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45(神威)

 セントラグラ北西、灰色の山々に囲まれた峠道を、神官達が馬を駆っていた。

 肌を刺すような冷たさをまとった山風は、岩肌を舐めて笛のように鳴る。

 そのたびに、ベルド・メルドリスの肩にかけられた神官長の法衣がはためいた。


 胸の奥で脈打つ焦燥は、先ほど目撃した“それ”の影に因る。

 ルクス教が、すでに何か異質なものに蝕まれていることを、彼の目は見抜いていた。


 ──見えるのだ。

 彼には、普通の人間には見えぬものが見える。


 空気の歪み、気配の色、目に映る以上の「存在感」が視界に焼きつく。

 それが、特別なことだと知ったのは、まだ彼が少年であった頃。

 一人の男と出会った瞬間だった。


 ヴァレンティウス・ゼイゲル──

 かつてイシュメル教大本山に名を馳せた、現存する最高位の「聖印官セラフ・イグナリス」にして、“悪魔祓い”の象徴と呼ばれた存在。


 白銀の髪。鋼のように冷たい眼差し。白銀の法衣を纏い、老齢にありながら、その体躯は衰えを知らない。こけた頬と、余分な肉一切を削ぎ落とした皮膚。


 だがそれは、ただ痩せた老体ではなかった。

 常に鍛錬を欠かさぬ巨軀は、まるで彫刻のように削られ、洗練された力の象徴だった。


 かつてベルドが教会で見習い神官として仕えていた頃、

 壮年のヴァレンティウスと出会ったとき、彼は即座に察した。


「──見えているな」

 ヴァレンティウスはベルドの“目”の異能を見抜いたのだ。


 その日から、ベルドの運命は変わった。

 ヴァレンティウスのもとで修行を重ねた日々。

 厳しさと威圧の中にあった、ただ一つの教義──


「神意とは、目に見えぬものを見通し、己が恐れに打ち克つ意志である」


 腐敗が教会を蝕み、異端がはびこるようになった頃、

 ヴァレンティウスは消息を絶った。


 だがベルドは知っていた。

 聖印官は、北西の山に籠り、ただ一人、神意に祈りを捧げている事を。


 ──だからこそ、今、ここに来たのだ。


「……あれは、“悪魔”だった。間違いない。神に逆らいし者の臭い……見えた。あの拠点には、すでに“奴”が棲んでいる」


 馬の蹄が岩を打つ音が、ベルドの焦燥に拍車をかける。


「あの男──レオン。薬師の身ながら、新たな宗教を……。ルクス教などと偽の光の名を借り、悪魔の影響下にいる……!」


 山の中腹、薄い霧の中に、質素な石造りの小屋が現れた。

 屋根には苔が生え、周囲には薪の山と井戸が一つ。

 ベルドは馬を下り、深く息を吸った。

 恐れと共に歩み寄り、戸口を叩く。


「……ヴァレンティウス様。お聞き届けを……」

 しばしの静寂。

 だが、やがて戸がわずかに軋んで開いた。


 中から現れたのは──かつてのままの姿。

 白髪は少しだけ長くなっていたが、眼光はなお鋭く、

 蒼銀の法衣も褪せてはいたが、威厳は損なわれていなかった。


「ベルドか……」

 低く、重く、地を這うような声。


 ベルドは思わず膝を折る。

「申し訳ありません。突然の訪問、無礼をお許しください……!」

「立て。そう慌てるな。……何が見えた?」


 その問いに、ベルドは一瞬、唇を震わせた。

 そして語った。


 レオンという名の薬師が逃亡し、異端の旗を掲げて新興宗教を立ち上げたこと。

 王城を蝕む得体の知れぬ気配。そして、ルクス教の拠点で見た、「悪魔」としか呼べぬ存在のこと。


「お願いです……。この世に神意が残されているなら、貴方がそれを取り戻せるはずです。貴方なら……貴方だけが……!」


 ヴァレンティウスは黙って聞いていた。

 そして、ふと窓の外に目を向けた。


「……風が、変わったか」


 ただそれだけを言い残し、背を向ける。

 その背に、ベルドはかつて見た「神意の背」を再び重ねた。


 かつての憧れが、今再び、ベルドの前に現れる。

 それが、彼の終焉の序章になるとも知らずに──。

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こえぇよw
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