98(哀歓)
礼拝堂を満たしていた瘴気は、祈りと血と、命を賭した信念によって祓われていた。神官たちの死屍の間を縫うように、静かな空気が戻りつつある。
倒れ伏した兵士たち、かろうじて息を繋いだ者たちのうめき声が響くなか、レオンは躊躇うことなく立ち上がり、血で滑る床を踏みしめながら礼拝堂を出た。
「南……治療班を……」
かすれた声で呟き、すぐに駆けだした。途中で傷を負った兵を見つけては止まり、応急処置を施し、そしてまた走った。血まみれの衣を翻し、必死に命を拾い集めようとする彼の姿は、誰よりも気高く、そして美しかった。
一方、エメルは、礼拝堂の片隅で泣き崩れていた。バロムがそっと肩を支えている。
「クラウスも、ダグラスも……イレガンも、ザモルトも……」
言葉にすれば溢れ出しそうなものを、エメルはこらえきれずにいた。バロムもまた、手を震わせながら祈りを捧げる。
「せめて、安らかに……。俺たちは、まだ……終わってない」
バロムのその言葉に、エメルは微かにうなずいた。
礼拝堂の入り口では、マウリクスが顔色を失いながら命令を下そうとしていた。
「生き残りの兵で……ゲルハルトを……捕え……」
そのとき、静かにだが、確かに怒気を含んだ声がそれを制した。
「お前はこの国を救った英雄を、捕えよというのか?」
シグルドの視線が、マウリクスを突き刺す。マウリクスは震え、言葉を失い、ただただ首を垂れた。
その隣にいたヴァルドは、口を開くことすらできなかった。自分には、あれだけの化け物と対峙する覚悟も力もなかった。何一つ果たせなかった――。
この場にいる誰よりも誇り高かった男の、唇がかすかに震えていた。
ゲルハルトはその場を離れ、シグルドのもとへ歩み寄る。
「殿下。……レオン様についてですが」
その耳元で、低く短く、何かを囁く。
シグルドは一瞬驚いたように目を見開き、しかしすぐに苦笑した。
「……そうであろうな。全く……どこまでも真っすぐな男だ」
ゲルハルトもまた、疲労のなかに微笑を返す。
そして、歩を戻し、礼拝堂の一角――ザモルトとイレガンの亡骸のもとへと向かった。
膝をつき、血に濡れた床に手を添える。両者の亡骸は並べて安置され、まるで並んで眠っているかのようだった。
「……おかげで助かった。俺だけじゃない。皆……王国が、生き延びたぞ」
彼は短く祈りの言葉を捧げ、目を閉じた。
「――安らかに眠れ。お前たちの分まで、俺たちが背負っていく」
その場にいた誰もが、言葉なく頷いた。
剣を手にし、また歩み出す者。亡骸を弔い、涙する者。静かに手を握りしめて、空を仰ぐ者。
――戦は終わった。しかし、国はまだ始まりにも至っていない。
それでも、誰かがそれを継がねばならなかった。
誰かが、志を――。