表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/108

50(潜行)

 城の一角、厚い石壁の裏にひっそりと口を開けた隠し通路がある。ミリアは迷いなく重たい燻銀の燭台を傾けた。回転する壁が音もなく動き、冷たい石の階段がその奥に続いていた。風が、通路の奥から吹き抜けてきた。湿気のこもらぬよう設けられた通気口からのものだろうか、肌にまとわりつくような冷気が、まるで見えぬ手のように首筋を撫でた。


 階段は、そこから始まっていた。闇の底へと吸い込まれていく石の段。陽の光は一切届かず、灯火を掲げても、先はまるで闇に喰われていた。

 一歩、足を置いた。冷たい石は、濡れたように滑っていた。だがそれよりも──地の底から立ち上る、名の知れぬ「何か」が、足首に絡みついてくる気がした。

 二歩、三歩。降りるごとに、闇が深まっていく。心臓の鼓動が、やがて罪を打つ鐘のように、内側から響く。

 振り返れば、扉の向こうに確かにあった光は、もう視界にない。戻ろうと思えば戻れるはずなのに、なぜか身体は前へ進む。


 この階段には、意志を鈍らせる「何か」がある。

 足を運ぶたび、心の奥に潜んでいた感情が少しずつ顔を出す。羨望。後悔。怒り。そして……欲望。

 それはまるで、心という心に触れてくる。誰にも見せてはならないものを、次々に暴きながら。

 闇の中階段を降り切ると、通路はやがて複数の小部屋へと繋がっていた。部屋はそれぞれ狭く、天井は低いが、しっかりとした石組みで積み上げられており、床はわずかに傾斜している。


 そして突き当り──鍵のかけられた扉が静かに佇んでいた。まるで生きているかのような、息をひそめる重厚な木の扉。油灯の火が、ゆらゆらと揺れた。

 空気が重い。ひと息吸うたび、胸が軋む。けれどミリアは、怯まなかった。いや、怯えそのものを、どこかに置いてきてしまったかのようだった。

 黒く、重く、歪みのない板に、古びた鍵穴がひとつ。ミリアは、ローブの中から細長い鍵を取り出した。先端が、まるで茨のように曲がっている、銀の鍵。ミリアが王城にたどり着いた後、誘われるように訪れた礼拝堂祭壇の裏で、発見していたものだった。

 ゆっくりと、それを鍵穴に差し込む。

 カチ…カチッ…

 まるで焦燥を表す鼓動のような音。静けさのなかで、それだけがやけに大きく響く。

 カチッ

 扉が震える。いや、扉ではない。

 部屋そのものが、息を吹き返した。


 ギィィィ……ィイ……


 まるで喉奥から絞り出されるような、乾いた軋みとともに、扉が開いた。ひやりとした空気が吹き出し、ミリアの頬を撫でる。

 部屋の奥——分厚いオーク材の書架の隅に、立て掛けられた一冊の絵本が、動いた。そのページから、ひゅう…と細く息のような音がして、灯の火がいっそう揺れる。

 まるで、何かがこちらを覗いているようだった。

 ミリアの目は輝いていた。それは狂信者のそれというより、むしろ「見たいものを見つけた者の目」。彼女の足が、自然とその絵本へと歩き出す。表紙には、奇妙に湾曲した赤い文字で、こう書かれていた。


 Liber Pactum〈リーベル・パクツム〉

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ