58(奮志)
王城の隅、今は使われていない文庫の片隅に、静かに黒衣をまとう者が佇んでいた。マウリクスは周囲の気配を細やかに探りながら、声を潜めて告げた。
「……昏睡状態にあったレオンが覚醒した。これからネミナの捜索が開始される。クラウスと側近の者たちが動いている。ベルド様に、ただちにお伝えを」
ベルドの侍女は無言で深く頷いた。目に浮かぶのはただ、使命感と忠誠だけ。彼女はマウリクスの前から風のように消えた。
王の私室では、つい先ほどまで苦悶していたレオンが、深い眠りののち、まるで別人のように目覚めていた。瞳には確かな光が宿り、呼吸は力強い。かつての迷いと陰りは、嘘のようにその面影を失っていた。
「……ネミナを、見つけ出す」
レオンのその言葉に、居合わせた者たちの胸に何かが灯った。
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バロムは、その場に加わる決意を胸に秘めていた。
彼の中で、鍛冶という生業はすでに過去のものになりつつあった。エルド──己の息子のように可愛がっていた弟子を失ったことで、戦のための武具を打つという行為が、心に響かなくなっていた。
だが、レオンの目を見たとき、かつての情熱とは異なる炎が心に灯るのを感じた。
「……気にいらねぇ面してたがよ、ちったぁマシになったんじゃねぇか?」
ネミナを求めるその真摯さが、彼の胸に染みた。鍛冶場を弟子に託し、自ら捜索の一行に名を連ねることを決めたのだった。
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エメルは、新たな聖貨の造幣という大任を与えられながらも、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような倦怠を感じていた。
王都の技術は確かに高度だ。だが、彼が真に求めていたのは、真の美──未知の文化に宿る装飾や技法であった。
「……こういうんじゃ、ないんだよなぁ」
その思いが捜索への参加を後押しした。公式には補佐役として帯同するが、彼にとっては密かな観察旅行でもあった。
***
ゲルハルトは、命令を受けたから動くのではない。
レオンの中に芽生えた“何か”に直感的な危機を感じ取っていた。
「これは……何かが起こる」
目覚めたばかりの王から放たれるその気配は、兵としての彼の嗅覚を鋭く刺激していた。
彼は、元傭兵団の中から優れた者たちを選りすぐり、旅路のための物資を準備させていた。
野営、補給、戦闘、逃走。どんな事態にも即応できるように。
「王を守る。……それが、今の俺のすべてだ」
***
そして──
ベルドの侍女は報せを携え、静かに祈りを捧げる者のもとへと向かっていた。
かつて神の詩を宿し、悪を退いた聖印官の居宅。蹄の音が乾いた空に響いた。
今、すべてが音を立てて動き出した。