09(信仰)
あの日、母の眼がかすかに明るみを取り戻した瞬間から、ミリアの中で何かが変わった。
彼女の胸に巣食っていた恐れと焦燥は、淡い希望の光に洗われ、祈りという名の行動へと変質してゆく。
レオン――あの男が冤罪にあると聞いたとき、ミリアは最初、耳を疑った。
だが、ふと記憶の奥をなぞるように、彼と出会う以前の自分の足跡を追い始めた。
――なぜ、あの場所にいたのか?
――なぜ、石はあの瞬間に光を放ち、文字を告げたのか?
思い返せば、あの淡い黄色の石〈ラウルの心核〉が、レオンを通して啓示を見せたのは偶然ではなかった。
まるで、全ては運命の配置――そう、“神の編んだ織物”のように。
「母を救った彼が、罪人であるはずがない。あの目の奥にあった痛みと強さ……彼は選ばれし者だ。」
ミリアのその確信は、イレナにも静かに伝播した。
ときに、ラウルの心核――あの手のひら程の石に手をかざすと、熱を帯びた何かが伝わるようになっていた。
「言葉ではないの。でも……確かに“何か”が彼に触れていた。まるで、見えない意志が彼を選んだように。」
夜になると、二人は心核の前に跪く。
石はルーペのようにその内奥を拡大し、古語めいた流れる文字を浮かび上がらせる。
文字が読めないミリアにその内容を解読することは叶わないが、どこか“わかってしまう”感覚があった。
それはすでに祈りだった。崇拝だった。
ミリアは、やがて母イレナに語るようになる。
「お母さん。レオン様は、神の“導き手”なんだよ。あの石は、彼にしか光らない。奇跡は、彼とともにあるの。だから……信じて。」
イレナは最初、静かに微笑んでいただけだったが、ミリアが語るたび、次第にその心に信仰の種が根を下ろし始めた。イレナの視力や視野も徐々に回復し、ぼんやりとミリアの顔が見えるようになっていた。
ある晩、祈りの最中、イレナはそっと呟いた。
「これは奇跡ではない……これは知牲――知恵と信仰が産んだ導き。レオン様は、神が人を介して語るための“器”なのかもしれないわね……」
この瞬間、二人の信仰はひとつとなった。
まだ名もない小さな“教団”が、静かに、しかし確かに誕生した。
神は沈黙していたが、石は語り続ける。
その声を聞く者が、今、ひとりではなくなった。