50(潜行)
城の一角、厚い石壁の裏にひっそりと口を開けた隠し通路がある。ミリアは迷いなく重たい燻銀の燭台を傾けた。回転する壁が音もなく動き、冷たい石の階段がその奥に続いていた。風が、通路の奥から吹き抜けてきた。湿気のこもらぬよう設けられた通気口からのものだろうか、肌にまとわりつくような冷気が、まるで見えぬ手のように首筋を撫でた。
階段は、そこから始まっていた。闇の底へと吸い込まれていく石の段。陽の光は一切届かず、灯火を掲げても、先はまるで闇に喰われていた。
一歩、足を置いた。冷たい石は、濡れたように滑っていた。だがそれよりも──地の底から立ち上る、名の知れぬ「何か」が、足首に絡みついてくる気がした。
二歩、三歩。降りるごとに、闇が深まっていく。心臓の鼓動が、やがて罪を打つ鐘のように、内側から響く。
振り返れば、扉の向こうに確かにあった光は、もう視界にない。戻ろうと思えば戻れるはずなのに、なぜか身体は前へ進む。
この階段には、意志を鈍らせる「何か」がある。
足を運ぶたび、心の奥に潜んでいた感情が少しずつ顔を出す。羨望。後悔。怒り。そして……欲望。
それはまるで、心という心に触れてくる。誰にも見せてはならないものを、次々に暴きながら。
闇の中階段を降り切ると、通路はやがて複数の小部屋へと繋がっていた。部屋はそれぞれ狭く、天井は低いが、しっかりとした石組みで積み上げられており、床はわずかに傾斜している。
そして突き当り──鍵のかけられた扉が静かに佇んでいた。まるで生きているかのような、息をひそめる重厚な木の扉。油灯の火が、ゆらゆらと揺れた。
空気が重い。ひと息吸うたび、胸が軋む。けれどミリアは、怯まなかった。いや、怯えそのものを、どこかに置いてきてしまったかのようだった。
黒く、重く、歪みのない板に、古びた鍵穴がひとつ。ミリアは、ローブの中から細長い鍵を取り出した。先端が、まるで茨のように曲がっている、銀の鍵。ミリアが王城にたどり着いた後、誘われるように訪れた礼拝堂祭壇の裏で、発見していたものだった。
ゆっくりと、それを鍵穴に差し込む。
カチ…カチッ…
まるで焦燥を表す鼓動のような音。静けさのなかで、それだけがやけに大きく響く。
カチッ
扉が震える。いや、扉ではない。
部屋そのものが、息を吹き返した。
ギィィィ……ィイ……
まるで喉奥から絞り出されるような、乾いた軋みとともに、扉が開いた。ひやりとした空気が吹き出し、ミリアの頬を撫でる。
部屋の奥——分厚いオーク材の書架の隅に、立て掛けられた一冊の絵本が、動いた。そのページから、ひゅう…と細く息のような音がして、灯の火がいっそう揺れる。
まるで、何かがこちらを覗いているようだった。
ミリアの目は輝いていた。それは狂信者のそれというより、むしろ「見たいものを見つけた者の目」。彼女の足が、自然とその絵本へと歩き出す。表紙には、奇妙に湾曲した赤い文字で、こう書かれていた。
Liber Pactum〈リーベル・パクツム〉