12(顕在)
クラウスの商会の扉が、朝から晩まで休むことなく叩かれ続けた。
咳き込む子どもを背負った母、足を引きずる老兵、沈黙したまま列に並ぶ貴族の従者──誰もが「治療薬」を求めて来た。名も知らぬ薬師の作った、命を繋ぐ唯一の品を。
「お願いです、うちの子にも……っ!」
「順番です! 叫んだって早くはなりません!」
「……こっちは金貨十枚積む。回してくれ!」
叫び、押し合い、時には涙と暴力が入り混じる。
クラウスは腕を組みながらその混乱を見下ろしていたが、ふと視線を外し、背後の扉をノックした。
「どうだ、追いついてるか?」
「……あと五本で終わる。次の抽出液を温め始めてる」
レオンの声はかすれていた。淡々と調合と抽出を繰り返していた。
煮詰めたメギル草の液、精製された樹脂を一滴混ぜる追加工程。
火傷、睡眠不足、瞼は重く、呼吸は浅くなっている。しかし休むことを許されない。
「まだ……死者は止まっていない。もっと要る」
***
一方で、別の場所。
町の裏路地、古い礼拝堂の跡地を使って、ミリアもまた薬を売っていた。
今やそこは、静かな列ができる“配給所”となっていた。
「こちらでお待ちください──順に“導き”を授けます」
声をかけるのは、神官の装いを模した衣を纏う少女──ミリア。
その手には銀と翡翠をあしらった薬瓶。中身はもちろん、あのレオンが作った治療薬だった。
「これは“啓示の薬草”より得られし命のしずく……選ばれし方の御心により、あなたの病は癒やされるでしょう」
そう告げると、ミリアは一人ひとりに祈りの言葉をかけてから薬を手渡す。
受け取った者は、ただの薬とは思えぬ神聖さに、自然と膝をつく者も少なくなかった。
「本当に……咳が止まった……」
「娘が笑ってる……昨日まで、うわ言しか言ってなかったのに……」
信仰は“体験”によって裏付けられ、広まっていく。
***
治療薬が配られてから、8日目の朝。
咳の音が、町からほとんど消えた。
あれほど満ちていた焦燥と死の影が、潮のように引いていく。
「うちの娘が……立てるようになったんです……っ!」
「熱が下がった。あれは夢だったのかと思ったよ……」
道を歩けば、涙と感謝の言葉が降りかかる。
人々は回復し、日常の輪郭が戻りつつあった。
しかしその頃、クラウスのもとを「見知らぬ男」が訪れていた。
濃い灰色の外套、深く目元を隠したフード。男は静かに一枚の羊皮紙を差し出した。そこにはレオンの名と人相、宰相の印が記されていた。
「……知ってるな。どこだ、彼は?」
「あぁ、レオンか……以前は交流があったが、今は音沙汰ないな。聞くところによると国法違反の大罪を犯したそうじゃないか。一体何があったんだ?」
クラウスは動じずに答えたが、その背筋には冷たいものが走っていた。
──追手はもう、すぐそこにいた。
街の病は癒えたが、レオンを取り巻く運命の熱は、なお燃え続けている。