が、どっこいと立ち上がった。
「まずはこいつ、イレガン。槍と盾、それから斧も扱います。」
「……よろしく」
イレガンは、白銀のモヒカンを揺らしながら短く応じた。焼け跡のある頬が険しく見えるが、その目には忠誠の色が見える。
「ずいぶん大きいな。馬が潰れなきゃいいが」
レオンが皮肉混じりに返すと、イレガンの口元がわずかに緩んだ。だが一言も発しない。ゲルハルトが笑う。
「無口でして。命令には黙って従います。ですが飲むと饒舌になるので……」
「…酔わせないようにしよう」
次に現れたのは、銀髪を編み込んだ長身の女性だった。紫の瞳が、どこか冷たい。だが一瞬、微笑を浮かべて軽く会釈した。
「カレリア。弓の名手です。遠距離戦なら彼女に任せておけば間違いありません」
「レオン様、ちゃんと背中は任せてくれる?」
「任せてくれれば、な」
軽妙なやりとりのあと、カレリアは首をすくめて笑う。
「まあ、それはこれから確かめるとしよう」
次に姿を現したのは、全体の雰囲気を一変させる小柄な中年男だった。野暮ったい外套に、顔の下半分を隠すような髭。斧を肩に担いで近づいてきた。
「ん、んん! こりゃまた近くで見ると美男子じゃねぇか。俺はザモルト。罠と斧の使い手よ。趣味は山菜取り。嫌いなもんは、読めねぇ敵の腹の中ってな!」
レオンが思わず苦笑すると、ゲルハルトが小さく肩をすくめる。
「うるさいが腕は確かです。戦場では悲鳴が付いて回るような男です」
「ありがてぇ誉め言葉!」
最後に一歩、影のように近づいてきたのが、黒衣の男――リオスだった。二刀を腰に携え、仄かに紫がかった長い濡れ羽色の髪が風に揺れる。言葉は発さず、レオンに静かに一礼した。
「リオス。こいつは昔、俺が窮地を救ったことがありまして。その後から共に行動しています。戦いでは初太刀を囮に使って、二の太刀が先に届くこともあります。弓の技術も卓越しています」
「……言葉はいらないな。目で十分だ」
レオンはうなずく。確かにその瞳に、並々ならぬ覚悟と冷静が見えた。
***
城壁沿い西側の牢にて。
夕暮れどき。衛兵たちが門を閉じ始める頃、目立たぬ茶のローブ姿の男――ネイロが、石畳の廊下をゆっくりと進んでいた。
誰も見ていないことを確認し、彼は財務卿に耳打ちされた言葉を反芻する。
《ルヴァに伝えろ。“次の手が動く”と》
牢の入口に立つと、やや開いた扉の前にいた看守がこちらに気づいた。
「おっ、交代か? ゴキブリの世話は残しといてやったぞ」
ラッツがニヤニヤと笑う。帽子を指先で跳ね上げながら鍵を渡す。
「ジョークなら、火あぶりにでもかけるとしようか」
ネイロがさらりと返すと、ラッツはにんまり笑って肩をすくめた。
渡された鍵で、最奥の鉄扉を開ける。その内側にいたのはオルディスという牢管理責任者。40代半ばで眼鏡をかけている。
「見張りの交代なんですが、その前に情報があります。シグルド王子――」
牢の奥から姿を現したのは、薄い布を被り、囚人のような身なりをした青年だった。ぼさぼさの金色の髪、しかしその瞳には不思議な光が宿る。
その言葉に、囚人は手を振って首を振った。
「軽々しく呼ぶな。今は“ルヴァ”だ。“ただのルヴァ”。分かっているだろう、ネイロ?」
「失礼しました、ルヴァ」
ネイロが平謝りに頭を下げると、ルヴァは柔らかく笑った。
「まぁよい。それで、情報というのは? こちらは退屈でな。牢での生活にもそろそろ飽きてきた」
「レオンがネミナの捜索に向かうようです。マウリクス卿の私兵が手を回し、南方への探索を勧めています。“次の手が動く”との事です」
「では、ようやく牢ともおさらばか」
わずかに唇を持ち上げたルヴァの顔には、静かな高揚が宿っていた。
「ところで、もう少し牢のスープに工夫が欲しい。例えばそうだな……香草など」
「……善処します」
牢の中で笑うその青年は、確かに“かつての王子”だった。しかし今の彼は――己の意思で別人ルヴァとして投獄され、敵も味方も欺く策謀の中心にいた。それは、簒奪された王位を取り戻すためだった。