34(戦雲)
クラウスは、帳簿の奥に静かに指を滑らせた。
その目には喜びも焦燥も浮かばない。ただ、計算された戦略の進行を確認する者の、それだけの光があった。
卓上には鋳造されたストライクコイン――“ルクスコイン”が無数に並んでいる。
この異質な通貨は、瞬く間に商人や市井の間に広がり、まるで信仰の証のように扱われ始めていた。
そして―――
「金と銀……これだけの“聖貨”が集まれば、もはや王家の造幣権など意味をなさないな」
クラウスはゆっくりと椅子から立ち上がると、側近の報告を受けた。
「西方諸国より、傭兵四千、到着いたしました。うち半数はラース連邦軍の残党で、戦場経験豊富です。
兵糧はカリス地方とエルデ農村より搬入開始。ルクスの蔵に備蓄させております」
「……よい。武器より、まず腹を満たすことが最優先だ。飢えた兵など、ただの死体も同然だからな」
彼の言葉に部下が頷く。
この男――クラウスは、現王政を転覆させることをただの理想や正義ではなく、“数字”として捉え計画を進めていた。
兵力、兵站・補給、移動距離・日数、予想される戦死者、負傷者数、軍事費、被害額、同盟勢力の数、実効支配領域の広さとその人口、難民の数、農作物の収穫量。
軍事・経済・政治的予測値が脳裏で配置を変えては整えられる。
彼にとって戦はもはや、数字と確率で組まれた精緻な図面だった。
王を滅ぼし、教団を国家と化し、クリス――否、“救済の王レオン”を戴冠させる。
その時、自らは“経済の摂政”として、真の力を握るつもりだった。
***
一方その頃、王都・セントラグラ城
「アルデマン卿。……全ての騎士団に召集を」
玉座から放たれたアスヴァルド三世の声は、鋭く響いた。
「はっ」
将軍アルデマン卿は甲冑の音を響かせながら、玉座の間から去る。
玉座の間には、国王と側近の神官セリアス、神官長ベルド・メルドリスたちが集まっていた。
ルクス教の教義が王命を超え、ストライクコインが国貨の信用を脅かしつつある。
一部の商人や農村民の間では、すでに「ルクスに従う方が得」とまで囁かれていた。
「このままでは……王権は崩れる。ルクスの“異端”レオンとやらを討たねばなるまい」
「奴らの宗教も、貨幣も、すべて焚書すべきです。焼き尽くさねば、民心は戻りません」
二人の神官は声高に主張した。
アルデマン卿は、剣を腰に帯びたまま、振り返ることなく答えた。
「……ルクスの地に進軍する。貴族私兵、近衛騎士団、騎馬隊、総勢七千。これは“鎮圧軍”ではない。“懲罰軍”だ。だが……反逆者共の首はきちんと並べてやろう。記念碑としてな」
兵士たちはすでに訓練を開始していた。
王都の武具鍛冶場には火が灯り続け、騎士たちは剣を研ぎ、馬を調え、決戦の朝を睨んでいた。
ルクス教団では、クラウスが備蓄の確認と傭兵団の再配置を指示していた。
王都では、アルデマン卿が軍を集め、軍議の準備を整えつつある。
──両者の思惑が、ついに交錯しようとしていた。