08(真相)
イシュメルの光をかたどった巨大なステンドグラスが、玉座の間の床に七色の影を落としていた。アスヴァルド三世は深紅の衣をまとい、無言で羊皮紙を手に取る。その報告書には、錬金医官であり銀冠爵を与えられていたレオン・ノマレスの脱獄と、その看守であったハウルの責任が記されていた。
「……宰相が引き上げた男が、逃げたぞ」
宮廷、銀色の鎧を身に纏って立っていたのは、貴族議会の実力者であり、古くからの保守派筆頭——将軍クレイヴ・アルデマン卿。艶やかな黒髪と冴え渡る双眸は戦場の機微を見逃さぬ、剣を携えし狼。
「我々は最初から申し上げていた。あの平民上がりの薬師など、王の御手に近づけるべきではなかったと……」
隣で頷くのは、蒼い聖職者の装束を纏った神官長ベルド・メルドリス。イシュメルの象徴たる“真なる秩序”を説く彼は、レオンの科学的思考を「異端」と断じていた。
「王が光会の神託より、あの男の言を重んじるようになれば、我らの秩序は崩れます」
「そうならぬよう、前もって“予防”しておいたまでのことだ」
***
数ヶ月前。
レオンが王に謁見し、「黒骨膿瘍の治療法と戦傷粉の調合方法について」を進言した直後。王国は彼を正式に薬品開発と研究を担わせるよう命じた。
戦傷粉は騎士の新たな装備として適用され、アルデマン卿は敵愾心を顕わにした。内より現れし才覚――しかも血も誇りも持たぬ下賤の者――に一矢を報われたことが、彼らの矜持を深く抉ったのだ。
目には賞賛よりも憎悪が宿り、口元には皮肉な笑みが滲む。城内の役人を買収し、レオンが城下で毒物を精製・所持していたという偽の証拠を提出させた。
さらにベルド神官はアルデマン卿と結託し「穢れた気配を放っている」と主張。レオンの宗教的異端性を訴えた。
宰相は抗議したが、王妃の病が重くなったこの時期、政治的反対勢力と争う余裕はなかった。
王は、レオンを王城の外壁に備えた牢に投獄するよう指示する。
***
「……そして今朝。脱獄が判明したのは、警備交代の際。ハウルが酩酊しており、目覚めた時にはすでに牢は空だったとのことです」
報告役の兵士がそう読み上げた瞬間、王は静かに目を閉じた。
「……レオンを捜索し、捕えよ」
「はっ」
「だが、解錠とは手口が巧妙だ。牢内をよく調べ上げ、協力者がいる可能性も考慮せよ」
アルデマン卿は口元に笑みを浮かべ、静かにささやいた。
「協力者……宰相の御心を汲み取った者では?」
「……発言に気をつけよ、クレイヴ」
宰相の声は低く響き、両目の奥には冷気を纏っていた。
***
その夜。王城の奥まった貴族の集会室。
「しかし、奴が逃げおおせたのは痛手だな」アルデマン卿がつぶやく。
「いかにして探しますか?」口ひげを撫でつつ、ベルド・メルドリスは思案する。
「商業地区、北の雑踏に紛れた可能性がある。捜索隊を市に送り、探し出せばよい。満身創痍で逃亡生活も長続きせんだろ」
アルデマン卿は静かに杯を掲げる。
「さて、宰相の足元が揺らぐかどうか、見ものだな……光の名の下に」