100(追慕)
戦いの喧騒がようやく落ち着きを見せはじめた頃、レオンはふと、胸の奥に小さな引っ掛かりを覚えた。
それは傷ではない。痛みではない。ただ、彼の心に置き去りにされた、ひとつの名前──ミリアのことだった。
最初の啓示に従って「赤い外套の少女」を探し、彼女と出会った。
脱獄を果たしたばかりの、何者でもなかった頃のレオンにとって、ミリアは常に第一に寄り添い、支え続けてくれた存在だった。
だがネミナの記憶を取り戻してからというもの、レオンの心は彼女のことで手一杯になっていた。
急くように旅立ったその背には、別れも、礼も、言葉すらもなかった。
帰還して初めて知る、悪魔に取りつかれたとされるミリアと、彼女の母イレナの死──。
その報せは、彼の心を冷たくえぐった。
思い返すのは、出会ったばかりのあの夜。
夜露の落ちる草原で、二人はフィレアの花を摘みに出かけた。
白く淡い光を宿すその花は、イレナの病を治すために必要だった。
続けて採ったトリュリの樹液。
光と香りに包まれた静かな時間。少女が期待を込めて目を輝かせ、レオンが静かに一般論として目の病の話をしたあの時間は、まるで年の離れた兄妹のようだった。
死体は見つからなかった。
だがレオンは、王都近郊の墓地の一角に、特別に二人のための墓を設けさせた。
そこに、そっとフィレアの白花を添える。
墓前に立ち尽くすレオンは、手にした花を見つめながら、なかなか言葉を紡げずにいた。
どこから話せばいいのか。何を語れば、彼女に届くのか。
黙していた唇が、ようやく静かに動いた。
「……ミリア……」
名を呼んだ瞬間、胸の奥から熱い何かが込み上げてきた。
かつて夜更けに花を摘みに行ったあの静かな時間。
希望にすがるように、母の回復を信じた、あの真っ直ぐな瞳。
自らに寄り添い、笑いかけてくれた日々。
「……ミリアがいてくれて……本当に救われてた。……気づけなくて、本当にすまない……」
語るごとに、感情が胸を震わせる。
謝罪の言葉が、感謝の言葉が、哀悼の祈りが、すべて一つに溶けあって喉に詰まる。
「私のせいだ……」
「ごめん……」
涙が頬を伝うのを、震える指で拭う。
「会いたかった……」
言葉の一つ一つが、まるで染み込むように、土へ、空へと滲んでいく。
やがて、声を押し殺しながら、レオンは静かに続けた。
「どう、償ったらいいのか、わからないんだ……だから、懸命に生きて見せる。どうか……そばで見守っていてほしい」
深く一礼し、墓の前から立ち去るレオン。
その背に、ふわりと風が吹き抜けた。
風は、添えたフィレアの花をゆるやかに揺らし、
花弁の香りを含んで、懐かしい記憶の奥をくすぐった。
まるで——あの元気だった少女が、
「クリス様!」
と、いつもの調子で呼んでくれたかのように。
当然のように、まっすぐで、少しおどけた調子で。
いつもと変わらぬ声で。
「ミリア……?」
立ち止り、周囲を見渡すレオン。驚きとともに、口元にはかすかな微笑みが浮かんでいた。
まるで、その声が、風と共に届いたのだと、信じているかのように——
そんな、笑って背を押す、優しい風だった。