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10(知古)

 レオンは、イレナの眼薬を完成させた後、しばらくの間ミリアとイレナの家を拠点に身を潜めていた。

 だが、沈黙のうちに時を過ごす男ではない。彼は再び動き始めていた。


 目指した先は、かつての旧知――商会長、《クラウス》のもとである。

 クラウスは、レオンが王都で活動していた頃に数多くの薬学的試みを共にした人物であり、商会で最も知識と洞察を備えた男だった。


 長身で痩躯、年齢は三十半ばを超えているが、琥珀色の瞳は常に鋭く、情報に対する嗅覚にかけては誰にも引けを取らない。


 レオンが現れたとき、クラウスは少しも驚かなかった。

 いや、むしろこう言ったのだ。


「来ると思っていた。お前の国法違反の噂が流れたとき、すぐに腑に落ちない点が多すぎた。宰相と敵対する貴族派が“あえて寵愛を受けた薬師”を失墜させるために仕組んだものだろう」


 情報の出所を尋ねると、クラウスは意味深に笑った。


「俺には俺の“路”があるんだよ。商人の耳は、想像よりずっと深くまで届くものさ。……お前と親しかったことを覚えていた者がいてな。それが巡り巡って、俺のところへ落ちてきた。こういう類いの“流れ”は滅多にないが、稀に起きる。そういう時こそ、歴史が揺れるんだ。」


 レオンは、これまでの経緯を静かに語った。

 心核の啓示によってイレナの視力が戻りかけたこと、そして石の変化。

 クラウスは腕を組んだまま黙って聞いていたが、話が“ラウルの心核”に及ぶと、その瞳に興味の光が差した。


「……面白い。それはただの石ではない。精神核……いや、“意志の遺物”か。継承でも宿命でもない、もっと根源的な何かが込められているようだ。」


 そしてその時だった。

 レオンの懐に忍ばせていた心核が、再び淡い光を発した。

 室内の空気がかすかに震え、内部に文字が浮かび上がる。

 ラウルの心核が淡く脈動し、“言葉ではないもの”を放った。


『最初の咳は鳥より、二度目の咳は子より、三度目は母が土に伏す。草を刈れ。命を護るものは、すでに枯れ始めている』


「……すごいな……これが啓示か」


 クラウスは予言の言葉を書きとめると、目を細めた。

「詩的だな。……だが、これは比喩じゃない。何かが進行している」


 レオンは腕を組み、低く返す。

「病気の兆候だろうな。最初の咳が“鳥”から──つまり、動物から子供、母と移って、ついには死に至る」


 クラウスは指で空中に見えない線を描いた。「でも“草を刈れ”が腑に落ちないな。草が原因……という意味か?」


「その可能性もあるが、次の句がある。“命を護るものは、すでに枯れ始めている”。もし草が原因なら、それは脅威のはずだ。“護るもの”と矛盾する」

 クラウスはピクリと眉を動かした。「……つまり、“草”とは薬草か」


「その線が濃厚だろうな」

 レオンは頷く。「古くは、呼吸器の病に使われた草がある。メギル草だ。咳を鎮め、肺の熱を冷ます。だが毒性が疑われて、今は採取も制限されている」

「──ああ、それなら筋が通る」


 クラウスは即座に反応した。「“護るもの”が使われなくなって久しい。人々の記憶からも消えかけている。“枯れ始めている”というのは、実際にだけではなく、文化的な死も意味しているといったところか」

沈黙が数秒、部屋を満たす。


 クラウスは小さく笑った。「この手の謎解きは不得手なんだが……興味深い。“詩の中に隠された薬草の名”か」

「詩なんかじゃない。最早これは指令だよ」


 レオンの声には、かすかに焦燥が混じる。「このまま手をこまねいていれば、咳は母に届く。早急な対応が必要だな」

「……メギル草は、夏の終わりから褪色を始め、秋には薬効が失われる。いま、ちょうど変色が始まる時期だ」

「ああ……あと数日で、採取の時期を逃す」


 クラウスはすぐに立ち上がる。

「群生地の中でも南側の谷は、日照が弱く、草の枯れも遅い。そこならまだ間に合うかもしれない」


 レオンは早速、地図を広げた。「急ぐぞ。あの予言が本当なら“母が土に伏す”日も、そう遠くない」

 クラウスは、真剣なまなざしで彼を見た。


「分かった。俺はひとまずメギル草の在庫を調べる。商会の裏ルートにもあたってみよう。その後は製薬か。君は?早速採取の準備か?」


 レオンは頷いた。「追われる身だから余り目立つことはしたくないが……仕方ない。高く買ってくれよ?―――あぁ、製薬の方法はもちろん知っているだろうが、煮出すだけでも簡便だが効果がある。流行すると面倒な製薬では追いつかないかもしれないから」


「煮出すだけでいいのか?」

「乾燥させず、生のまま。軽く水洗いしたあと、薪火で半刻ほど煮る。草がくすんだ色に変わり、香りが抜けてきたら完成だ」


 彼は一枚の羊皮紙に、その工程と使用量を書き留め、クラウスに手渡した。

「この量で一日二回。子どもには半分。予防にも効くが、初期症状に特に有効だ。……商会の伝手で周知してくれ。いざという時、薬師の手を待っている暇はない」

「詳しいな。了解した」

 クラウスは羊皮紙をひと目見てから、すぐに懐へと押し込んだ。


 室内の明かりが少し陰り、心核の輝きがじわじわと収束していく。

 クラウスはふと、窓の外に視線を向けた。


 どこからか、鳥の鳴き声が一度、途切れた。

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