33(財政)
王都セントラグラ、中央税庁塔――。
石造りの高楼にて、財務卿ヴァルド・レヒトンは重い帳簿を繰っていた。
淡い日差しが鉛筆色の石窓から差し込み、蝋引き紙に反射して金貨の色を帯びる。
「……これは妙だ」
ヴァルドは眉間に皺を寄せた。
昨年と比べ、王都北部商区における物品売買税収が2割ほど増加している一方で、王室公認の貨幣鋳造所への持ち込み金属量が約3割減少していた。
「納税額は増しているのに、貨幣そのものが鋳造されておらん……? なぜだ?」
補佐官の一人が答えた。
「税は“市場取引の通貨総額”に応じて定められておりますゆえ、鋳造貨幣に限らず、実質的価値を持つ“別種の通貨”でも売買が成立していれば、税収には影響が出ません」
「別種の通貨だと?」
ヴァルドの眼が鋭く光る。
補佐官は震えながら、帳簿の中から一枚の紙を取り出した。
「こちら……近頃、“ルクスコイン”なる私鋳貨が王都を中心に広く出回っており……“神の予言書”と交換される通貨との噂です。市場では銀貨同様に扱われております」
机の上に一枚のコインが置かれる。
「……ほう」
ヴァルドは手袋越しにコインを手に取った。精緻な意匠、細密な神紋、不可逆的な打刻技術。確かに精巧な仕上がりだった。
「意匠は洗練されている……が、待てよ……」
ヴァルドは急ぎ、傍らの秤にコインを載せ、王国発行の銀貨と比重を比べた。
「軽いな……これは……銅と錫の合金ではないか!」
彼は立ち上がり、コインを机に叩きつけた。
「銅と錫の混ぜ物を、金銀と交換しておるだと!? 馬鹿な!!」
声は天井を揺らし、帳簿の山がわずかに震えた。
「こんなことがまかり通れば……王国の金本位制度は崩壊する……!」
***
数日後、王都税庁の会議室。ヴァルドは学識ある経済学者、銀細工の元締め、王家鋳造所の責任者らを招き、緊急の財政会議を開いた。
「皆、聞いてくれ。予言とやらにより流通する“ルクスコイン”の影響で、市場の通貨価値が崩れ始めている」
学者が言う。
「現状、物資の流通速度は上がり、短期的には民の活気も増しております。ですがその裏で、実質金属価値を伴わぬ通貨が市中に膨張しております。これは物価高の兆候にございます」
銀細工ギルドの元締めも憂いをこめて語った。
「このまま行けば、我らが作る正規の銀貨・金貨の価値は暴落しますぞ。すでに南部市で銀貨での買い物が拒まれた例が出ております。“神の加護なき貨幣に意味はない”と……」
ヴァルドは歯ぎしりをした。
「予言と信仰を錬金術のように利用し、民から聖貨(金銀)を吸い上げておるのだ。やがて王国全体の金銀が消え、ただの銅の丸薬が市場に残ることになる!」
経済破綻が迫っていると誰もが気づいた。
***
城の謁見の間。
王アスヴァルド三世の前に、ヴァルド・レヒトンは静かに膝をついた。
「陛下……このままでは、王国の貨幣価値は崩壊し、神の名を騙る民間経済が国家の信用を上回ります。財政は統御を失い、戦争があれば継戦能力をも失うでしょう」
王は静かに目を閉じた。
「…… “金を生まぬ金”であれば、国家の柱石を崩す毒であるな」
ヴァルドはさらに進言した。
「陛下、この“ルクスコイン”に対し、王印なき通貨の流通禁止の布告をお願い申し上げます。また、商会とルクス教団への制裁を」
王は重々しく頷いた。
「よかろう……早急に真実を暴き、制裁を。王国の秩序を守らねばな」