14(発足)
メギル草による治療薬が町に行き渡り、疫病は一週間ほどで収束へと向かった。人々の命を救ったその立役者、レオンは表舞台から姿を消す。病気の混乱のさなかに名を広めることは、追手に自ら居場所を知らせるようなものだった。
レオンは、クラウスの手引きで、街外れの鉱山近く―――古い教会の跡地を拠点として移り住むことになる。かつて信仰の場だったその場所は、今や改築され、静かに息を吹き返しつつあった。
外観は、時の風雨に削られたまま、ざらついた石壁が並び、かつてそこが宗教建築だったとはにわかに分からない。尖塔は取り壊され、屋根の一部には木板が打ち付けられ、貧しい村の倉庫のように見える。けれど扉をくぐれば、まったく異なる空間が広がる。
かつてNarthexであった玄関ホールは、今では私兵たちが交代で詰める控えの間となり、壁際には簡素なベンチとランタンが吊るされている。扉の外を監視するための細い覗き窓と、合図のための鐘が控えめに備えられている。
Nave、すなわち本堂は、礼拝用の長椅子を撤去し、一部は木箱や工具棚に再利用されている。中央には大きな円卓が据えられ、ミーティングや戦略会議に用いられる。天井は重厚な石のアーチが連なり、光は高窓から斜めに差し込むのみ。石壁には布や古地図が掛けられ、信仰の場というよりも、“戦いの準備の場”としての気配が濃い。
かつてSide Aisle(側廊)だった空間の一部は、医療と物資の保管庫へと転用されている。奥まった一角には簡素な診療ベッドと、乾いたハーブの匂いが漂っている。
そして、もっとも神聖とされたChancel(内陣)とAltar(祭壇)は──今ではレオンの私室として慎ましく整えられていた。
半円形の空間は天井が高く、静かなこだまが残る。床には毛織物が敷かれ、隅には書見台と古い巻物、厚手のブランケットが掛けられた簡素な寝台が置かれている。祭壇はそのまま残されていたが、今では花瓶と蝋燭が飾られている。
壁に開けられた小さな窓から差す光が、かつては神の恩寵を示していたのだろう。だが今、その光は、疲れた者たちをほんのわずかに癒やすだけの、柔らかな陽の道しるべだった。
外観は朽ちかけた廃教会のようでありながら、その内部には、戦いの決意と、安らぎの余白が共に息づいていた。
クラウスは「先行投資だ」と笑ったが、その価値はとてもメギル薬の利益で賄えるようなものではなかった。
「商会にとって信頼こそ最大の利益になる。お前の“心核”がまた何かを告げるなら、その時も商会は動く。」
そう語るクラウスの目は真剣だった。彼にとって、利益とは金銭の先にある信頼と機会とのことだった。
レオンはラウルの心核が宿す啓示に、心を奪われ始めていた。
既存宗教であるイシュメルの光会は堕落し、新たな信仰宗教を発足させる必要があった。なぜならレオンを死の淵に追いやった、現権力者たちが崇拝する神なのだから。
レオンは自身を最高権力者とする新興宗教〈ルクス教〉をここに発足させる。
表向きはイシュメルを信仰する偽りの団体「黎明の光」の拠点として。
拠点の移動に合わせ、レオンは名を変える決断をした。これはミリアの発案である。
「名前を変える事はできませんか?このままでは、信者が増えるたびに、口々に貴方の居場所が広まってしまいます……」
必死な声に、少し考えた後レオンは静かに答えた。
「王権側に聞こえやすくなるか。わかった。……今日からは“クリス”と名乗ろう。」
「“クリス”……うん、似合っています。もっと、神様みたい……」
ミリアはそう言った後、小さな安堵と高鳴りを感じていた。彼に名を与えた、それだけで世界にひとつ、自分だけの絆が生まれた気がした。
彼女は毎晩、古びた教会の片隅で石に祈りを捧げている。
“彼がこれ以上、痛みに晒されませんように。”
“彼が選ばれし者である証を、もっと世界に広げられますように。”
そう呟く姿はまさに、信仰の深みに沈みゆく者のそれだった。
彼女の瞳に宿る光は、もはや純粋な尊敬とも、崇拝とも、恋ともつかない。
ただ一つ、彼を信じ、彼の名のもとに自分の存在意義を見出そうとしていた。
新たな名、新たな居場所、そして新たな計画。レオン──いや、クリスは身を潜めながら、次の動きを見据えていた。
その時だった。ラウルの心核が、再び淡く、しかし確かに光を放ち始める。
それは、新たな啓示の兆しだった。
そしてここに、クリスを最高指導者とする新たな教団 “ルクス教” の旗が掲げられたのだった。