31(黙秘)
ルクス教の拠点最奥にある私室──
祭壇に据えられたラウルの心核が、鈍く光を発していた。
橙とも紫ともつかぬ、神秘的な輝き。
牢獄での祈りがもたらした、奇跡の石。
それはこれまで幾度も、レオン――いや、クリスに啓示を与えてきた。
未来を示し、勝機を授け、信者たちの心を導いた。
だが。
「……見えないな」
クリスは、椅子に身を沈めたまま、ただ心核を眺めていた。
目は醒めていたが、その奥には深い靄がかかっていた。
かつてはもっと明瞭だった。
心核の示す光のうねり。波動のような、音のない語りかけ。それは確かに自分の意志と呼応していた。
それが今では──
まるで、石そのものが黙秘しているかのようだ。
「……」
そこへ、私室の扉が軽く叩かれた。
「クリス様。失礼します」
顔を覗かせたのは、クラウス直属の部下、若い男だった。
どこか言い淀むような表情で言葉を選ぶ。
「……本当に、これでよろしかったんですか? その……クラウス会長から伺いました。処刑場に立っていた女性──ネミナ様と、かつて恋仲でいらしたと」
その言葉に、クリスは肩をわずかに揺らし、瞳を伏せた。
だがすぐに、感情を見せぬまま言葉を返す。
「……いや。本当にそのネミナという女性のことは、わからないんだ」
淡々とした声。しかし、それはどこか自分自身への言い聞かせのようでもあった。
「宰相のことは、もちろん存じている。……恩もある。だが……」
彼は再び、心核に目を戻す。
「……それよりもな。ここ最近、心核が私の意を汲まなくなってきている気がしている。啓示が……ぼやけてきたのだ。何かが……歪み始めている」
その言葉に、部下は一瞬、困惑の色を浮かべたが、すぐに前向きな声で返した。
「……ですが、信者は日ごとに増えています。軍備も急速に整っており、クラウス会長は“このままいけば王政と直接対峙できる”と話しておりました。啓示は多少抽象的でも、民は従います。直接的な利益もありますし。併せて、ストライクコインによる市井の流通も順調そのものです。王都の財政も着実に圧迫できていると思います」
「……」
「……このまま続ければ、“理想の秩序”を築けるのでは、と」
クリスはその言葉を静かに噛み締めた。
それはまさに、彼とクラウスが描いてきた青写真だった。
王政の腐敗を打ち砕き、新たなる“光の秩序”を打ち立てること。
だが今、その光の中心にあるべき心核が──
彼に語りかけることを、やめようとしている。
「……そうか。順調であるのなら……それでいい。だが……」
クリスの声が、低く、微かに震えた。
「……何かが、ずれている。わずかな軋みだと思うが……このまま続ければ、何かが壊れてしまう気がしてならない」
彼は、心核を見つめる。
それはただ、沈黙のまま、ぼんやりと光を湛えているだけだった。
国の命運が傾き、親しき者も血に染まっていく中──導くべき心核は、なぜか黙秘を続けるのだった。