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【初作品】DAO ~私鋳貨と異形による国家崩壊~  作者: Geppetto
Demons Are Operating ー 悪魔の手引き
101/108

97(報恩)

 礼拝堂の中心、本体たるゼレファスが動かぬまま、なおその単眼をもってこちらを見据えていた。だが、その沈黙こそが、最もおぞましい悪意の予兆であった。


 突き刺さった銀の短剣を見据え、ベルドは静かに祈りを始める。

「汝の名を知りし我、祈りをもって支配を得ん。天の御名において命ず、ゼレファスよ、汝はこの地にて祓われるべし……」


 空気が軋む。瘴気が脈打ち、礼拝堂の荘厳な空間は、悪魔の気配に蝕まれていく。光が歪み、かつてから壁に刻まれていた聖文が滲むように変容していた。


 聖句を唱えるベルドの声は、確かで、揺らぎがなかった。

 削げ落ちた頬、血管が浮き上がった白い腕。これまで幾夜を修練に捧げ、祓魔にその身を賭してきた証が、今、全てを支えていた。


「ア゛ァ゛ァ゛ァアアアァッ!」

本体のゼレファスが、呻き声のような咆哮をあげる。口は耳元まで裂け、牙が滴る黒い液を垂らす。その叫びすら、耳に届く以前に脳髄を揺さぶり、兵たちの意識を浸食していく。


「ぐっ……ああっ!!」

 神官たちが頭を抱えるように倒れ、兵が瘴気に呑まれていく。


 ゼレファスは突き刺さった短剣を引き抜こうとするが、触れた指先が焼け付くように瘴気が噴き出し、握る事すら叶わない。諦めたゼレファスの意識は、ベルドに向かう。そして――その巨腕が振るわれた。


 ベルドに向かって来たその攻撃を、寸前で止めたのはゲルハルトだった。

「気にするな、祈り続けろ……ここは俺が抑える」


 ゲルハルトは両手で握りしめた剣で攻撃を受け止め、巨腕の衝撃に膝をつきながらも踏みとどまった。

 ゼレファスの猛攻をその身で受け止めながら、ゲルハルトは決して一歩も退かず、ベルドを守り続けた。


 ベルドは静かに法剣に聖水を灌ぎ、柄を握る。

「汝はこの地にて尽きる。命の源は、祈りによって断ち切られん」


 彼の声が、礼拝堂の天蓋を突き抜ける。

「光は影を裂き、真は偽りを斬る。我が声は法となり、我が意志は刃となる。ゼレファス、汝の魂は我が主の敵なり」


 だが、ベルドはひとつ息を吐くと、ゆっくりと歩み出る。

 その姿は、もはや兵でも、ただの神官でもない。かつての聖印官だった。

「――全ての偽りは、御名のもとに裁かれん」

 低く、しかし確かな声で聖句を唱える。


 法剣の刃が、ベルドの祈りと同調するかのように微かに光を帯びた。

 ゼレファスがその巨体を揺らし、一歩、にじり寄る。

 咆哮のような空気の震えに、視界が歪む。

 それでもベルドは動じない。


「――この穢れ、この悔恨、この怨嗟――」

 光の剣が、掲げられる。

 重く、硬く、過酷な修行の日々が、その剣の軌道を支えていた。


「天よ、我が手を取りたまえ。今こそ、災厄をこの地より祓わん!」


 次の瞬間。

 ベルドは、一歩踏み込み、ゼレファスの胸へと法剣を振り下ろした。

 金属が鱗に触れて激しい火花を散らし、異形の肉を割って深々と沈んだ。

 ゼレファスが声にならぬ叫びをあげる。

 高音と低音が入り混じったその震動が、聖堂全体を激しく揺らした。


 だが、ベルドの腕は震えず、視線も逸らさなかった。

 法剣を突き立てたその手には、修行に費やした男の覚悟が込められていた。


「――おまえの、在りようそのものが罪だ。……ゆえに、赦されようはずもない」

 その言葉は、法の裁きそのものだった。


 本体のゼレファスが暴れ狂う。

 祭壇が砕かれ、柱が裂ける。

 瘴気は凶暴に膨れ上がり、神官たちの肉体を貫く。


 ひとり、またひとりと護衛が地に伏す中、それでもベルドは動じなかった。

 彼の周囲だけ、空気が違った。

 汚濁にあって、なお清浄で、なおまばゆい。

 聖句が最終節に達する。


「汝を戒め、汝を追放す。天の名のもとに、今こそ裁きが下る。ゼレファスよ、ここにて終われ!」

 ベルドは聖槌を高く掲げ、次いで短剣の刺さった柄に、祓いの一撃を打ち据える。

 ガン――!!


 凄まじい破裂音。

 短剣が深く食い込み、瘴気が炎のごとく吹き出す。

 本体が断末魔の叫びをあげ、周囲の空間そのものが歪み揺れる。


「ギィィイイアアアアアァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 瘴気の嵐がベルドの肉体を容赦なく裂き、血とともに命を奪っていく。


「天よ……どうか、彼らを……」

 ベルドは、膝をつきながらも最後まで祈り続けた。

 彼の唇が最後に結んだのは、「感謝」の言葉だった。

 膝をついたベルドの口元が、かすかに動く。

 血の香りが、舌の上に鈍い鉄の余韻を残しても、彼の瞳は澄んでいた。


「感謝します……この身に余る、恩寵でした……」


 それは誰に向けたものか。

 友か。共に戦った命か。神か。あるいは、この運命そのものか――。


 否。確かに彼の視線は、聖堂の奥に、この世を去った一人の男を見ていた。

 ――ヴァレンティウス。


「……師よ。貴方が、私を導いてくださらなければ……私は、ただ祈るだけの者で終わっていました……」


 ゼレファスの断末魔が空を震わせても、彼の声は小さくも凛としていた。


「……貴方の言葉が、刃になった。貴方の背中が、光だった。あの日、貴方が私を見つけて下さったから、私は……」


 その言葉は、言い切られることはなかった。

 だが、彼の表情は、どこまでも穏やかだった。

 唇が、ふたたび結ばれる。

 その最後のかたちが、確かに語っていた。


 ――感謝。

 この命に。

 この役目に。

 そして、師に。


 本体ゼレファスは、呻き、のたうち、そして――崩れた。

 瘴気が霧散し、黒い体が崩れ、悪魔はこの地より完全に祓われた。

 礼拝堂には、静かに横たわるベルドの遺体と、天から差し込む、一筋の光があった。

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