27(覚悟)
それは、まだ「フードの男」が名もなく、ただ“あれ”とか“異形”と呼ばれていた時代のこと。
王都の外れ、廃棄された穀物倉庫の裏手に、ひときわ黒い噂の絶えぬ路地があった。人が捨てられ、忘れられ、なかったことにされる路地。
彼はそこにいた。
まだ少年だった。
だがその姿は異様だった。目の色は左右で異なり、肌は生まれつき病的なまでに白く、指は異常に細長く、瞳には人のものとは思えぬ冷たい輝きが宿っていた。
──魔族の落とし種ではないか。
──人の血を啜って生きている。
──触れただけで祟られる。
そんな噂が、いつの間にか「事実」となり、彼は追い出され、ついには町の自警団に連行された。
「化け物め。人間を名乗るな」
「先週の嬰児の失踪も、どうせてめぇの仕業だろうが」
当然、証拠などなかった。だが、誰も疑問すら抱かなかった。
人々は“正義”という名の仮面をかぶり、恐怖と嫌悪を火に変え、彼を囲んで殴った。蹴った。
身体はすぐに動かなくなった。血にまみれた彼を、少年たちは木に縛りつけ、焚き木を足元に積み上げた。
「火を点けろ!魔物は焼かなきゃ魂が抜けねえ!」
空は赤く染まり始めていた。火打石が擦られ、油が注がれる。
少年──いや、“彼”は目を閉じた。最期に見るのが火か、人か、もはやどうでもよかった。
どうせ自分は人ではない。人にはなれない。
そんな運命を受け入れようとしていた、まさにその時だった。
「──やめろ」
その声は、すべてを止めた。
まるで時間ごと凍らせるような、威圧と静謐を備えた声だった。
「私兵団、展開せよ。囲め。武器を捨てぬ者は殺しても構わん」
通りの先から現れたのは、緋の外套を纏い、肩章に王家の紋章を刻んだ男。
その双眸は、冷たさの奥に奇妙な慈悲を宿していた。
シグナス・ユリシオン。王国の宰相にして、軍政を司る“冷鉄の参謀”。
その日偶然にも、私兵団の視察で近隣を通っていた彼は、異様な騒ぎに気づき、足を止めたのだという。
「その少年に罪はあるのか?」
誰も答えられなかった。
「では、お前たちこそが罪人だな」
一言で民衆を震え上がらせた彼は、指を鳴らした。私兵たちが飛び込み、少年を木から解き、傷の手当てを始める。
少年は、まだ何が起きたのかすら分かっていなかった。
「……どうして、助ける……?」
彼がかすれた声で問いかけた時、シグナスはわずかに微笑した。
「私は君の瞳を見た。──あれは、生きることを諦めた者の目だ。だが、生き延びてしまった者は、使い道がある」
「……使い道……?」
「そう。私は君に期待している。“理不尽を知る者”だけが、真に情報の価値を理解できる。君は私の密偵となれ」
少年はその言葉の意味も重みも、理解していなかった。
だがその日、初めて名前ではなく「役割」を与えられたことで、彼の中の何かが静かに目を覚ました。
その日以来、彼はフードを被った。
醜いとされた自分を隠すためではない。あの日、焚かれかけた業火の中で助けられた「命」を、内に秘めて生きるためだった。
そして何より──
「自分を見捨てなかった、たった一人の男」のために、命を賭ける覚悟を、胸に秘めるためだった。