47(浮躁)
啓示の余韻が消えぬまま、礼拝堂の奥でひとり、ミリアは静かに目を伏せた。
その表情には祈りの穏やかさではなく、燃えるような確信と怒りが宿っていた。
(――アルデマン……あの男の顔は、最後まで思い出すだけで虫唾が走る)
かつて内戦の混乱のさなか、啓示の一部は政治利用され、利用された信者たちは捨て駒のように死地に追いやられた。
裏で糸を引いていたのが、王国軍の軍師、アルデマンだったと知れた時、ミリアの怒りは頂点に達した。
その彼が先日の戦で戦死した――それは、まさに神罰としか思えなかった。
王都では疫病が広まり、王の側近たちにも病が蔓延しているという報がもたらされていた。
ミリアは、確信した。
(これが神の意志でなくて何だというの? 私たちは間違っていない……私たちこそ、正しい)
だが、彼女の視線の先にいたクリスは、その神意を前にして迷いを見せていた。
あの優しい眼差しは、今や苦悩と葛藤に染まりつつある。
かつて母を救い、導いてくれたあの人が、今は自分に救われるべき存在になっているのかもしれない。
ミリアは、微笑みながら歩み寄った。
その笑みは、かつての清純さと信仰心の純度を保ちつつも、どこか母性的で、同時に狂信を帯びていた。
「大丈夫です、クリス様。私は、あなたがどんなに揺らいでも……信じています」
その言葉は優しかったが、内心では別の考えが渦巻いていた。
(……あの“ネミナ”という女の名前が出てから、クリスは明らかに変わった。本人は知らないふりをしているようだけど、そんなはずない。あれは何かある。クラウスも顔色を変えていたし……クリス様が躊躇されるなら、その時は私が……)
一方で、そのクラウスは、礼拝堂の外に出て、黒革の帳簿を開きながら空を仰いでいた。
この啓示の内容をもってすれば、王都へ進軍し、新しい神の国を築くことも現実になる。
啓示の断片を金貨に変え、貴族たちに「神の選定」を売ることができる――それは国家を超える影響力だ。
(ふん……啓示があれば、戦争も金に変わる。クリスの望みじゃないのはわかっている。だが、こっちはもう引き返せない)
クラウスは胸中でつぶやいた。
手にした金と兵力、そして今や宗教的正統性すら得たこの流れを、無為に終わらせるわけにはいかなかった。
(王都には厄介な連中が残ってるだろうが……こっちにも切り札はある。王が死ねば、秩序は崩れる)
彼の目は鋭く、冷徹だった。だがその裏には、かつて国を良くしようと志した若き日の純粋さも、微かに残っていた。
そして、もう一人――バロム。
彼は無言で、礼拝堂の柱にもたれながら、ひとつの名をつぶやいていた。
「エルド……」
息子のように思っていた若き弟子が、帰らぬ人となった。
心核が光を放ち、啓示が現れても、バロムの胸には響かなかった。
誰よりも誠実に生きたエルドが戦死した――それが、彼の心を縛りつける。
ただ、クリスに従う以外に生きる意味を見出せないまま、彼は剣を磨き続けている。
そして、炉の前では、エメルが鋳型に溶けた銀を流し込んでいた。
完成間近の新たな「ルクスコイン」は、従来のものよりも軽く、しかし緻密な細工が施されていた。
「……これが新しい時代の貨幣になるのか。王国の造幣……どんな技術だったか、一度見てみたいな」
鋳造炉の熱気の中で、エメルはわずかに笑う。
彼の興味は純粋だった。破壊ではなく、創造の中に自らの存在理由を見出していた。