55(絶筆)
死の静寂は、最も神聖な空間に訪れた。
倒れたヴァレンティウスの傍らに、ベルドは膝をついた。
かつてこの世界の闇を知り尽くし、光を捧げてきた神官の口元が、何かを訴えるようにわずかに震えている。
「どうされたのです!?ああ、天啓を……詩を……」
ベルドは耳を寄せ、イシュメルの声を聴かせようと祈るように語りかけたが、声は届かない。
そのとき、ヴァレンティウスの手がかすかに動いた。
震える指先が、床の血の中に“Z E R E P H A S”と書き始める。
聖水に濡れた祭壇の石床が、神の名のようにその綴りを抱いた。
「ゼレファス……」
ベルドがその名を読み上げたとき、言葉が空気を裂いた。
思考が刃のように冴え、彼の眉が僅かに動く。
「……番の悪魔の名ですか?」
ヴァレンティウスは、全身を震わせながら、それでも明確に頷いた。
その瞬間、彼の胸の上下が止まり、口元の緊張がふとほどけるように崩れた。
長く続いた神の従者の生涯が、静かに終わりを告げた。
神官たちが駆け寄り、慌ただしく遺体の移送の準備を始める。
だがその喧騒の外に、静寂の中の闇がいた。
ミリア。
礼拝堂の外、風の音も聖句も届かぬその片隅に、彼女はひっそりと佇んでいた。
祓われしバルナザールの気配が完全に消えたのを確かめたとき、ミリアの顔から微笑みが消える。
代わりに浮かんだのは、激しい怒りだった。
その怒りは冷え切った刃のように鋭く、復讐心を宿していた。
人々がヴァレンティウスの亡骸を囲み、祈りと嘆きが交差する中、
ミリアは気配を消し、影のように礼拝堂の内部へと滑り込んだ。
血と聖水のしみついた、すでに戦場のようなその祭壇の中央に、砕けたラウルの心核が転がっていた。
ミリアは迷いなくそれを手に取った。
その破片からはまだ、かすかに魔の気配が残っている。
ベルドが別室で神官たちと話し込んでいる隙を縫い、
ミリアは音もなく、その場を立ち去った。
誰にも気づかれず、彼女は王城へと踵を返した。