11(予兆)
「今は草にも値がつくと聞きましてね。ちょいと走ってきましたよ、足が棒みてぇですがね。どうです?いい色でしょ?」
そう言って、粗末な布に包まれたメギル草の束を差し出す男がいた。
手は土で黒ずみ、鼻先は陽に焼け、服は草の汁でまだらに染まっている。だがその顔には、どこかしたたかな笑みがあった。
「これは……朝摘みか? やけに鮮度がいいな」とクラウスは鼻を近づけ、くん、と香りを確かめる。「薬効も強そうだ」
「ええ、そりゃあ急ぎましたから。家族でね。谷の裏手で摘んできたんですよ。夜明け前から」
クラウスは、手元の帳面をめくりながら頷いた。
「まあ、正規ルートじゃないが……今は緊急時ってことでね。少し高めに買おう。だが、今日限りだ」
「助かります! こちとら草なんて売ったことねえですが、今じゃ銀になるって聞いて……ふふ、町中が草刈り隊ですよ」
クラウスは小さく笑い、「こっちは命のために動いてる。無駄にしないさ」と金貨を一枚、カウンターに滑らせた。
そして視線を上げ、窓の外の列を見る。
その先には、同じように草を抱えて並ぶ村人たちの影──、そして、静かに広がっていく不安と祈りの気配があった。
***
風のない朝だった。
市場の石畳の上に、いつもより早く掃き集められた野菜くずが、灰のようにぼんやりと転がっていた。
最初の異変は、鳥の死骸が増えたこと。
それから、子どもの咳だった。
「……ケホッ、ケホッ……」
痩せた少年が、両手で口を押さえている。何かを恐れるように、母親がその肩を抱き寄せた。
咳が重なり、波紋のように広がっていく。鼻血。熱。吐き気。誰かが倒れた。
──心核の啓示から三日後、最初の死者が出た。
それは市場に野菜を売りに来ていた少女で、ペトラという。数日前まで笑顔だった。
そして、次は「誰」なのかという不安だけが町の空気を曇らせた。
***
クラウスが慌ただしく扉を叩いたのは、まだ朝焼けの色が空に残る頃だった。
「……起きてるか、レオン。ひとり、悪い熱を出している子がいる。噂が広まる前に見てほしい」
レオンは静かにうなずくと、薬瓶を手に、外套を羽織った。
──向かったその家は、石壁が雨水で黒ずみ、扉の蝶番が錆びて軋んだ。
ベッドに横たわるのは、咳き込んで意識が遠のいている幼子だった。
皮膚は赤く、まぶたの内側に小さな出血点が浮いていた。
「……この子は、二日目ですか?」
「そうだ。母親も、同じ症状を今朝から」
レオンはそっと子どもの脈を取り、額に触れ、心核の石に目を落とした。
──石の中に、言葉ではない色が揺れる。金色のかすかな波紋。
彼はそっと薬瓶から、火を入れた小瓶にメギル草の抽出液を注ぎ、香りを確認した。
「高熱を下げ、咳を鎮めるはずだ。もし効けば、治療薬として販売していいと思う」
数時間後、子どもの熱は引き、呼吸が安定してきた。
「効いてる……レオン、俺たちの読みが……!」
レオンは答えず、ただ瓶を振って薬液の色を見つめていた。
彼の視線の先にあったのは、まだ知らぬ街の未来。──そして、静かに拡がる闇だった。