28(追憶)
任務は過酷だった。
腐敗した貴族の密会を盗聴し、敵国に忍び込み、時には“事故”に見せかけて始末する。
そのすべてに宰相シグナスは目を通し、密かに指示を与えていた。
誰にも見せない、冷徹で完璧な采配。しかし、フードの男だけは知っていた。
──この人は、本当は冷たい人じゃない。
──この人は、俺を道具にしながら、誰よりも俺を“人間”として扱っている。
ある日、任務中にフードの男は失敗した。
手紙をすり替えるべき王家の文書庫で、誤って副官に見つかり、逃走の末に民間の屋敷に火を放ってしまったのだ。
被害者の中にいたのは、幼い子どもを含む三人。
その命が失われたことを知った彼は、任務を報告したあと、誰にも告げずに姿を消した。
王国の密偵が、逃亡した。
シグナスは私兵を出して探させ、三日後、ボロ布のように汚れた彼を王都の墓地で見つけた。
「殺してくれ……俺は……人を……子どもを、殺した」
雨の中で、震える声。
その男に、シグナスは無言で肩を叩いた。
そして一言、こう言った。
「忘れるな」
「……っ」
「命の重みを刻め。君の背には、これからもっと多くの死が圧し掛かってくる。──それでも生きるしかないのだ」
フードの男は、涙を流した。
その夜、シグナスの書斎で二人は静かにワインを酌み交わした。
密偵と主従というより、ただの一人の人間と、一人の人間として。
灯火の下で、シグナスが言った。
「……君がいなければ、私はとっくに闇に堕ちていた。民衆の愚かさに絶望し、上に立つ者の醜さに吐き気を催し……。それでも、君のように“見捨てられた命”が生きていることが、私の信仰のようなものだった」
「信仰?」
「……この国に、まだ希望があるということだ」
フードの男はその時、何も返せなかった。ただ、胸が焼けるように熱かった。