41(宿怨)
かつて、王国の北方に名を馳せた騎士家門――ヘルヴィン家。
領地こそ小さかったが、代々王に忠義を尽くし、民に慕われた清廉の家系だった。
だがそれが、ある年の冬。たった一夜にして灰となった。
罪状は――「異教徒との通謀、および王命への反逆」
証拠とされたのは、見知らぬ商人から届いた書簡。封蝋には、禁教とされた古代信仰の印が押されていた。
その書簡が家臣の屋敷から見つかったことを口実に、ヘルヴィン家は国家反逆の汚名を着せられた。
命令を下したのは、王国軍の名将にして政敵潰しをも辞さぬ苛烈な男――アルデマン卿。
「王国の安寧のため、腐った枝は断ち落とすべき」
彼のその言葉を最後に、追討軍が派遣された。
──そして、ダグラス・ヘルヴィンが十五歳を迎える直前の夜。
すべてが終わった。
彼は剣の稽古に出かけていた森の小屋から、煙と叫び声を見て帰還した。
だがすでに屋敷は焼かれていた。
白い壁は炭となり、堂々と聳えていた門は倒れ、黒煙の中で瓦礫に伏す兵士と女たちの死体が転がっていた。
民衆が投げる石。
王国軍の兵士が笑いながら家宝を持ち去る姿。
声を張り上げる父、剣を振るうも多勢に無勢で串刺しにされる。
泣き叫ぶ母。首を刎ねられたのは、兵が放った「異教の女」という一言の後。
ダグラスは声を発することもできず、ただ茫然と立ち尽くすのが精一杯だった。
そして──妹。エリシア。
十三にして、剣の扱いを覚え、兄と共に未来を夢見ていた少女。
彼女は捕らえられ、連行されたのち数日後、民の目に晒される場で首を吊った。
ダグラスがその死体を発見したのは、衛兵がいなくなった後の処刑場。
崩れ落ちたようにぶら下がった小さな身体。
血が滲む指先と、破れた衣の下に刻まれた無数の爪痕と咬み痕が、何があったかを語っていた。
傍らには、震える手で書きなぐられた一枚の布切れ。
『兄様へ。
ごめんなさい。私、生きていたくない。
何度も、何度も……
でも夢を見たの。兄様が、みんなを守って下さる夢を。
だから、信じています。
兄様は絶対、正義を捨てないで』
布を握り締めたダグラスの手は震え、吐き気を堪えながらも、彼女の身体を抱きしめた。
その目から流れた涙は、エリシアの冷たい頬と乾いた髪を湿らせた。
代わりに、胸の奥底から燃え上がったものがある。
──怒り。
──無力な己への憎悪。
──そして、アルデマンへの復讐の念。
数年後。
ダグラスは騎士の身分を剥奪された「廃嫡子」として、名前を捨て、身を隠していた。
だが、剣は手放さなかった。
飢えを凌ぐために賞金首を狩り、血で稼いだ金で刃を磨いた。
その日々の中で、彼は“灰鵜”と呼ばれる闇の情報屋たちの噂を知る。
やがて彼の腕は評判となり、クラウスの護衛として雇われた。
与えられた立場に甘んじることなく、鍛錬を続ける。
その心には常に、鎮まることない煉獄が、絶対的に宿っていた。
「アルデマン……お前だけは、必ずこの手で。エリシアの、父の、母の……この命のために。言い逃れをしようが、地に伏し命乞いをしても──その首だけは、許さない」